完成データ小

SOUKIの長い歴史

SOUKIは現社長の曾祖父が90年前に立ち上げた出張靴下工場(でばりくつしたこうじょう)が始まりです。
当時は、農家の副業として納屋で手回し編み機を使い、くつ下を製造していました。

創喜道具①

奈良広陵町には同じように靴下を作る工場が多い時には200社ほどあり、
軍需品としての靴下の需要も追い風となって、くつ下産業は伸びていき、
生産の各工程を親戚同士で分担しながら、くつ下の生産を行っていました。

50年前

戦後の高度成長期には出張靴下工場は子供向けのくつ下いわゆる「中子の靴下」を得意として、ダイエーのような大型スーパー向けに生産していましたが、海外生産の安いくつ下が増え、価格競争が厳しくなっていきます。

広陵町のくつ下メーカーはどんどん減っていき、
創喜もくつ下ではなかなか生計を立てることが難しくなり、一度は靴下作りをあきらめた時期がありました。

20年前

働いてくださっていた従業員の方を解雇し、現在の会長(社長の父)と専務(社長の母)の二人だけになり、外部の方と共同経営の会社をしていたそうです。

その時、くつ下の機械を改造して作る膝のサポーターや洗顔ミトンといったアイディア生活雑貨の生産に舵をきりました。

広陵町のくつ下メーカーは、OEM生産が主流です。
いろいろなメーカーからのくつ下を大量受注を受けて、大量生産していました。消費者の好みが多様化する中、OEM生産も多品種・少ロットにシフトしていきます。

そのような中、15年ほど前に屋号を「創喜」に変えて現在の社長が工場を手伝うようになったころ、
メーカーの方から「ローゲージの靴下」を作ってほしいと申し出がありました。靴下作りは殆どあきらめていた時に、こういう靴下ならほしい。との助言をいただく機会があり、少しづつ靴下の生産を再開していったのです。

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5年前

会社を法人化しました。

創喜の名前は創る喜びと書きます。

かつて、子供用の靴下を作っていた時のことを、よく専務(社長の母)が話してくれます。

その当時は値段が優先で作る。売る値段が決まっていて、それに合わせてなるべく安く作るだけだった。もう少し十分に糸をつかったら、もっと良い製品ができるのにと感じていた。
作り手が創る喜びを感じて、その製品を喜んでもらえるそんなものを製造していこう。

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現在は、生産量の7割ほどがくつ下に。OEMの生産もたくさんしていますが、本当に自分たちが作りたいもの、技術を生かしたモノづくりをしようと「Re Loop」や「SOUKI SOCKS」、「aiamu」など、プライベートブランドの靴下も生産しています。

もちろん、くつ下の機械を改造して作る膝のサポーターや洗顔ミトンといったアイディア生活雑貨を作っていた頃の技術を生かしたモノづくりも行っています。

SOUKIでは日よけのアームカバーやネックウォーマー、レギンスなども作っていますが、そのころに改造した靴下編み機の技術の応用です。

【SOCK-FACTORY-SOUKI】画像①

それらを開発していた会長は今も毎日ドライバーを持って、古い機械のご機嫌を取っています。

「消費者の方と直接にお話しする機会もでき 喜んでもらえたら作っているものの冥利につきる。大変なことがあっても、そのことがあると吹き飛んでしまう。」

と、眉をさげていってます。

長年培った技術や、知識を存分に使い商品に落とし込んでいく作業は、しんどいけど、たかが靴下、されど靴下であって 

そこで生まれてくる商品をみるのはうれしい喜びです。

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