僕が生きる意義

~冒頭~

おはこんばんちは。
2020年3月から白血病の治療をしております。
次の入院が8月3日に決まりました。
今回書いた文書はこの入院期間とその後の決意表明でございます。
当面の固定記事にしておきます。

それにしてもタイトルが胡散臭い新興宗教のようですわねw
確か私の家は浄土真宗だったけな??
忘れたなぁ。
小学生の頃の
早朝に近くの教会に行き、
体操するとお菓子をもらえたので
行っていたなぁ。

大学卒業して、ロンドンでホームステイさせてもらっていた
キリスト教のジャマイカ人が日曜日の朝に踊り始めて、
「ほうほうこれがジャマイカン念仏踊りかぁ」
と感心させられたのを覚えております。
ちなみに、その横で私はコーンフレークを
ボリボリ食べておりました。
宗教観がバラバラな私でござる。

道がそれると全然違う話をし始めるのが私の悪い所です。
今日はそんな話をしたい訳じゃない。

先日、2020年7月に山本寛斎さんが亡くなられました。
病名は私と同じ急性骨髄性白血病です。

想像したんです。
「多分、この方は悲観した死に方ではなかっただろうなー」と。
だから、私なりに病気になったからこそ
人生観や死生観について考えてみました。
書かせてもらいます。

~病気の意義~

異母兄である伊勢谷友介さんのインスタに山本寛斎さんとのやりとりがのっておりました。

「寛斎さんが病床で、最後に僕に聞いた事。
『俺の生き方、どうだ?』
僕は慌てて『凄いです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも。』と。
寛斎さんは満足気に小さく頷いた。。。」

『俺の生き方、どうだ?』
カッコいいなぁと単純に思いました。

白血病という病気になれば少なからずも死がよぎる訳です。
そして、
「自分自身の人生は満ち足りたものだったのか。」
と考える訳です。
私自身は「幸せに満ち溢れた人生であった」と思えます。
山本寛斎さんと規模は違えど、同じような感覚があります。
本当に思うんですよ。
友人や家族、仕事仲間が私の周りには幸運なことに沢山います。
そしてnoteをはじめて色々な方と交流が出来ました。
直接メッセージを沢山の方から頂きました。
私のような凡人サラリーマンがありがたい限りです。

どうやら、病気とは人生を振り返らせてくれる効果があるようです。
皆さんどうでしょうか?人生の振り返り?
満ち足りてますでしょうか?
愚痴が多くても、不満が多くても、
まっさらにしてみたら
意外と「人生楽しかった」と言えるかも。
私も病気になる前までは結構愚痴の多い方だったやも知れません。
(もう半年前の自分のことを忘れてしまいましたが。。)

私はこの病気を克服したら
その後は第2の人生だと思っています。
まだ私は38歳、されど38歳です。
今までとは違う社会への貢献の仕方をしてみたいと考えます。
だから「知らないことを知る時間」にこの闘病の期間を使おうと思っています。
映画みたり、音楽聞いたり、記事を読んだり、本を読んだり、テレビを観たり、人と話をしたりと。。

死ぬかもしれないのにバカバカしいと思いますでしょうか?
「遊んでた方がいいじゃーーーん」と思いますでしょうか?

日々、遊んではいますが、発想は逆なんです。

死ぬかもしれないから急いで賢くなろうとしているんです。
知恵や知識は人生を助けるはずです。
病気のことも勉強します。
医療関係者から提示される「医療計画」を判断するのは自分自身です。
悔いのないように必死こいて勉強します。
そして悔いのない判断を自己責任でします。

~一時退院の意義~

上記に書いた内容ですが、
病気のことを調べたのならば
一時退院とかなんでするの?
「covid-19の中で人と会うなんてリスクじゃーーーん」
と思うかも知れません。
私の一時退院の意義を記載します。

私の人生プライオリティは
「病気を治す為に生きている」のではなく
「大事な人と生きていく」ために
現在、生きており、治療をしています。

もしも治療一緒くたな人生であれば、
私はその治療を拒否をします。

無菌病棟内では子供とも会えません。
妻とも2枚の扉越しです。
それでも、何か月か我慢をすれば一時退院期間がきます。
一時退院中はリスクと隣り合わせです。
だけれども、私は人と会います。
勿論、自分なりの線引きはしています。
やって良いこと、やってはいけないこと。
私なりのラインを引いています。

でも、極論を言えば、友達も含めて
「会って病気になっても死んで良い」
という人にしか会っていません。

だから、もしも私が死んでも、
誰一人恨みませんし、悔いにも思わないでください。
すべては「自己決定で自責」の範囲内です。

人生一路

苦しみがあってもまっすぐ進みます。
私の人生はまだまだこれからです。
英気を養い、次の入院に備えます。

~生きる意義~

生きる意義・意味・価値とは何でしょう?
はてはて?
病気を通して思うこと。
それは私には妻がいて、子供がいます。
その人たちの為に私は生きています。

だって、子供はまだまだ小さいです。
妻は多分私が死んだら再婚とか消極的なタイプです。
夫の役割も必要でしょう。

キャッチボール相手も必要でしょう。
週末の料理当番は私です。
庭の草刈りは私がしないとボーボーです。
子供のシャワーを私が入れて、バスタオルで妻がキャッチしないと水でビチャビチャです。

そして、僕はまだまだ妻と笑っていたいです。

~末尾~

僕は死ぬ準備が出来ています。
決して後ろ向きではありません。
いつ死んでも楽しい人生だったと思える歩みは進めています。
でも、生きる意義もまだあるんです。

移植は改めて生きなおせるかも知れない手段です。
なので、移植をして、改めて生きます。
物理的にも人の血を頂くので、あながち間違えでもないらしいですよ。
移植後はまた一からワクチン接種とかしなきゃいけないらしいですし。。

病気が治ったらやりたいことが沢山あります。
献血のボランティアをしてみたいです。
児童養護施設の勉強をしてみたいです。
少し家族との時間が減るかも知れませんが、
改めて生を頂いたら、少し社会と共生する時間を増やしてみようかと思います。
多分、家族も理解してくれるはずです。
一緒にやってくれないかなぁー。

病人から最後に一言

不安に満ちるな
不満に満ちるな
希望に満ちろ
肯定的に生きろ

自分の子供にはそう生きて欲しいと
伝えようと思います。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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