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まずは自己紹介を

初めまして。おおたです。自分のことを綴ることにまだ抵抗がありますが、自分の綴る内容が、何か勇気を持ってもらうきっかけになったり、おおたがあんな人生なら自分も大丈夫だ。なんて、不安なことばかりの日本と世界の情報溢れる中で小さな安心材料になればと思ってます。

初めてのブログなので、読みづらかったり、映えない投稿が続くと思いますが、徐々に映えさせて読みやすい記事のレイアウトを目指して頑張ります。

まず、自分の経歴と当時の思いをざっと述べます。
私の履歴書です。(トップ画像は大学就活当時の履歴書です。目つきが悪い。。。)

幼稚園:サッカーしていました。サッカーで上手いことするとドラゴンボールのカードをくれるので頑張っていました。転園しました。

小学校:サッカーしていました。裏山のある学校でした。のほほんと生活しながらブルーギルとザリガニ捕まえてました。
都会に転校しました。裸足でかけっこしない都会民に衝撃と動揺しました。

中学校:サッカーしていました。都会生活でいろんな違いを感じました。コイ釣りとフナ釣りにハマりました。

高校:サッカーしていました。最後の試合途中で泣きました。やりたいことをやれなくなる恐さを覚えました。歳相応な思春期スタイルでカッコつけた後、努力しないことの勿体無さに気づきました。
サッカーの遠征で初めて海外(韓国)へ行きました。海外で新しいことに気づく面白さを感じました(内緒でマクドナルドへ行ってマックシェイクの味が違うことに興奮したのが海外の面白さを感じるきっかけでした)。

大学:やりたいことをやれるだけやろう精神で過ごしました。99の岡村さんに憧れてウィンドミル(ブレイクダンスの技)やらをしていました。
仲間に恵まれて昼夜フル稼働で過ごしていました。釣りを再開しました。高校まで所属していたサッカーチームのコーチ補助もしました。
アメリカ、サンフランシスコの田舎に留学しました。ボリューミーなクッキーとハンバーガーばかり食べてジャンクフードに感動してました。

卒業旅行でオーストラリアへ行き、ミートパイに出会い、味に感銘します。

社会人①:菓子メーカーの商社部門で営業しました。沖縄黒糖の本島向け販売担当もしました。
精神論と根性論と負けず嫌いの性格で仕事を追い込み、反動で休みの日も食事も盛大にした結果、キャパオーバーで倒れました。タイムマネジメント不足のせいだと反省し、生活を律する(方向を間違えた)ため、トライアスロンをはじめました。

その時々の仕事や趣味に没頭したふりをして、それなりに充実しているようでスカスカした生活を続けるよりも、興味のある職、(パン職人)になる挑戦をして、人生見直すべきでないかと考え、脱サラしました。

ワーキングホリデー:オーストラリアへ行きました。
ミートパイ好きなら、肉関連の仕事に就いて箔付けしようと、肉工場で働きました。後悔しましたが充実もしました。
サワードウブレッドに出会いました。全ての興味がサワードウブレッドになりました。サワードウブレッド職人になれました。
カフェベーカリーでもパン職人として働きました。
サーフィンを覚えました。釣りしてました。
お世話になったパン屋さんから酵母を頂いて帰国しました。

社会人②:友人家業のワイン屋さんを手伝いました。生協専門の食品記事担当として広告代理店で働きました。仕事をしながらサワードウブレッドを焼きました。

パン屋:日本のパン屋さんで働いてみました。
自分の店を持ってサワードウブレッドを焼きたいと強く思っていることに改めて気づきました。

今、パン職人(ただいま無職)、趣味はブラックバス釣りです。

ざっとこの通り、実家がパン屋でもないし、余っている土地があるから何か開業したいと思ったわけでもないし、一般的な日本人な生活を送る環境でした。
母は専業主婦、父はサラリーマンという家庭で育ってきた昭和生まれの子として成長してきました。

転勤族だったのでどこが地元と呼べるのか、自分でも今ですら、わかっていない状況です。小学校と高校、新卒で入った会社の社宅がある場所が神奈川だったので出身は神奈川県とざっくりしています。

親の会社の社宅に住んでいたこともあって、自分の周りの家族、同世代の子供と同じように、同じような道から外れないように過ごすべき。と自然に人格も形成されていたとも思ってます。

なので、自分は当たり前に高校受験して、大学行って、就活して社会人になったと思っています。

社宅に住む同年代の受験苦労話や姉が毎日受験勉強で発狂している姿を家で見ていたいので、「大学受験はせず、附属校を受験させてください。」と親に高校受験の時点で頼みこむような、打算的なのか、計算高いつまらない子供だったなと振り返りますw

そんな自分です。

ざっと、普通という言葉が嫌いですけど、普通だと思います。

パン職人を志したのは社会人になってからです。

パン業界に入ってみて、ずっと同じキャリアを築かれてきたパン職人さんを本当に尊敬しています。話しを聞くと勉強ばかりです。

ただ、自分のように
一本道ではない人生ながら、その時々に感じること、出会った友だち、先輩後輩との時間に影響を受けて、自分のやりたいことを探して、徐々に近づいていくのも悪くない
と、読んでいただいた方に少しでも思っていただけると嬉しいです。

なのでこれから頑張りますw

各時代に思ったことついての記事も色々書こうと思っています。

※この投稿の最後に。
一つの仕事でキャリアを築いて、一本道で生きてきてこられているパン職人さんの皆様を本当に尊敬しています。
自分のキャリアなんてパンのキャリアとは言えないと言われても仕方ないと思っております。
単純にパンが好き。良いパンを作りたい。という思いは一緒です。

こんな私を雇って酵母まで分けてくれてオーストラリアのパン職人さん、今まで一緒に働いて助けてくれた仲間や一本道とはいけない自分のいろんな相談に乗ってくれた友人への恩返しをしたいと気持ちが強く、お店を開くという決心に至っております。
怒らず、相手にせず、暖かくやれんのか?という気持ちで見守って頂けると嬉しいです。。。

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