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地球市民としての「新しい日常・正義」考(2) 〜 SDGs・探究への招待 #046

2 一緒に歌わない者は正すべきか? 〜 同調圧力について〜

前回からの続きになります。

 「正義」と言えば、中島みゆきさんの歌に「Nobody is Right」という歌があります。
 数年前に某アパレルメーカーのCMで使われていました。宮崎あおいさんが歌っていました。

 でも、そのCMは、この歌を使ったことで、当時国会で議論になっていた
「安保法案批判だ」
「政権批判だ」
「企業が政治的に偏向してもいいのか」
と正義の名の下にネットで叩かれて、あっという間に放送中止になりました。もちろんCM内では、一言も特定の政治家や政党を、直接にでも遠回しにでも触れてもいなければ示唆すらしていません。

 このアパレルメーカーはそれまでもブルーハーツの歌なんかを宮崎あおいさんが歌うCMを積極的に流していました。つまりブルハ世代、当時20代後半から30代全般の年齢層の女性で、且つ、環境意識や社会意識やいわゆるLOHAS (= Lifestyles of Health and Sustainability の略語)な新しいライフスタイルを志向する意識の高い女性を購買層として想定したマーケティング戦略でした。
 でも、このCMが不謹慎叩きにあって以降、新しくCMを流すことはほとんどなくなりました。また、偶然なのか何なのか、時を同じくして追い打ちをかけるかのようにこの企業の社長がセクハラ行為をしたというスキャンダルが起きました。
まさに「Nobody is Right」ですね。

ちなみに、この時期は他のメーカーのCMも、
「悲しくなるからやめろ」とか
「傷つく人もいるんだぞ」とか
「不愉快に思う人だっているんだ。それがわからないのか」
といったクレームが、一見マイノリティ保護、弱者保護、多様性尊重的な「正義」の名の下に行使されて、次々に放送中止になりました。
 みなさんもご存知の通り、企業はCMに何億、何十億もの広告費をかけています。企業は大損失を負いながら、当たり障りのないクオリティの低いCMへと作り直しをしました。体力のない企業はCMをやめました。興味のある人は「CM 放送中止」あたりのワードで検索をかけてみてください。いわゆる泣けるCMや風刺的なもの、また芸術的なものなど、クオリティの高いCM、メッセージ性のあるCMが軒並み放送中止になっていることがわかります。

 その結果、それまでは日本のCM文化は、アメリカの短絡的で頭の悪そうな比較広告でしかないCMに比べてはるかにクオリティが高く、多様な表現の場でしたが、そうした言わば「30秒の芸術作品」群、「CMの多様性」はほぼ滅びました。今では単純に製品の効果効能を謳うか、毒のないただのおちゃらけか、悪気のない子役や小動物を使ったかわいい系が歌うか踊るかするぐらいの、のっぺりした一本調子のものぐらいしかありません。
 例えばロックの本質は理由なきいら立ち、怒り、そして既存の枠組みや常識に対するアンチテーゼですが、今のような社会不安の中ではその対極の、毒にも薬にもならない痴呆症的に健全な歌がもてはやされます。
 社会情勢が不安定だと、考えるのがつらくなるからです。そうなると、人は議論や思考することよりも、わかりやすい単純なスローガンを求めます。絶対的圧倒的な存在に依存と服従を求めるのです。
 振りかざされたあまたの「正義」の行使の果てに、多くのCMもまた、これと同じように退屈なだけの薄っぺらい情報の垂れ流し装置になりました。

 今ではスマホと財布と定期券に加えて、マスクをつけ忘れて外に出たら家に取りに帰らないとならないほどの強い同調圧力が日本を覆っています。
「いや、同調圧力とかそういう問題ではない。マスクをつけることは、他人と自分の生命を守るための行動だ」
という考えについては異論はありません。その通りです。
 しかしここでの議論はマスクの是非論ではなく、

「マスクをつけ忘れたり、つけない人がいたからといって、怒鳴ったり睨みつけたりして排除することは正義なのか?」

ということです。現実には、マスクなしで外を歩くとほぼ犯罪者か変態並みの目で見られます。そしてしまいには日本人のマスク好きをかつて嘲笑っていたフランスの人たちが、今では日本人の危機意識の高さの表れだと高く評価しているなんていうただの街角の話題がニュースとして自画自賛的にワイドショーでもてはやされたりしたこともありました。

 これって、正常なことなのでしょうか?

 マスクだフェイスシールドだビニール手袋だつり革カバーだと言わず、思いきって、ナントカリズムだとか多機能高機能コスパ最強だとか、何かと話題のいくつかのメーカーあたりから防護服ファッションを「新しい日常の提案」「新しい日常の身だしなみ」とでも謳って売り出してほしいものです。
 ダースベイダー風とか、ネイビーシールズ風とか、鉄仮面風とか、鎧武者風とか、サイバーパンク風とか。
 電車なんかも、ミリタリー系防護服専用車両とか、ペストマスクデイとか、テーマを決めてキャンペーン打つとか。
 会社でも
「ベイダー部長!、先方のストームトルーパー課長とアポ取れました」とか、
 学校でも
「国語のスペツナズ先生がさあ、助動詞の活用をね‥‥」
「え?うちのエヴァ零号機先生はまだ接続覚えろだよ」
「うちの担任の綾波レイとさ、おまえんとこの担任のスパイダーマンがさ、渋谷でデートしてたらしいよ」
なんて会話にでもなればこの同調圧力も笑い飛ばせそうですね。

 そういえば、3月の下旬ごろに、ナオミキャンベルの防護服姿が話題になりました。また、数ヶ月前には、レディーガガが喪服のような黒ドレスにフェイスシールドをデザインした姿をインスタにアップしました。レディガガなんかはミュージシャンであることを考えると、こうした同調圧力に対する、言わばカウンターアンサー(僕の造語です)の思いもあるのではないかと思いました。まあ穿(うが)ち過ぎですけどね。

 今回はここまでにします。最後まで読んでくださってありがとうございます!

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