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ライブハウスの歴史

 昨日の記事をご覧いただいた方、ありがとうございます。まだ、ご覧になられていない方は、SouLが何者なのかを知っていただくため、ぜひご一読ください(所要時間3分)。

 2020年現在、新型コロナウイルスによって、ライブハウスをはじめとして音楽業界は変革を求められています。そもそもライブハウスにはどのような歴史があるのでしょうか。今回は、ライブハウスの歴史について綴りたいと思います。
 読み終わった時には、ライブカルチャーの発信地は、常に形を変えながら、今日のライブハウスになったことがお分かりいただけると思います。(今回の記事は、宮入恭平著『ライブハウス文化論』青弓社を基に作成しています。)

1.ライブハウスの歴史ージャズ喫茶ー

 物事には、諸説あるものですが、日本のライブハウスの起源は、第二次世界大戦後の進駐軍に向けたクラブだといわれています。当時、進駐軍クラブでは、ジャズ、カントリー、ハワイアンが演奏され、生活の糧を得る職業としてのアーティストが多く存在していました。
 進駐軍の撤退後、アーティストはジャズ喫茶へと移り、日本人に向けて音楽を演奏しました。ジャズ喫茶は、発信者としてのプロのアーティスト、受信者としてのオーディエンスという単純な構造で、アーティストとオーディエンスには明確な一線がありました。当時、ジャズ喫茶では「コーヒーより商品としての音楽で収入を得る」というスタイルも普通のものでした。
 その後、1960年代にカレッジ・フォーク、エレキブームなどの影響で、アーティスト活動が民主化され、職業としてではない“アマチュアアーティスト”が多く誕生しました。そうして、ミュージシャンは増加しましたが、演奏の場は限られていました。

2.ライブハウスの歴史ーロック喫茶ー

 テレビの登場により、芸能プロダクションが誕生すると、ジャズ喫茶は芸能界のシステムに組み込まれていきました。そして、ジャズ喫茶で演奏していたアーティスト達は歌謡界へと移り、職業・商業活動としての音楽の道を進みました。
 そのころ、世間では、欧米を源流にもつカレッジフォークに対して、自分たちオリジナルの歌を重視する“関西フォーク”が誕生します。東京では、“商業活動の音楽”に対するカウンターカルチャーとして”ロック”が流行り始めます。
 そして、ロックアーティストの演奏の場、ロック好きとヒッピーの集いの場として”ロック喫茶”が誕生します。ロック喫茶では、喫茶店やバーの飲食で収益をあげていたため、商業活動(飲食)と文化活動(演奏)は分けられていました。
 その後、ロック喫茶は形を変えて、1963年にライブハウス“大阪バハマ”が誕生し、今日のライブハウスにつながっていきます。

3.ライブハウスの歴史と今後

 様々な形でアーティストが増え、ジャズ喫茶、ロック喫茶、ライブハウスと形を変えながら演奏の場が増えていきました。今日では、アーティスト活動は、経済活動より文化活動としての色が強くなり、ライブハウスのビジネスモデルも飲食ではなく、チャージ(チケット)がメインになるなど変化を遂げました。
 2020年現在、新型コロナウイルスによって、そのライブハウスもネット同時配信youtube投稿など、ライブカルチャーの次なる発信地の形を模索し始めています。
 私たちSouLは、次世代のライブカルチャーの発信地として、オンラインライブハウスを作るべく活動しています。Twitterやnoteで引き続き情報発信をしていきますので、応援のほどよろしくお願いします。

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