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【自己否定】と【自分に優しく】の本当の意味

身体感覚からのアプローチで生きづらさを卒業し強みで働く
HSPのための自律神経ケア×強みプログラム
そういう個と。主宰の皆川公美子です。

私皆川がお一人おひとりに深く関わり
「感覚疲労や生きづらさから卒業していく」を目指せる第14期は
お申込み締め切り、グループセッションスタートまで1週間を切りました。

カモメスタイルは満席、ハチドリスタイルはあと少しお席があります。

私皆川が対人援助職のための支援業務を拡張するため、
第14期をもって新規開講を一時休止させていただきます。
これまで迷われていた方がいらっしゃいましたら、ぜひこの機会にご参加ください。




さて今日のテーマは【自己否定】と【自分に優しく】について。
ご自身が長年強い自己否定感を抱えてきて

この、一見謙虚で良心的に見えるこの『わたしなんか〜』という自己否定は
実は危険な落とし穴があるってことに気がついた

自己否定することで安心してはいけないという事実。
そして自己否定の根底には
”いつも人のせいにできる”という無意識の魂胆が眠っている。

自己否定には自分を被害者にできるメリットがあるよねということを
気づきとして綴っている方がいらっしゃいました。

そしてさらに重要なこととして

・この無意識の心理を、実は人って敏感に感じ取っている
・人が最も他人を嫌う瞬間は、目の前の人に自分が怖がられていると思った瞬間

なのだということも綴っておられました。
これ、とてもインパクトのある文章ですよね。

自己否定による自分への憐れみは確かに一時的な癒しをもたらす。
けれどもそれは不幸を引き寄せるよね、としたうえで
自分を傷つけることから卒業しますということを
最後に宣言しておられました。

本当に心を打つ素晴らしい記事です。
その方の気づきのきっかけがなんだったのかはわかりませんが
自分の奥底の気持ちに気がつくのは難しいことですよね。

そして表層の意識では、
被害者にメリットがある、なんて思ってない。
自分を下げて自分を被害者にできるだなんて思ってないですもんね。

たとえば「わたしなんて・・ね」という方は
とても優しい人で、
自分のニーズを出さずに相手に合わせてじっと我慢しているような
(いや、我慢しているとは表層意識では思っていないですが)
本当に良心的な人物像が浮かび上がってくるような気がわたしにはしています。

今回はこのことについて「そいういう個と。」視点で書いてみようと思います。

今回言及したいのは、その記事の最後の文章です。

とはいえ、自分に優しくしてあげて、
なんて生っちょろい自己啓発なんかじゃ歯が立たないよ。
こっちは数十年間自分自己否定で鍛えられているんだから。
自分に優しくしてじゃなくて、
優しくしないとこんな恐ろしいことがあるよという
トラウマをもたらす系のアプローチに変えないと変わらない。

というふうに書かれていました。

ここが少し気になったので
ちょっと突っ込んだ話をしてみようかなと思います。

否定的なことではありません。
でも否定的だと受け取られることもありうると思い、あえて出典を明記しないでいようと思います。
癒しのロードの道筋を読者の方にお伝えしたいだけなので、お許しください。




自分に優しくするって、実際どういうことなんでしょう。

この筆者の方が
今そう思われてるということに関してなんの否定もありません。

ただ、【自分のに優しくする】
これが実際どういう物事の質感なのかがわかってくると
それはまた癒しが起こり、強みへの近道にもなることが多い。

この【自分に優しく】って
本当によくわかんない文言だなって私も昔は思ってました。
自分を愛するとか、自分を好きになるとかも同じですよね。
全然意味わかんない。

自分っていうのは主観を持った自分ですから
自分が自分を好きになるっていうのは
自分が他者を好きになるような感じで好きになることはできないですよね。

それがリアルな意味で実現するとしたら人格としてはっきり分かれていて、ここまでの経験を共有していない別人が
何人も自分のなかに存在するという意味での、多重人格(この言葉は現在は専門的にはあまり使いません。解離性同一性障害と言います。)になると思います。

この自分を好きになるとか、自分に優しくするということの本質は
他人に優しくするように扱うのとはちょっと違う
んですよね。

例えば、ひとつひとつの日常を丁寧に扱う

どういうことかというと
例えばワークをやってもいいし、
日頃の暮らしを丁寧にしてもいいんですけれども
何か自分の身体と動きを丁寧に扱ってあげることから始めるとやりやすいと思います。

自分のことを丁寧に扱うということは、
例えば、日頃の中でお茶碗やコップを丁寧に拭くとか
ドアを丁寧に閉めるとか
目の前にある美味しい晩御飯を丁寧によく噛んで食べるとか。
そういうことです。

これって納得しやすくないですか。

つまり、自分の動作に対して意識を向けるということですよね。
丁寧にやろうと思ってやった丁寧な行動には満足感が湧くと思いませんか。

満足感が湧いて、掃除を丁寧にできた部屋の一角に
何か素敵なお花やオブジェを置いて、これを愛でることにした。
これもめちゃめちゃ丁寧な生活ですよね。

こういうことを積み重ねていくと
自分の中に自分が丁寧に扱われているような満足感が生まれてきます。
別に人にやってることじゃないけれど
そういう効能がありそうだなというのは何となくわかりますよね。

その自分が満足してくる満たされてくるっていう充実感を感じて過ごし
ある地点で振り返ってみると、
自分が穏やかな空気の中に生活できているとか
美味しいものを美味しいと思って満足する量だけ食べられたとか
そういうような充足感のある生活をしている自分に気づくと思います。

そんな中で自分の存在が
だんだんと何となく愛おしく感じられてくるのではないでしょうか。

この愛おしい感じ
他人を愛するとか、I like youとはちょっと違いませんか。
だって自分を分けることできませんもんね。


心と身体のつながりの感覚

そういう愛しい感じを感じられるようになってくると
今度は自分の身体の感覚が正直に、あらわになってきたりします。

それができてくると身体の調子が良くなったり
喉が通る感じ、お腹がとても軽い感じ、息がしやすい感じ…
そういうものを感じられるようになってくると思います。

身体の状態が変わってくると、振り返ったときに
なんか自分自分のこと好きな気がする、
意味のわからない自己肯定感があるような気がする、
そういう言葉が出るようになるんですよね。

これが自分に優しくするという質感です。
DOじゃないんです。
何をするか、じゃないんです。
どのようにあるか、の話です。

振り返ってみると
なんだ、私自分にすごい優しい生活できてるなって
頭で理解するんじゃなくて
体感でほんわかした感じっていうのを感じることができると思っています。

これが自分に優しくの質感。

何かをするんじゃなくて、こういう状態のことを言ってるんですよ。

自己否定から卒業するために頑張らなくちゃ
っていう気持ちはすごくよくわかる。

でもそんなに頑張らなくていいんですよね。

日々の自分の扱いを丁寧にしてると
やっぱり少しずつ圧倒感があって解離してた自分に気づいたり
トラウマの痛みが浮き上がってくるときもあります。


今まで見ないことにしてきた「痛み」があがってきても大丈夫

そういうときには、
ちゃんとセッションを受けてそれを乗り越えていくと
神経の耐性領域が上がっていきます。

個人の心の痛みは
「は〜〜〜い!全員これをやって!」というような
ラジオ体操とかYouTubeで伝える理論のようなものでは解決しないことがほとんどです。

だって個人の歴史には、あなたにしかわからない痛みや経験があるから。

それを自分ひとりで深く理解するのは大変なことで
自分に意識を向けていくことをプロの技術でサポートするのが
対人支援者だというわけです。

耐性領域が広がると
ちょっとした痛みは一緒にいられる、耐えられるようになっていきます。

私達はルール内で何かを「する」ことばかり教育されてきているので
どのような状態に自分が身体ごと移行するかに意識向けにくいですよね。
「今日どんな感じ?」と学校で体調に意識を向けられるような問いかけを
されたことがある人はいるでしょうか?
いませんよね。

だから身体に体験させていくという経験が必要なわけです。

強みが発揮される出発点は、心の痛みの卒業〜尋問ではなくて、気づきが大事

本当は幼少期にそういう体験をいっぱいするべきだった。
そして身体と心のつながりをもっともっと体験し、理解し、
満足するカラダとココロの状態を知ってから
社会にでるべきだった。
だけど、何かの理由によってその回数が少なかったというだけです。

その何かの理由については、別に見たくないときは
無理やり掘り起こさなくてもいいと私は思います。

今身体に再教育していくっていうことをやっていく、
そして、自分がつまづいた理由をわかって納得するっていうことがしたければ
もちろん愛着(アタッチメント=自分が幼少期に
まわりに対してどのようなことを感じ、
サバイブのパターンをつくったのか)のことを
ちゃんと見てあげればいいわけで
そこを見てあげると身体の方もマインドの方も連動してます。

これがこうなんだなって気づきがあってここが苦しいなと思ったときには、それをセッションや何かに参加することで
やっていけばいいと思うんですよね。

トラウマへのアプローチは、厳しい尋問のような世界じゃありません。

厳しく追求しても、いいことはおこりません。
あなたこうこうですよね、ここでこういう傷つきを経て
今こういうことになっちゃってるんですよねと指摘するだけ、
というのは最悪です。

明るく伸びていこうという気持ちや
自発的な活力が上がる感じを実現できないと人って伸びていきませんよね。

ただ、尋問はいらないけど
自分に向き合うスペースが確保される、気づきは必要です。

そうか、自分はこういう性格で
一生この不便な自分で生きなきゃいけないと思っていたけど、
幼少期かなにかの闘争によって起きたパターンなんだ、
もっと自分をのびのびと活かせる状態というのがあるんだ!
それは神経の活性度を扱っていけるようになればいいんだ!
ということを理解していただくことが必要です。

そのうえで本当の意味で身体がリラックス状態を
ちゃんとインストールしていくと、
神経の過敏や不安な状態はかわっていくことが多いです。
もっと自分に優しくする自分の体感をちゃんと自己調整できるように、
自分をなでなでしていくっていうことが大事です。

まだできてないじゃないか
まだここが足りないじゃないか

これは自分に鞭打ってますよね。
そうじゃなくて逆なんです。

そんなことで苦しかったんだね
親にこう言われたときに悲しかったよね。

これを自分に本当の意味で、言ってあげるんです。
自分の親になれるのは
自分だけです。

これができるようになったときに、その人は本当に自律神経的にも自己調整ができるようになり、トラウマから卒業して

頑張らなくても、私結構自分のこと好きかもしんない

みたいな状態に移行しているということです。
これが強みで生きる出発点になります。

もう頑張らなくてもいいよね。

あなたはもう十分頑張ってきたし、
よくここまで頑張ってサバイブしてきたよね。
ということなんです!



自己理解と神経系のトレーニングに取り組み
繊細さに振り回されない境界のある自分になりたい、と思う方は
そういう個と。プログラム第14期でお待ちしています。

そういう個と。プログラムは第14期受付終了後、
新規開講を一旦休止しますのでこの機会のご利用がおすすめです。

月に一度のグループセッションは日曜お昼
12/8 , 1/19, 2/16, 3/16, 4/20, 6/1 13時~16時となっています。


防衛反応を解除して、強みを活かせるサステナブルな自分へ

【知識】と【体感】の両輪による学びで
HSPとしての資質を強みにして生きる人生に
シフトチェンジしましょう。
自律神経を扱うと、「感じ方から変わっていく」ので不思議です。

いくら「その行動をかえろ」と言われても
身体がイエスをだしていないことは「できない」のです。
毎日を「気楽に」「安心して」「丁寧に」楽しめる自分でいるための秘訣が
このプログラムにはつまっています。


これまでの「そういう個と。」プログラム修了生の声
プログラムに参加された方たちが、どのような変化をとげられたのかをこちらのマガジンでご紹介しています。
行動を変えるまえに、考え方を変えるまえに、感じ方がかわっていく体験をどうぞ。無理に変えるのではなく、自分本来の姿に柔らかく戻っていくのです。


そういう個と。公式LINE
そういう個と。プログラム参加募集のご案内や
少人数のイベントなどはこちらで優先的にお伝えしています。

また、HSPさん3大強みの簡易診断を無料プレゼント中です。
自分の強みはどれなんだろう…?と自分のタイプが気になる方は
まずは簡易診断をやってみてくださいね。選択式、5問で終わります◎