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STAND BY ME #1

 エガシラケージ先生がやってきたのは、たしか僕が小学校2年になったばかりの頃だと思う。
 鹿児島に母と姉と3人で暮らしていたが、男手がなかったせいか、それとも大嫌いな叔母との喧嘩の影響からか、僕はとてもわがままな子どもだった。怒り出すと誰も手がつけられなくなった。カッとなると後先考えずに周りの物を手当たり次第に壊したりした。壁に穴を開けたり窓もよく割った。
 母は心底疲れていたことだろう。
 詳しいいきさつは知らないが、鹿児島大学の学生に週2回ばかり家に来てもらうことになった。落ち着いて宿題とか勉強をやらせることが目的の家庭教師ということのようだったが、実質は、手に負えない僕の面倒をみることだった。

 ケージ先生は、目がグリッとしていて、眉毛が太くて、やせているのに野性的な感じのする大学生だった。長髪で、背が高くていつもラッパのジーパンをはいていて、当時流行っていた『太陽にほえろ』のジーパン刑事みたいでかっこよかった。大きな目をまっすぐにこちらに向けて、深くうなずきながら話を聞いてくれた。
 おもしろい話をたくさん知っていて、飛行機が飛ぶわけや、夕焼けが赤いわけや、宇宙服を着ないで月に下り立ったら血が沸騰するんだとか、大学生は毎日遊べるよとか、次の『太陽にほえろ』のストーリーはこうだとか、『ムーミン』は必ず見た方がいいとか、万博は未来の世界みたいで楽しいものだとか、おもちゃなんかにもカドミウムナドノユーガイブッシツが含まれているから口に入れたらだめだとか、ノストラダムスの大予言ははずれるとか、桜島と開聞岳と富士山みたいなきれいな形の山は世界中を探し回ってもないとか、僕の知らない世界を、まるで見てきたかのように話してくれた。
 実際、そう言われて『ムーミン』のアニメはきちんと見るようになった。今でも覚えている話があって、最終回だったかどうかは忘れたが、ムーミン谷に厳しい冬が訪れるという話だ。

 ムーミンたちは冬眠の準備に入る。寂しくなっていくムーミン谷。スナフキンは冬眠しないので、ムーミンたちとお別れしなければならない。
 いよいよ吹雪き始めて、スナフキンはムーミン谷を去っていく。そのときムーミンは、慌てて家に戻ってスナフキンへのプレゼントを取って後を追いかける。その贈り物は、離ればなれになっても、持っていたら必ずまた会えるというお守りだった。
 なんとかスナフキンに追いついたムーミンが、
「スナフキン、これ、お別れした人と必ずまた会えるっていうお守りなんだ」
と言って、お守りをスナフキンに渡す。
「スナフキン、また僕たち、きっと会えるよね」
 するとスナフキンが、泣きながら言うのだ。
「ムーミン、本当にこれは効き目のあるお守りだね」
「え?」
「だって、ほら、こうして今、また、僕たちは会えたじゃないか」

 もう50年近く昔のことで、はっきりした内容はおぼろげになっているが、子供心ながら泣けてしまった。だって、お守りの効き目でムーミンとスナフキンがもう一度会えたということは、「また会える」という効き目をこのときに使ってしまったということで、つまり二度と会えないということじゃないか、と思ったからだ。
 全ての物事には必ず始まりと終わりがあって、意味や理由があること、自分の周りにはいろんな風景や出来事があって、そこには喜びや悲しみが散らばっていること、つまり世界そのものを、ケージ先生は教えてくれた。
 僕はそんなケージ先生が大好きだった。
 けれど、じゃあ勉強を始めようとなると、僕は途端に暴れ出した。体ごと突進していったり、パンチしたり、組みついていったりした。ケージ先生はそんな僕をつかまえて優しく引き倒して、諭したり、叱ったりした。ケージ先生は本物の先生ではなかったけれど、そういう先生だったのだ。

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