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平安時代のエンタメ音楽「雅楽」とは?~現役雅楽演奏家・講師が解説~

こんにちは。陽雅会主宰で
雅楽演奏家・講師の

山口創一郎です。

僕は現在、雅楽演奏家・講師として

「雅楽って面白い!楽しい!」を伝え、


「雅楽を通して日本人が大切にしてきた和の精神」


を構築することを仕事に


演奏活動やお稽古・体験事業・講演などを

関西を中心に活動させていただいております。

そんなこんな、

本日は

そもそも「雅楽」ってなんなのか??

それを記事にさせていただきたいと思います。

日本の伝統音楽とはいえ、

学校教育でもほとんど習ったことはないでしょう。

学校では「西洋音楽史」「西洋楽器」ばかりを教えるのに

「日本音楽史」「日本楽器」などは触れることは

比率でいうと9.9:0.1くらいでしょうか??

(西洋音楽に偏りすぎですねw)

今日はそんな、日本人の方でも

雅楽を全く知らない人でも

これを見れば日本・世界を通して一番古い

「世界最古のオーケストラ」

「雅楽」の歴史・楽器・教養などを知ることができる

そんな記事を書かせていただきます。
雅楽を全くしらない方・日本文化が好きな方
西洋音楽しかやってこなかった方

は是非この記事を読んで
雅楽を知っていただけたら幸いです!


LINEもやっておりますので、
是非興味があれば、友達追加して雅楽を共に

学んでいきましょう~♪


「雅楽」って平安時代の「エンタメ」音楽!?~伝来と歴史~


西宮ガーデンズ「Sakura Live」にて舞楽「蘭陵王」

「雅楽って敷居の高い堅い音楽・・・」

「限られた人しかやれない音楽・・・」

「宮中の中で見れる上品なもの・・・」

一般的なイメージってそのようなイメージが
強いかと思います。

しかし、それって明治以降・昭和の戦後以降に
植え付けられた価値観であって、

平安時代、雅楽はどう使われていたのか??

「貴族達のエンタメ音楽」

だったんですね!

今で言えば、「鬼滅の刃」や

現在流行中の

「東京リベンジャーズ」「呪術廻戦」

「SPY×FAMILY」「推しの子」等のアニメや

YouTube・ネットフリックスを見るであったり、

若い世代はYOASOBIやBacknumber
米津玄師やAimer
など
の音楽を聴いたりとしていますが、

こういった「娯楽」「音楽」「エンタメ」
として使われていたのが「雅楽」だったんですね。

明治に入る前、雅楽というのは
「雅楽」ではありませんでした。
(意味わかりませんねw)

「楽(がく)」と呼ばれ、
まだ西洋音楽が入っていなかった時代は

そもそも音楽は「雅楽」しかなかった。

明治に西洋音楽が入ってきたときに

「西洋音楽を国の正式音楽にせず、我が国で最も基準となる音楽を立てよう!」

そんな理念で、今の宮中で演奏される
「雅楽」となっていきました。

その伝来は主に三つありました。

1,日本古来から伝わっている「神楽(かぐら)」

神楽「其駒人長舞」2022年10月29日「さやま雅楽祭」より

神楽(かぐら)といえば、
神社で巫女さんが舞っていたり、

宮中の中で舞われている
「御神楽(みかぐら)」
などがあったりします。

起源は、古事記の時代、

最高神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が

弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の悪戯により、

岩の中に隠れる「天岩戸隠(あまのいわとがくれ)」をした際、

周りの神々によって天照を元気づける祭りを開催し、

その際にアマノウズメノ命という女性神が

乳房を見せるほどの激しい舞を舞ったことで
周りが盛り上がり、アマテラスが岩から出てくる
きっかけとなる祭りになったわけですが、

それが初めての神楽(かぐら)だといわれています。

(今でいうアイドルのポロリに近いww
そして現在の神楽ではそういったハレンチな表現はもちろんありませんw)

現在では歌に合わせ、楽器(篳篥・神楽笛・和琴)を伴奏に

演奏される形態ですが、

これが派生し、各地方で現在も伝わっている
「里神楽(さとかぐら)」

お囃子(はやし)や各地の祭で使われている
横笛や太鼓で演奏しながら神輿をかつぐや

大阪のだんじり等様々な祭が神社で執り行われていますが、

その元祖となるものが日本古来から伝わる神楽(かぐら)
だったりします。

最近ではアニメの「鬼滅の刃」に出てくる
「火の上神楽」も
この神楽(かぐら)を連想して作られたストーリーの中の

「里神楽(さとかぐら)」として使われていたりします。
神楽で使われる歌はYouTubeにも配信しております。


2,中国大陸・朝鮮半島から伝来した楽器・舞・楽曲

舞楽「陪臚」(2022年10月29日 「狭山雅楽祭」より)

もう一つあげられるのが

奈良・飛鳥時代に大陸から伝わった
舞・楽器・楽曲などです。

聖徳太子が活躍した時代に
曽我氏と物部氏がとある思想を
入れるか入れないかで争いをしました。

それが「仏教」を取り入れるか取り入れないか

正確ではないものの、
この仏教を現在の中国や林邑(ベトナム・インド付近)から
入ってきた際に

楽器や舞・楽曲などが輸入されることとなります。

大体は中国大陸や朝鮮半島・
そしてベトナム・インド地方あたりから
入ってきたものを取り入れ、

それを東大寺の大仏開眼供養絵(だいぶつかいがんくようえ)などの
イベントで演奏することで

現在の雅楽の形になっていったといわれています。


3,平安時代の「ラブソング」や「祝いソング」であった催馬楽(さいばら)・朗詠(ろうえい)

謡物(2022年5月22日 ベトナム伝来の林邑楽~陽雅会第三回大阪公演~より)

奈良時代当時、貴族達の人は
「和歌(わか)」を使い、

現在の僕たちが連絡に使っているSNSや手紙として
利用していたりしました。

この「和歌」が後に進化を遂げるのが
音楽をつけて「歌」に変わっていきます。

朗詠(ろうえい)と呼ばれる漢詩に節をつけて歌い、
当時祝い事やおめでたい時に歌われ、

催馬楽(さいばら)と呼ばれるものは
当時の庶民たちが食べ物やお米などを
税金を納める為に馬に乗せ、

その移動中に暇だからふざけて歌い始め、
それを聞いた貴族たちが

「え??その歌めっちゃおもしろそーじゃん!」

と思ったのか、それに伴奏をつけだしたものが
歌になっていったのが催馬楽(さいばら)でした。

それが後に女性にも広がり、

平安時代、女性は自分の好きな男性に対して好意を伝えられず、
周りに悟られることも許されていませんでした。

その好意などの気持ちを少しでも和らげるよう、
自分で歌詞を作り、それをゆったりと歌うことで

誰にも悟られずにその気持ちを発散することができた。

そういった意味から、
ゆったりと歌う

「謡物(うたいもの)」

ができあがりましたが、

そういった人たちの

「祝いソング」
「ラブソング」

として、楽しんで使われた

「催馬楽(さいばら)」
「朗詠(ろうえい)」

というものが三つ目だったりします。

三つのジャンルが融合し、現在の「雅楽」へと


管絃(楽器だけの演奏)(2023年5月21日 How To雅楽?3rd)

日本古来から伝わっている 「神楽(かぐら)」

中国大陸・朝鮮半島から伝来した「舞楽や管絃・楽器・曲目」

奈良・平安時代に貴族たちのエンタメソング「朗詠・催馬楽」

この三つのジャンルが平安時代に融合していき、

現在の「雅楽」へとなっていきます。

伝来した当初はもっとたくさんの楽器があり、
尺八なども雅楽器だったといわれていますが

当時の頭のいい人たちが協議を重ねていき、
一番日本の思想や世界を表すという意味合いで

管楽器は現在
「鳳笙(ほうしょう)」
「篳篥(ひちりき)」
「龍笛(りゅうてき)」

の三つの楽器だけで演奏されます。

「雅楽」という言葉の始まりは??

雅楽という言葉の起源は
2500年前にさかのぼります。

初めて出てきたのは
中国の書物「論語(ろんご)」
の第十七陽貨という章の中で

出てきます。

鄭声(ていせい)の雅楽を乱るを憎む(論語 陽貨十七)

この時の「雅楽」というのは

もちろん現在日本にある雅楽ではありません。

しかし、雅楽とはどのようなものか??

それを考えることができる一文であったりします。

この論語の意味としては

「鄭(てい)の国の別の音楽を儀礼の中での
正当な音楽「雅楽」に交じっていることはあってはならないことだ。」

そういった意味が強かったりします。

雅楽とは何か??

その国の中で最も規範となる基準となる音楽のことを

現在では雅楽と言い、

日本では現在これが雅楽ではあるものの、

ベトナムでは別に国の中での
雅楽「ニャーニャック」というものがあります。

韓国では「国楽(こくがく)」

中国では数百年前に存在したものの、
現在は国の中でそういった規範となる音楽はないようですが、

基本的には国を代表する音楽、
それを「雅楽」と呼ぶのが通例だったりします。

(余談ですが、雅楽の楽器で現代曲を演奏すると
それは「雅楽」ではないので、気を付けましょう!笑)

日本においての雅楽の成立は「明治」以降!?

明治より前、日本にはまだ
宮廷音楽での「雅楽」というものはありませんでした。
(言葉は存在した。)

それまで音楽は鎖国されていた影響もあり、

現在の「雅楽」しかなかったため、
雅楽そのものが「楽(がく)」と呼ばれていたんでしょう。

しかし、明治時代以降、
日本には大きなムーヴメントがありました。

それは、明治維新後に輸入されてきた
「西洋文明」と呼ばれるものです。

この際に入ってきた音楽こそ、
「西洋音楽」と呼ばれるものです。

その際に、国の中の音楽と西洋音楽が混在し、
社会全体が西洋化する風潮が強くなっていき、

日本文化というものが忘れ去られる
そのような脅威が浮上しました。

その状況の中、当時のお偉いさん達や天皇陛下・
雅楽を伝承してきた
関西の三つの雅楽団体(京都・奈良・大阪)
を東京に呼び、

談義や協議などを繰り返した結果

「日本の中で最も基準となる音楽をこれにしましょう!」

と作られたものが「明治撰定譜」という譜面で残し、

これを「雅楽」と称するものになっていきました。

※雅楽以外の音楽は日本では俗楽(ぞくがく)とよぶのだとか。
ただし、今それを友達につたえたら嫌われますので、絶対やめましょうww
↓↓ちなみに明治撰定譜は下記より入手できます。

まとめ


●雅楽は貴族達のエンタメ音楽であり、教養であった。
●伝来は三つある
・日本古来から伝わっている「神楽(かぐら)」
・朝鮮半島・中国大陸から仏教とともに伝わった舞・楽器・楽曲
・奈良・平安時代にエンタメとして使われた歌(催馬楽・朗詠)
●これら三つが平安時代に融合して現在の「雅楽」になっていく。
●言葉は2500年前の「論語」という書物から登場する
・最も正しい・規範となる音楽(海外と日本の明治以降)
・明治以降に現在の雅楽が成立する

今日のnoteの内容はこんな感じになります。
次回は楽器について詳しく解説をしていこうと思います。

本日はここまで!

YouTube、やっております。
雅楽を無料で学べるので、お使いください!


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