お茶とは、私です

 茶の湯とはいったい何か、という問いを受けた遠州茶道宗家十二世家元紅心宗匠は、「お茶とは私です」とお答えになりました。私はその言葉を聞いたとき、遥か遠くの境きに達した存在にのみ許される発言に感じました。
 紅心宗匠は、小堀遠州を祖とする遠州茶道宗家にお生まれになり、かの世界を巻き込んだ大戦では学徒出陣され、戦後はシベリアに抑留された過去をお持ちの方です。家元を継ぐ際には号外が出るほどに世間を賑わせ、その決意並々ならぬもので、最期まで遠州流の発展につとめられました。

 今でも、茶の湯の世界ではその名は絶大な影響を持っており、遠州流のみならず、他の流派の先生とお会いした際にも、紅心宗匠のエピソードを聞く機会が多くあります。

 知識の広く深いことはもちろんのこと、道具の目きき、書、和歌、花の美しさ、過去の教えを今に蘇らせる創意工夫の妙、どれをとっても、当時、紅心宗匠を超える方はいなかったと言われ、組織の長としての家元という姿だけでなく、茶人としてその時代を象徴しました。

 ですので、「お茶とは私です」とお答えになった紅心宗匠の言葉を思うと、一般の者には、到底近寄ることのできない世界のお話しなのかと感じられたのです。


 
今年で、私は茶の湯に専念してから10年が経ちます。今だに茶の湯とはいったい何を意味するのかと考えると、瞬く間に袋小路に至ります。考えれば考えるほどに、それは次々と形を変え、捉え所のない不確かで抽象的な姿を見せます。ようやく集合体になりかけたと思えば、次の瞬間には霧散して、どこかへと消えてしまいます。その作業は死ぬまで続くイタチごっこなのでしょう。とんだ遊びに巻き込まれたものだと今も思います。

 一言でいえば、茶の湯とは個々人の喫茶形式そのものに過ぎません。そのため、「茶の湯」に対する疑義には、どこにも答えはなく、自ら生み出す、もしくは発見するしかないのです。しかし、その形式というものを生み出すきっかけは、ある種の規則性をもった体系が織り成す学術的なものによって発生するのではなく、あくまでも個々人の工夫の積み重ねの結果によって、「刹那的」に達成されるのです。
 個々人の思想ですので、我々が普段目にしている茶道団体の流儀といったものは、それまでの過去を一定方向に作為的に削ぎ落とし、「体系的に見せているだけ」に過ぎません。

 体系の中にその答えが無いのであれば、ひとりひとりが、どの一点を見つめてきたのかが、とても重要になります。


 
 最近、茶の湯の知識というものに対して「もういいかな」と、よく思うようになりました。

 茶会を開いたり、茶を喫するには、常識となっている所作・作法、知識があります。道具や茶室など、それが何を意味するのかの補足は、亭主や伴頭が仰ってくれますが、それを理解するためには多くの知識が必要なのです。
 しかし、様々な専門書を開いた後で言うのもなんですが、これらの知識は茶の湯を理解するための知識にはなりますが、「今の私」を理解するための根本的な知識にはならないように感じられるのです。



 例えば、茶の湯の基礎である「暦」。暦の一年には、四季、二十四節気、七十二候(諸説あり)、五節句、雑節、さらにはお盆や彼岸、クリスマスなどの宗教的行事が組み合わさり、太陰暦、太陽暦などのズレも含まれています。暦を調べていくと、中国にも手が伸びますので、日本とは異なる気候の違いがあり、それによる植物の用い方、育て方など、連鎖して智の境界線はとめどなく広がっていきます。
 では、それらを学んだ上で、「今の私」にどのくらい繋がりがあるのかと問われると、はっきりと答えることが非常に難解です。そもそも温暖化も進行し、自然に触れぬコンクリート群に生きていて、旧暦以上に暦と自分にズレを感じるこの頃です。
 個人的には、暦の知識は、それに準ずることによって自分の調整するものとして役立ってはおりますが、それまでの自分を構成するものでもないように感じられます。
 これは一例に過ぎませんが、他の様々な知識と「今の私」の繋がりを常に精査していかなければ、まったく異なる自分像を提示してしまう危険性があるのだと思います。

 何かを語るとき、飾るとき、構成するとき、様々な場面で我々はその論拠となるエビデンスを差し出すのに慣れてしまって、では、そのエビデンスによって形成された形式が「今の私」にどのような効果を与え、どのように使われているのか、特に今の茶の湯の世界ではあまり語られることはないように思います。
 エビデンスだけを用いることは、何も語っていないことと同義なのかもしれません。

 現代に残されているものを遡って、その原点を見つめる行為は、推理小説の犯人を探すが如く、非常に興味深いものですが、個々人そのものを顕す喫茶形式においては、そこはあまり重要ではありません。

 慣例や教えだからといって、名も知らぬ僧侶の字を掛けたり、名物の写しを大量に持ったり、昔ながらの茶室を構えたり、それらは非常に多くの努力が必要なことはわかりますが、それによって形成されたものは「今の私」なのでしょうか。


 
 形式というのは非常に楽なものです。家柄、学歴、職業、所属団体、様々なものが「今の私」に影響を与え、形成が促されていることは言うまでもないことでしょう。影響を受けた「今の私」の行為や発言は、さらに「今の私」を決定的なものへと変えていきます。純粋無垢であった無色透明な有機物が、「外」と「内」の影響を、シーソーゲームのように交互に受けることによって、それを確かな私へと変えていくのです。
 
 しかし、ここで重要なのは、それらの影響によって構成された「私」が、「今の私」ではないかもしれないことは、茶の湯以外の世界でも同じでしょう。

 茶室、茶道具、抹茶、和菓子が無ければ茶の湯と言えない、と思っている方も多いと思いますが、それはきっと他者への分かりやすい「記号的茶の湯」とはなるだけで、「今の私」の象徴にはなりません。

 「記号的茶の湯」は多くの方からその努力を認められ、褒められるでしょう。しかし、客としてはなんら面白くありません。客は、名物道具や古い茶室よりも、亭主そのものを見たいのです。褒め言葉ほど、人を惑わすものはありません。何かをすれば、大抵の人は褒めてくれます。



 それらの幕に惑わされず、「今の私」が、何によって構成され、何に興味を持ち、何を大切にして生きてきて、今も生きているのかを確かめていくことの方が、茶の湯においてはとても大切に思います。

 茶の湯などと言ってますが、抹茶を使わなくたって良いのです。コーヒーだって紅茶だって、コーラだって、なんだって良いのです。お茶が出てこなくても良い。白湯でも、水でも、酒でも、汁でも、さらには煙でも。
 お茶を飲みたいだけなのに、その前に日本文化を知らなければならないなんて言われたら、こんな最悪な飲み物は無いでしょう。美味しいものを美味しく出すことに注意を払うことの方が大切です。

 今の日常に茶道具はありますか。ほとんどの方には茶道具は無縁でしょう。無いにも関わらず、お茶を飲むくらいで、なぜわざわざ「茶道具」を揃えることもありません。名物や箔がついた茶道具もけっこう。でもそれは「今の私」の延長にあれば、という前提に基づいて。



 このように考えていくと、「お茶とは私です」といった紅心宗匠の言葉は、だんだんと自分ごとのように思えてくるのです。「私」とは、記号的なものでなく、自分においては、象徴的なもの。そう、個々人の人生における象徴的な形式を発見した後は、何を行なっても「茶の湯は私」となるのです。

 紅心宗匠の場合、ビールを注いでも、ダンスをしても、ベッドで寝てても、たとえ何をしたとしても、結果的に茶の湯なのです。それは紅心宗匠にしか成し得ない人生を歩んだことによって達成されることですが、それは私だけの人生を生きている私にとっても例外ではありません。

 従って、「茶の湯とは私=紅心宗匠」ではなく、「茶の湯とは私=ひとりひとり」と言った意味で捉えますと、茶の湯というものがぐっと身近に、自分ごとのように感じられてきます。



 形式的な茶の湯を行たくて、誰かと正誤の差を比べたくて、必死に勉強しているのであれば、その時間は無駄です。ただの見せかけの知識としか成り得ません。記号というものは便利ですが、人生にとって重要なものでは無いのです。

 それよりも「今の私」を見つめた上で、そこから展開される創意工夫の空間は非常に客を心地よくさせてくれます。



 最近、私が「もういいかな」と思うのは、コロナ禍によって、茶会や講座などから離れて暮らしていても、そこから離れることができない私の存在を改めて認識したからです。
 おそらく、今後一生お茶を飲まなくなったとしても、茶会を開かなかったとしても、私から私を離すことはできないことと同じで、きっとどの行為も茶の湯に繋がっているのだと思います。これはどなたにでも言えることだと思います。


 意識的な茶の湯という枠を外して、自己を鑑みることができれば、みんなが茶の湯なのでしょう。
 もっとお茶が楽しく飲める世になったら素敵ですね。

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