見出し画像

ターンテーブルに針を落として(1)

1 ロックンロールが始まる!

 1981年、僕は高校生になった。

 当時、父は沖縄で公認会計士をやるかたわら、博多でオサダレコードというレコード屋を営んでいた。その店の店長がマエハラさんだった。
 見た目が年齢不詳で、同じクラスのヨシトミなんかはマエハラさんのことを「死神博士」と呼んでいた。そういうヨシトミは、後にヤンマガに連載され映画化もされた「AKIRA」に出てくるラボの26号、タカシにそっくりだった。
 ヨシトミが言った通り、マエハラさんは髪型といい頰のこけ具合といい、仮面ライダー1号に出てきた死神博士にまあ確かに似てはいた。ただそれは、別にマエハラさんが死神博士が好きだったからとか、センスが巧まずして死神博士であったとか、そういうことが原因ではない。
 マエハラさんはヒッピー文化にもろに影響をうけた、典型的な60〜70年代型のバンドマンだったのだ。ラブ&ピースを標榜するフラワーチルドレンのような、ひ弱で傷つきやすいのに世界を変えようなんていうノリの60年代型のヒッピーではない。70年代独特の虚無的で諦念にも似た価値観を持った、冷めたノリのヒッピーだった。ロックについてかなり造詣が深かった。大概のことは偏りなく知っていて、話していても、例えば僕のようにすぐに何でも最後は「キヨシロー!」にするようなことは一切なかった。

 オサダレコードは、渡辺通りにある、さえないショッピングモールの1階にあった。平日はなかなかレコード店に立ち寄れなかったが、奇蹟的に時間が早いときや土曜日ごとにはだいたい必ず店に行ってマエハラさんにいろんな話を聞いた。ロックの話がほとんどだった。

 高校入学したての春、海外のミュージシャンといえばビートルズぐらいしか知らなかった僕をマエハラさんは軽く笑って、「ボブディラン知らんとね?」と言って『ボブディラン』と『傑作』というLPを渡した。
「ちょ、こっちに来てんない」
 マエハラさんは試聴コーナーでレコードをかけてくれた。ヘッドフォンから流れてくる「Knockin' on Heaven's Door」に僕はシビれた。現実には小学校のころに乾電池の両端にニクロム線をダイレクトにつなげてシビれたことしかないが、その曲はもう文字通り、感電してシビれるのとまさに同じ感覚だった。けれどライナーノートと歌詞を読んでもさっぱり意味はわからなかった。ボブディランを聴く人アルアルで、物憂げに腕を組んで、ほぼ意味がわからないのにふむふむとうなずいていると、マエハラさんは急にボリュームをしぼって
「どげんや? わかるやろ? な? わかるやろ?」
と言ってきた。これまたボブディラン聴く人アルアル、あるいは現代詩手帖読む人アルアルで、意味がわからないのに、「あ~、わかる、わかる」とだけ答えるとマエハラさんは「せやろ、せやろうも」と安心したようだった。そこで僕は、2枚のアルバムを並べてそれぞれジャケットを指差しながら試聴の初めから気になっていたことを聞いてみたのだった。

「ところでさ、この人とこの人はどっちがボブディラン?」

 ボブディランの後はストーンズだった。マエハラさんが「スティッキー・フィンガーズ」を見せながら「すごかやろ。下半身。ジッパー。これ、本物たい。ほれ、開け閉めできるやろ。開けてんない、開けてんない」などと言って、ヘッドフォンをかけるように促した。
 1曲目の「ブラウンシュガー」にこれまた僕はシビれた。自然と体を揺する僕を見てマエハラさんはまたボリュームをしぼって
「ストーンズはくさ、ブラックミュージックば取り入れとうと」と言った。ひとしきり聴き終わって、僕はまたもや試聴しながら気になったことを聞いてみた。

「このA面のユーガッタムーブとさ、B面のシスターモーフィンはどっちをミックジャガーが歌っとうと?」

 そうして僕のロックンロールは始まった。

 


この記事が参加している募集

スキしてみて

サポートあってもなくてもがんばりますが、サポート頂けたらめちゃくちゃ嬉しいです。