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欲を逃さないスタンス

ぴぃが珍しく自分から私の実家へ行きたいと言い出した。

車で数十分の距離だから、行くのは簡単。

実家に行っても、うちにいる時と同じ頻度で手洗いに行くのかな?とか思ってみる。

でもとりあええず仕事中だったけど、行く時は行く。

今の私はぴぃの、やりたい、行きたい、ほしい、はなんでも嬉しいから。

行きたいと言えば行くし、ほしいと言われれば検討はする。

わがままを聞いてあげてるつもりも、振り回されているつもりもない。

何もいらない、行きたくない、という状態がエネルギー不足とわかっているから。

ようやく、私が優先すべきが、仕事でもお金でもないということが身にしみてきたというか。

日中、仕事しながら、ぴぃと生活していると、どうしても仕事を優先してしまう。

それは、私が私の時間をきちんと確保することで自分が整うためだと思っていた。

でも、どこかでママは仕事をしなくちゃいけない、あなたに構ってる暇はないと知らしめたかったというか。

それだと、ぴぃに安心を与えてあげられてないと気づいた。

ぴぃ以上に大切なものはない。

ぴぃに安心をあげるために今の生活を選んだのに。

仕事中にゲームを一緒にやろうと言われればイライラしたし、

お昼に注文があればイライラしたし、

ミッケ発動なんて、イライラ中のイライラがあった。

自分を大事にということに囚われすぎて、どんな時も自分を優先にしたい思いが、ぴぃの言動に対してイライラする要因だったことにやっと気づいた。

自分も大事にすること、自分の時間もしっかり持つこと、それはぴぃと2人でいる時にわざわざすることじゃない。

パパがいる時、友達がきてくれてる時、自分の時間なんて作ろうと思えば作れるのだ。

仕事も余裕を持ってできる範囲内だから、どうしてもやり切らないといけないウエイトでもない。

ぴぃの行きたいは逃したくない。

だから今日は、仕事を切り上げて、ぴぃと実家へ行く。


実家でのぴぃは大きなミッケはなく、トイレ後の長めのルーティーンも短めに抑えていた。

実家でも安心おしぼりを求め、その一枚でなんとか過ごす。

私は母とのたわいもない世間話をして過ごす。

ぴぃがいるところでぴぃの話はできない。

世間話の中でも、ぴぃの耳にもしっかり届くような、多様性の話や時代の変化、いろんな生き方があるという事柄を多めに話してみる。

気になったことには口を挟んでくるぴぃ。

そういう時に、ぴぃの不安や興味が見えたりする。

泣き言は言えなくとも、母との世間話で私は心ほぐれるし、ほぐれた私の横でぴぃはゲームや絵を描いたりしている。

家と同じように過ごすのに、なぜ実家に行きたいと言い出したのかはわからないけど、来れてうれしかった。

ぴぃの行きたいが私を癒す。

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