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ロックンロールの教科書

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不定期に配信します。ロックにまつわる小説仕立てのエッセイ集です。
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記事一覧

ターンテーブルに針を落として(1)

ターンテーブルに針を落として(1)

1 ロックンロールが始まる!

 1981年、僕は高校生になった。

 当時、父は沖縄で公認会計士をやるかたわら、博多でオサダレコードというレコード屋を営んでいた。その店の店長がマエハラさんだった。
 見た目が年齢不詳で、同じクラスのヨシトミなんかはマエハラさんのことを「死神博士」と呼んでいた。そういうヨシトミは、後にヤンマガに連載され映画化もされた「AKIRA」に出てくるラボの26号、タカシにそ

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ターンテーブルに針を落として(2)

ターンテーブルに針を落として(2)

2 PUNKS NOT DEAD!

 当のマエハラさんは、CSN&Yとかグレイトフルデッドとかが一番好きだったようだ。さすがヒッピー、ウッドストックの話も、まるで見てきたように繰り返し話してくれた。
「ここでくさ、雨が降るったい。そしたらみんな『No Rain! No Rain!』て叫ぶっちゃ」
「へ〜っ」と感心して「で、雨はやむと?」と聞くと
「それがたい、ほんとにやむっちゃんね! 奇蹟やろ?

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ターンテーブルに針を落として(3)

ターンテーブルに針を落として(3)

3 & Rock’n Roll !!(気持ちだけ)

 高校を卒業した春、マエハラさんはナガセと僕を大橋駅に呼んだ。
「高校卒業のお祝いばしちゃあたい。友だちの店に行くけん」
 マエハラさんはそう言って九大の芸術工学部のすぐ向かいの「田圃鈴(たむぼりん)」という喫茶店に僕たちを連れて行った。
 僕らが入ると、マスターはすぐに店を閉じてレースのカーテンを閉めて明かりを暗くした。申し合わせたかのように

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ターンテーブルに針を落として(最終回)

ターンテーブルに針を落として(最終回)

4 ロックンロールは終わらない!

 博多での大学生活をひととおり終え、高校のころからどうしても文学部というところがどんなところか知りたいと思っていた僕は、新たに大学の編入試験受験して東京の大学に行くことになった。バイクごと船で上京することにした。
 出発の前日、店に行った。マエハラさんはいつもと変わらない様子だった。僕が上京することは父から聞いて知っているはずだった。何て言えばいいかわからずに何

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ワイルドサイドを行け #1

ワイルドサイドを行け #1

 ロックとポップスの決定的な違いは、かっこよく言えば、毒があるか否か、アンチであるか否か、怒りがあるか否か、という点だと思うわけです。もっとよく言えば、少年たちの永遠の夢の世界を体現しているのがロックかと思います。
 ですから、例えば「大人のロック」なんていうフレーズもありますが、「大人」だとか「親」だとか、「世間」「社会」「会社」「先生」「学校」「警察」「政府」「国家」「法律」といった、大小を問

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ワイルドサイドを行け #2

ワイルドサイドを行け #2

 誤解を恐れずに申し上げますれば、文学にとどまらず全ての学問は、既存のシステムに対するアンチテーゼであります。ですからよいこのみんなはけっして学問なんかしてはいけませんよお。あれはわるいこがもっとわるいこころをもつためにするものなのです。

 ところで、その「わるいこころ」とは何か?

 「わるいこころ」すなわちあらゆる物事を疑って見るという姿勢です。これを別名知的好奇心と呼びます。バンドマン同様

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ワイルドサイドを行け #3

ワイルドサイドを行け #3

 さて、これまで述べましたとおり、ロックは中身のないただのかっこつけです。

 しかしながら、かっこつけはとても大切です。 なぜなら、他者の視線を自己に内在化する最も初めの段階が、かっこつけだからです。多くの人が自我に目覚め始める思春期にかっこつけし始めるのもうなずけます。
 自我に目覚める、というのは、他者を意識することに外なりません。言い換えるならば、自己を俯瞰する試みであり、その初めの一歩が

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ワイルドサイドを行け #4(最終回)

ワイルドサイドを行け #4(最終回)

 みなさん、おわかりでせうか?

 つまり、かっこわるいダサいヤツというのは、かっこつけしないヤツのことなのです。かっこつけないヤツがかっこよく見えるわけがない。

 たまに
「おれはかっこなんて気にしない」
なんてかっこつけているメタ認知のメの字すら持ち合わせていないB層的な可燃ゴミがいますが、かっこつける努力もしないのに「天然かっこいいヤツ」なんているはずがありません。
 もしいたら、おまえは

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