【 量子論とスピリチュアル 】 可能性という点の集まりが波を形成し、"観測"により点に集約される FirE♯600
「二重スリット実験」という言葉を聞いたことがある人も多いでしょう。
この実験結果として有名なのは、「人間の観測によって、量子の振る舞いが変わる」というものです。
見られていると汗を流して働くけど、見られてないと居眠りする私のように、誰かに見られているかどうかでその動きが変わるという結果です。
それってどういうことなんだを考えていこうと思います。
【 結論 】
ということで、詳しく見ていきましょう!
【 二重スリット実験 】
こちらに詳しく書かれていますが、なんのことかわからないので、色々と簡潔にこの内容を見ていきます。
理解しやすく書くので、素材や機器については実際とは違います。
■ 実験のやり方
厚紙に縦に2本の切り目を入れます。
切り目の入った厚紙を壁から少し離れた場所に立てます。
切り目の入った厚紙に向かって、光を当てたり、原子を当てます。
その結果、壁には、どのような模様が出るのかを観察します。
■ 光を当てる
2本の切れ目が入った厚紙に、光を当てます。
この時の光は、一直線に進むものにします。
結果は、壁に干渉縞と呼ばれる縞模様が出ます。
それは、2本の切り目に対して複数の光の線が壁に映る状態です。
これは光が、波動性という性質を持っているためです。
水面に石を落とした時のように、波紋は広がります。
2つの切り目が波紋の中心になり、2つの波紋が重なり合って広がっていきます。
その過程で、打ち消しあう波と、増大する波が生まれ、壁にぶつかります。
その結果、複数の光の縦線が見えるようになります。
■ 原子を当てる
原子を当てるというのは、どういうことかというと、エアガンにBB弾を入れて打つイメージです。
原子銃に原子を入れて厚紙に向かって1発づつ複数回打ちます。
原子という粒が、厚紙の2つの切り目のどちらかを通り抜けるので、2本の切り目に沿って原子が壁にぶつかることが予想できます。
しかし、その結果は、光を当てた時と同様に、干渉縞がでるのです。
原子という粒子の性質を持った物質が、光の波動性を持った性質と同様の結果になります。
【 実験結果 】
このように、光も、原子も「波」の性質を持っているという結果が出ます。
そして、ここからが、この実験の不思議なところです。
なんと、この切り目を観測して、原子がどちらの切り目を通ったのかを観測すると、実験の結果が変わるのです。
■ 観測する
厚紙の2本切り目を観測できるように観測機を設置します。
そして、原子銃から発射した原子が2本の切り目の内どちらを通ったのかを観測できるようにします。
その結果、壁に出てくるのは、波の性質を示す干渉縞ではなく。
粒の性質を示す、切り目に沿った2本の線でした。
つまり、観測という行為を加えることで、原子の性質が変わった、または、その振る舞いを変えたと言えるのです。
【 新たな実験結果 】
このような実験結果となりました。
どう考えてもおかしいし、納得できない結果です。
なぜ、人間が観測することで、その振る舞いを変えるのか?
ここで重要になってくるのは、「観測」という行為とは、
つまり、何?
ということになります。
【 同時に複数の場所に存在する原子 】
ここからは量子力学における様々な知見を要する内容となり、
正直、私にも訳がわからないです。
そして、私の考察が入ります。
まず、原子は、同時に複数の場所に存在します。これは明らかになっていることです。
量子力学というミクロの世界では、私たちの世界では考えられないことが普通に起きています。
例えば、
日本とブラジルに同時に自分がいて、一方では仕事中、一方では睡眠中といった状態が原子の世界では起きています。
ここから考察です。
原子が絶えず場所を変えて不確定な状態で動き回っています。
その動きは点が連続して動くので、線のように見えます。
この線のような状態が、いくつも生まれるので、波状になります。すると光と同様の波の性質を持つと考えます。
そして、これらが「観測」という影響を受けると、観測を行った瞬間の位置で止まり、線ではなく、点になります。
この時に、粒子としての振る舞いに変わります。
ポイントは「観測」という行為が原子に影響を与えるということです。
■ 観測
観測とは、簡単に言えば、ある事象を見るということになります。
この見るという行為は、機器を通して、人間の目を通して、脳で処理され、観測者がそう見えたと感じることになります。
今回のような二重スリット実験のように、観測者が単体であれば、原子の振る舞いの変化は観測しやすいですが、この世界には観測者と言える物体が複数存在します。
原子が波として振る舞う状態は、そのような多くの観測者による影響を受けて粒としての状態であることが多いと思われます。
つまり、観測という行為は、人間が目で見るということだけではなく、
原子が影響を受けるすべての干渉物との接触であるというのが私の考えです。
【 宇宙を観測する 】
観測という干渉が、原子の振る舞いを変えるのであれば、
まだ観測ができな宇宙の果ては、観測と同時にその振る舞いを変えるのでしょうか?
画面に映るゲームの世界のように、主人公が進む方向のマップがローディングされるように、観測という干渉が、世界を構築するのでしょうか?
私はこれは違うと考えています。
なぜなら、
宇宙の果てを見る行為は、果てしない過去の光を観測する行為です。
遠くの宇宙の光は、はるか昔に光った光ですから、遠くを観測することで、過去を見ることができます。
この場合、観測する対象は過去ですから、その原子には、すでに多くの干渉が加わり粒として確定されていると考えます。
しかし、未来の世界はどうでしょうか?
【 未来を見る 】
原子レベルで見れば、可能性が不確定な波として、あらゆる場所に同時に存在している。
それは、あなたについても同様でしょう。
明日のあなたは、家にいるという点に存在しながらも、外出し別の場所という点にも存在する、さらにアメリカにいる点も存在する。
そして、そこで寝ているのか、歩いているのか、食事しているのかといったあるゆる点が存在しています。
実際に、明日が来て、その観測がなされる時は、あなたの行動が確定した瞬間です。
いくつも同時に存在した可能性という点の連なりの波が、点に変化し、その場所が確定します。
このように考えると、原子のその振る舞いも、普通のことのようにも思えます。
【 人間と原子 】
人間の場合、観測者は自分自身であり、観測する前の可能性が、多岐にわたっていることを常識が邪魔をして理解できません。
明日、自分がアメリカにいるなんて、現実的でないからです。
しかし、可能性の波として存在しているのは確かでしょう。
今、この文章を読み進める未来も、
中断して飲み物を飲む未来も、
眠くなり寝る未来も、
量子力学者を目指す未来も、
どれも、可能性という波として、同時に存在していますね。
観測するのは、あなた自身です。
そして、他の誰かの存在も、観測者としての影響を受けます。
少なくとも、可能として存在する未来の波を、点として確定させるのは、自分であり、あらゆる可能性は、原子レベルで見れば、ほぼ全てが想定の範囲内であると言えるのです。
未来に不安を感じるのであれば、その不安に感じるという点を確定させたのは観測者である自分と言えます。
では、楽しく自分らしく生きていきたいという場合、
その可能性は波として存在する訳ですから、あとはそれを観測者のあなたが観測し、点として確定してあげれば良いのです。
そう考えると、なんでもできそうですね。
なぜなら、その未来は、ある程度、想定の範囲内だからです。
夢のような話が、実現する未来も、実現しない未来も、可能性の波は、不改定要素として同時に存在しています。
自らが観測者です。
自分が進む方向に、点ととして確定させれば良いのです。
【 まとめ 】
二重スリット実験から、原子の振る舞いについて学び、人間の未来の可能性について考えました。
スピリチュアルな内容も、実は、量子力学の領域の話ではないかと思えてきます。
人間の目から目れば、原子は非常に小さな物質です。
視点を変えて、宇宙という塊から見れば、人間も原子レベルのミクロな存在です。
その宇宙という塊を観測する者が、ある種の神様と呼称する存在と定義できるかもしれません。
その存在の”観測” によって、振る舞いを変えられる訳ですから。
しかし、そのような存在は確認されていません。
そのような存在を作ることで、人間の意思決定を促すのが、宗教でした。
そして、それは、点に集約された結果が、良い方向へ行くように祈るための架空の観測者です。
不幸な事象、幸福な事象を、他責にするための、擬似的な観測者を配置する行為です。
神に祈るくらいなら、祈る結果となる選択を自ら実行するだけで、可能性の波は点に集約可能なのでした。
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