武井 宗道

茶の湯の魅力に取り憑かれ、大学を中退し武家茶道の宗家に内弟子入門。2年後に卒業し、その…

武井 宗道

茶の湯の魅力に取り憑かれ、大学を中退し武家茶道の宗家に内弟子入門。2年後に卒業し、その1年後に独立。 流派からも離れ、ただいま1人でお茶を点てています。 茶の湯の原点を調べながら、現代ではどんな喫茶ができるかを日々考え中。 https://www.sototakei.com/

最近の記事

茶の湯はひとときの夢

⚫︎夢の心地よさ  茶会に参加をして茶をすすったり、古今の書籍を読み漁るうちに、ぼんやりと、この世はすべて夢なのでは無いかと思うようになりました。  これは妄想と現実の境界線が不確かになっている精神状態ゆえに思ったことではなく、茶の湯のひとときの、自然さと不自然さの妙に当てられて感じたことです。  炉から漏れ出る炭の温かさに触れながら、料理と酒を楽しみ、日がとっぷりと暮れた薄暗闇の中で、半分眠りの誘いに身を任せて、濃厚な緑色の液体をまわし飲む。  身体の中へ伝っていく熱い

    • けしょう  モジュラーシンセサイザー茶会

      ひとときの「けしょう」体験を 東京は清澄白河に90年佇む清州寮の一室にて、モジュラーシンセサイザーの音色を流し、茶会を開きます。  増減する電子音の拡張に身を委ねながら、60分の時を重ねて、揺蕩う空間を楽しみます。  茶会は、亭主と客人共に、生まれ変わる工程をもっています。  都会の片隅で、酒・菓子・茶をもって、「けしょう」しましょう。 けしょうとは  けしょうとは、「化生」と書き、「いったん形成された生物の器官が、全く異なった形状・機能のものに変わること」を意味します。

      • 【未経験歓迎】お茶会に参加してみませんか?東京・清澄白河で毎週夕方から夜まで開催しています【夜のお茶会くれぐれ】

        「茶道を知りたい」 「お茶会を体験したい」 「お茶室でゆっくりと心を落ち着かせたい」 そんな茶道やお茶会に興味がある方のために、 平日の夜、お食事や仕事の帰りにふらりと参加できる「夜のお茶会くれぐれ」を清澄白河(東京)で始めます。 ●概要□夜のお茶会くれぐれとは? 清澄白河にて、平日の夕方より、築90年の建物の一室で開催されている、夜のお茶会です。 日常の延長の空間として、茶の一服をお楽しみください。 □こんな方におすすめ ・仕事や食事の後、家に帰る前にお茶を一服し

        • 茶の湯の五感 存在について

          茶の湯の五感 存在について  この度、4月30日〜5月7日の7日間にかけて、「茶の湯の五感 存在」を開催する運びとなりました。  今まで4回開催をしており、いよいよ5回目を迎えることで、主催者としても、ようやく「茶の湯の五感」に対してのイメージが固まってきました。ただ、その度に辿り着くテーマが容易に扱えるものではないため、ほぼ一年をかけて、常にどこか頭の片隅において、成立するのを待ちます。  ただ、茶会というのは「ナマモノ」でありますので、亭主が一方的に完成を見る、というこ

        茶の湯はひとときの夢

          お茶とは、私です

           茶の湯とはいったい何か、という問いを受けた遠州茶道宗家十二世家元紅心宗匠は、「お茶とは私です」とお答えになりました。私はその言葉を聞いたとき、遥か遠くの境きに達した存在にのみ許される発言に感じました。  紅心宗匠は、小堀遠州を祖とする遠州茶道宗家にお生まれになり、かの世界を巻き込んだ大戦では学徒出陣され、戦後はシベリアに抑留された過去をお持ちの方です。家元を継ぐ際には号外が出るほどに世間を賑わせ、その決意並々ならぬもので、最期まで遠州流の発展につとめられました。 
 今でも

          お茶とは、私です

          利休を考える〜どんな人間だったのか〜

           個人的な七月のテーマは千利休についてでした。  私はもともと遠州流に属し、小堀遠州が最も優れた人であるという通奏低音中で茶を学んだので、これまであまり利休について触れることはありませんでした。茶をされていない方にとっては意外かもしれませんが、茶道の流派はそれぞれの流祖を崇めるので、利休が革命児であり、茶の湯制定の起源であることは知りながらも、千家じゃない限り、なかなか知る機会がないのです。  今回は、10冊ほどの千利休関連の書籍を読みながら思ったことをつらつら書きます。

          利休を考える〜どんな人間だったのか〜

          最近、気になる人 「利休」

           最近、専ら利休のことを調べています。何故かというと、茶の湯に対する確固たる概念が消えつつあるからです。もともとこの世界に入ったのも、茶の湯や茶人というものに憧れていたわけではなく、美味しいものを如何にして共有するか、という思いからでした。内弟子生活をすることで「茶道とはこのようなものだ」という規格化されたイメージを身につけることができましたが、既に茶の道から外れて7年。本来は活動の寄り辺となるはずの「べき論」がなくなりました。残ったものは、元々あった食を摂取する方法への興味

          最近、気になる人 「利休」

          七夕について〜飾る、食べる〜

           本日は七夕。  「しちせき」と読みますが、日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と相まって、「たなばた」と今では呼ばれています。  七夕といえば、織女と牽牛。中国からきた星合と、乞巧奠という筆や裁縫などの技芸上達の行事が合わさって、奈良時代に日本に伝わったとされています。  五節句の一つで、陽数(奇数)が重なる日に邪気を払う行事でもあり、現在、天候不順の災害や、コロナなどの病災が訪れている日本にとっては、まさに効果を発揮する日だと言えます。  七月は、ちょうど一年の半分、夏

          七夕について〜飾る、食べる〜

          病苦の歴史 茶の湯を省みる

           今回のコロナ禍の影響で、茶の湯の活動が非常に限定的、制約的になるのではないかという不安な日々を過ごしておりました。しかし、そもそも日本の歴史の中で、今回のような病苦に悩まされていない時代はなかったのではないかと思い、酒井シヅ著の『病が語る日本史』を手にとりました。  すると、見えてきたのは、古代から発生していた伝染病の数々。奈良時代の天然痘に始まり、マラリア、住血吸虫、ツツガ虫病、トラコーマ、風邪、インフルエンザ、コレラ、梅毒、赤痢、麻疹、結核、ペスト、スペイン風邪、最近

          病苦の歴史 茶の湯を省みる

          茶湯式タイムカプセル

           茶の湯の醍醐味といえば、ずっと客人を待ち続けることが第一と言えます。  いつか、あの人を招いて、これを出そうかなあ、と妄想に妄想を重ねるときが、本当に楽しいのです。そして、絶えず、そのときのために、タイムカプセルの準備をしております。  今回は、いつか来る客人のために用意している、いくつかの秘密を載せたいと思います。 ①ジンジャービアー   ジンジャービアーは、生姜と糖分を発酵させて作るイギリスの飲み物です。ジンジャエールの原型とされています。 ビアーと名がつきますが、

          茶湯式タイムカプセル

          茶人に茶道コンテンツを作ってもらう方法

           前回のnote「企業に苦しむ個人活動家(茶の湯)の願い」の反響が普段の数倍ありました。私は人付き合いが本当に苦手であるため、毎度起こる問題の原因のほとんどは私の未熟さにあると思っていました。しかし、皆様も同じ経験があったとお寄せ頂けたことに、少しホッとしております。  しかし、「あいつらどうせわかんねえよ」と、一方的に企業の担当者を責めていても仕方がないので、もし茶道を知らない担当者が、文化人、特に茶道に関わる人と仕事を共にするときに、このように言ってくれたらやりやすいよ、

          茶人に茶道コンテンツを作ってもらう方法

          企業に苦しむ個人活動家(茶の湯)の願い

           私は無名の茶の湯者(社会的には茶人と書かれることが多い)でありますが、これまで6年間活動してきて、世間一般で知られる企業や出版社から仕事の依頼を受けてきました。  しかし、私の性格ゆえなのか、ほとんどがうまくいった試しがありません(個人同士であればうまくいくことがほとんどです)。特に大企業であるほど、その担当者との齟齬に苦しみ、悩みました。どうしてうまく噛み合わないのか、毎回自問自答して煩悶しますが、未だ解決策は見えません。  今回とあることがきっかけで、今後はもう企業から

          企業に苦しむ個人活動家(茶の湯)の願い

          点前の変遷と理想

           点前。点法という流派もある。お点前。お点法。  茶道の稽古に通えば、まず始めに学ぶ身体の動きが、客の前で湯を点ずる方法「お点前」だ。  茶道には、歴史、思想、道具、料理、香、花、建築、など多くの要素があるが、そのような言語化された知識ではなく、非言語化された知識を点前から学ぶ。薄茶の平点前ができる頃には、ひとつひとつの動きが茶席の進行を秩序付ける拍子木の役割を担っていることも、ある程度は理解し始め(点法者がある動きをすると、客人がある動きをする)、たしかに理にかなったものだ

          点前の変遷と理想

          茶の湯的宇宙速度を考える 〜守破離見立て〜

          人工衛星はなぜ落ちてこないの? 子供からの素朴な疑問から始まる伊丹十三のエッセイ『問い詰められたパパとママの本』を読む。思想的、文学的なものかと思いきや、科学的論拠がキチンと書かれていて、なるほどとうなずいてしまう。  その中に「人工衛星はなぜ落ちてこないの?」という問いが出てくる。 伊丹十三氏の答え 問いに対する氏の答えを結論から言うと、「人工衛星は常に落ち続けている」ということである。例えば、ボールを水平に投げた時、地球の引力の影響を受けなければ、そのまま宇宙の果てまで

          茶の湯的宇宙速度を考える 〜守破離見立て〜

          紫陽花のこと 〜シーボルトの恋情、そして怒れる牧野富太郎〜

           紫陽花の花が盛りを迎えている。家の近くの道端には、紫色と藍色の掛け合わせが咲いていた。  紫陽花は、古くから日本人に愛されてきた。味狭藍、集真藍、四葩、七変化、手毬花など多くの名を持つこともその証拠だろう。梅雨に濡れて、さらに美しさを増す。  文化史を紐解けば、この花の神秘性についていくらでも話したいことはあるが、今回は紫陽花に関連したシーボルトと牧野富太郎について。どちらも日本の植物学上、避けては通れぬ人物であるが、この紫陽花をきっかけとして牧野はシーボルトへの怒りを炸

          紫陽花のこと 〜シーボルトの恋情、そして怒れる牧野富太郎〜

          雷と茶の湯 〜ロジックによるロジック破綻〜

           我々は茶会に行って何を見るか。亭主を物語る茶席には、庭の草木、茶室、料理、道具、抹茶など、多くの要素が散りばめられている。頭の中の会記の空欄に、進行に準じて、それらをポコポコ入れていく。物語は寄付(茶室に入る前の客人のための待合)の掛け軸で予想づけられることもあれば、最後の最後でどんでん返しがあったりと、まるでひとつの映画を見ているようだ。茶事という緻密に計算し尽くされた全自動的体験は、非常に心地よい。  そこで、我々は見る。そこに集う亭主や客人の経験や知識の差異を。つまり

          雷と茶の湯 〜ロジックによるロジック破綻〜