彼らをリスペクトしすぎていて臆病に戦っていた FirE♯597
サッカー日本代表、ドイツ戦、逆転勝利後のインタビューに印象的な言葉がありました。
それは鎌田選手のこの言葉。
彼らをリスペクトしすぎていて臆病に戦っていた
彼らをリスペクトしすぎていた部分があったと思いますけど、
自分たちがしっかりやれば世界とも渡り合える
【 リスペクトしすぎていた 】
ドイツ代表というチームに対し、日本サポーターでさえ、その勝利を確信できた人は多くないでしょう。
サッカーが好きな人ほど、勝利の確率を低く見積もってしまったのではないでしょうか。
それは、ドイツ代表というチームの力を知っているからです。
知っているからこそ、リスペクトが生まれ、勝って欲しいという想いと、
その逆の勝利は難しいという考えが出てきてしまうものです。
選手も同様に、海外でプレーする選手も増え、
そのレベルを体感し、実力を知っているからこそ、リスペクトが生まれ、その気持ちがプレーに影響を与えてしまうのでしょう。
【 謙虚 × 自信 】
リスペクトとは、見上げる行為と言えます。
それは「謙虚」とも表現できます。
この「謙虚」は勝負の瞬間においては必要がないものです。
勝負の瞬間には「自信」が必要です。
「謙虚」と「自信」は、相反する性質を持つものですが、
この積が、「能力」になります。
なぜなら、
「謙虚」から生まれる行動は、「努力」です。
「努力」から生まれる感情が、「自信」です。
謙虚0 × 自信100でも、能力は0です。
その自信は、努力に裏打ちされたものではないからです。
謙虚100 × 自信0 も、能力は0です。
その謙虚さは、自信につながる努力という行動に変換されないまま、臆病という形で残っています。
「これだけやったんだ」と思えるまで努力をした人だけが、「自信」を付けることができます。
今、自信がないと感じる人は、チャンスです。
その感情こそ、自身を成長させる原動力なのですから。
「自信を持て」などというアドバイスは無意味なのです。
「自信」は「努力」に裏打ちされた自身の経験から「付く」もの。
「自信」は「付いていく」もの。
「持つ」ものではないのです。
【 努力できるのは本人だけ 】
サポーターは日本の勝利について、「願う」ことしかできません。
「勝てる!」という「自信」に繋がる「努力」はサポーターにはできないことです。できることは応援という「サポート」です。
「努力」そのものは、実際に戦う選手だけができることなのです。
そして、そこから得られる真の「自信」は選手だけが持つことができるものであり、他人がどうのように評価していようと、それはただの「想像」にすぎません。
他人の評価というのは、「想像」通りになるか、ならないかというだけの空虚なものです。(今回の場合、闘莉王さんの事前のコメントは、これに当たるでしょう。)
つまり、本人以外の誰がなんと言おうと、
「努力」に裏打ちされた「自信」は、その本人だけが確信できるものであり、それが絶対であるといえます。
【 最後に 】
サッカー日本代表の、鎌田選手のコメントから、謙虚と努力と自信について考えました。
日本代表のドイツ戦の勝利は、歴史的瞬間でした。
その勝利の裏にある、選手の努力は直接見えない部分です。
多くの人が見ることができるのは、90分+α のみ。
誰にも知られない努力をどれだけ積立できるかが、「自信」が付くかどうかの基準でした。
「自信」は持てなくて当然でした。
「自信」は付くものでした。
「自信」は「努力」に裏打ちされていなければ、無意味でした。
「努力」の源泉は、「謙虚」でした。
そして、「謙虚」は、勝負の瞬間は忘れてよし!
自信満々で挑みましょう。
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