今のままで幸せだと思うことは、なかなか難しい

娘ちゃんが言う

「ママ、家でのんびりしたいよ」

彼女ののんびりしたいを翻訳すると、

放課後毎日学童に行き飽きちゃってるから

学童に行かない毎日を少し体験したい。ってこと。

で、私は答える。

「あと1年したら学校の後何もない生活になるよ」

そう。あと1年で小学生が終わる。

自動的に学童はなくなる。

「学童なくなったらどうなるのかな?」と言うので

「ただ学校行って帰って来てその後自由。好きなことやればいいだけ。」と返事した。

そしたら

「する事決めてもらってやる方が楽だなー」って。

そう。

その通りだ。

誰かがやることを8割がた決めた世界で

嫌な時は文句言って

残り2割の時間で少々自分の好きなことをする。

それはとっても楽ちんで幸せな事。

その中にいてそれに気が付く娘はスゴいと思う。

そのまっ只中にいて幸せに気が付くって意外と難しい。



誰かにやることを8割がた決められた世界は

自分で生きていることにならないと捉え

自分の世界を自分で作る事こそが幸せ。

という風に考えたりする世界観もあったりするが

必ずしもそうではない。と私は思う。

与えられた世界を楽しめるなら

それは特技であり才能だ。

何も恥じることはない。

人が決めて準備した世界であろうと

とことんそこで生きていることを楽しめばいい。

そう思う。

私にとって

育児は子供にやることを8割がた決められるような

そんな感覚の頃があった。

そんな感覚があった頃は

やることを誰かに8割がた決められ世界は

自分で生きていることにならないと捉えていて、

育児がツラくて仕方なかった。

多分私には

やる事を決められた世界を楽しむ才能があまりない。

だけど、

やることを決められた世界がなくなるかと思うと

そんな私でもツラさとは違う感情が自分の中に湧いてくる。

逆に言えばそこまでこないと

そこにある幸せに気が付かないとも言う。

私にそれを気が付かせる娘はスゴいと思う。

そのまっ只中にいて幸せに気が付くって意外と難しい。


https://ameblo.jp/tamago-o777/entry-12660502722.html

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