SDGs探究講座 「童 夢」 5時間目 ~ SDGs・探究への招待 #043 ~

5 「正義」について

 唐突ですが、みなさん、吉野弘という詩人の「夕焼け」という詩をご存じでしょうか? 中学校の教科書などにも掲載されてる有名な詩です。こんな内容です。

 夕暮れ時の満員電車に若い男の子と娘が乗っています。席が空いたので2人は座りました。
 お年寄りが立っていたので、娘はうつむいていましたが、席を譲ります。次の駅でお年寄りは何も言わずに降ります。空いた席にまた娘は座ります。
 するとまたお年寄りが前に立ちます。娘はうつむきます。でもまた席を譲ります。今度のお年寄りは礼を言って次の駅で降ります。空いた席に娘は座ります。
 するとまたまたお年寄りが娘の前に押し出されてきます。でも娘はじっと体をこわばらせて下唇を噛んでうつむいたまま席を譲りませんでした。

という内容です。

 さて、いまの詩の内容を踏まえて、あらためてみなさんにうかがいたいと思います。

 教室や校舎の廊下にころがっている汚いゴミ、自分が捨てたわけではないそのゴミを、来る日も来る日もあなたは拾えますか?
 あふれかえりそうなゴミ箱、自分が捨てたのはたぶんガムの包装紙たった1枚、自分だけのせいじゃないそのゴミ箱の中身を、毎日毎日あなたは交換できますか?

 「そもそもゴミをその辺に捨てるやつが悪い」と言うことはだれでもできます。みんなそう思っています。そういう人がいなくなればいいんでしょうね。でも現実は、そういう人たちを改めさせることが最も難しいということもみんな知っています。

 だから「誰か」ではなく「私」がゴミを拾うんです。「誰か」の捨てたゴミを毎日毎日「私」が拾うんです。

 それはいやですか? いやなら腹を立てないことです。「夕焼け」の詩のなかの娘のように、「やさしい心」に責められながら毎日を過ごしましょう。私は個人的には、毎日サッとゴミを拾えることよりも、またはさわやかに迷いなく席を譲ることができることよりも、それができなくて「やさしい心」に責められることの方が大切だと思っています。

 今度は少し視点を社会に広げて見てみましょう。
 例えば、東日本大震災の後に、震災で出た福島第1原子力発電所の、放射能に汚染された廃棄物や土を全都道府県で分かち合うべきだという意見がありました。一方でそれは困る、うちの地域に持ってくるな、という意見もありました。そんな議論が落ち着いたころ、横浜市のいくつかの中学校の倉庫に一部保管されていることがニュースになりました。みなさんはどう考えますか?
 また、数年前の出来事ですが、保育園が少ないという怒りの声(?)がニュースで取り上げられ、世論が「そ~だ!そ~だ!」と言い出して慌てて各自治体が保育園をつくろうとしました。ところが、いざつくろうとすると、ある区などでは「ウチの近所に保育園を作るな!」と、建設予定地周辺の住民による反対運動が起きました。10代のみなさんは、このことと、これをめぐっての大人たちの様子をどう思いますか? ついでに保育園入園の抽選に外れてしまいとても苦しんだある大人が、「保育園落ちた。日本死ね」とツイッターでつぶやき、保育園不足に苦しむ声として国会で取り上げられました。みなさんは、保育園不足の問題についてどう思いますか? それから個人のツイートを国会で取り上げることをどう思いますか? また、「日本死ね」と言う日本に住む大人をどう思いますか?

 理想を唱え謳うことは誰にでもできます。でも現実を変えることはほんの少しのことでさえ難しい。

 それぞれの立場の人たちのエゴが一気にむき出しになって潰しあうからです。まさに「囚人のジレンマ」ですね。だからニヒリズムは、現実に対抗できるほとんど唯一の良心なのかもしれないとも想います。それにしてもみなさん自分だけは当事者から除外しておいて、「こんなことはいかん! おかしい!」と当事者並みか当事者以上に厳しくおっしゃっているようにしか見えません。それともみんなイベントが大好きなんですかね。派手なプラカードを掲げて「コー・キュー・ヘー・ワッ! セン・ソー・ハン・タイッ!」を叫ぶことと、誰かが捨てた教室のゴミをそっと拾うことと、あなたはどちらの矛盾を克服することから始めますか?

 老人に席を譲らなくなった娘をあなたは責めますか?
 うつむいて、下唇を噛んで、美しい夕焼けも見ない娘に、「老人には席を譲れ! 大切にしろ!」と責めますか?
 それとも隣に座っている若者の方を責めますか?
 または老人に対して「娘の前に立つな」と言いますか?
 それとも鉄道会社に「一人も立たないで済むように100両編成の電車を1秒間隔で動かせ!」と文句を言いますか?
 で、責めるあなたは、または善悪をジャッジするあなたは、どこからその光景を見ていますか? あなた自身はどうしますか?

 詩人は、おそらく娘の心の中からこの光景を見ています。詩人は、ただ娘の苦悩に共感しているだけです。で、あなた自身は、誰がいけないとか、こうあるべきだとか、こうすればいいのにとか、高みから結果論的に考えますか?

「なんで自分だけが……」

 私は、そう思うことは少しも悪いことだとは思っていません。悪いことだと思うのは、自分だけは一段高みに我が身を置いて、汚れがつかないようにしながら、ごもっともな理想や正義を振りかざすことです。不謹慎狩りもヘイターもクレーマーもそういう場所から生まれます。みなさんも高校生、大学生なのですから、正義の醜さだって知りましょう。
 専制政治が民主制から生まれるなんてことは、紀元前から言われていることです(プラトンの『国家』という本に書かれています)。ファシズムは民主主義の対極にあるのではなく、民主主義の産物だということを心にとどめおいてほしいと思います。
 正義って、何なんでしょうね。

 5時間目はここまで。そこのあなた、立ち歩かない!


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