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(自己紹介シリーズ④)ベンチャー、起業…越境キャリアの先の霞が関。ソトナカプロジェクト共同代表の西川です。

こんにちは。ソトナカプロジェクトの西川朋子です。
先日、ソトナカ新体制移行についての記事でご紹介したとおり、発起人の吉井に加え、中舘、佐伯と私が共同代表となり、より充実した活動に備えることとなりました。
今日は、私の自己紹介とソトナカにかける想いを語りたいと思います。

外交官を目指していた子供時代

1976年、昭和の典型のような転勤族のサラリーマン家庭の末っ子に生まれ、北海道、山口県、神奈川県を転々として過ごしました。転校しても初日から遊びの輪に入り笑い転げているような、天真爛漫なタイプでした。
中学、高校の社会の授業などで、飢餓や差別、戦争の悲惨さを知るにつけ、弱者が虐げられる社会の理不尽さに憤り、誰もが基本的人権を追求できる平和な世界の実現に貢献することが、将来の夢となりました。
ネットのない時代ゆえ、本屋で色々調べた結果、国連職員や外交官という職が良さそうだなという結論に。お小遣いで買った『外交官への道』という先輩体験談本を愛読しては、憧れを募らせたものです。

外交官を志しはじめた高校時代の私。自由な校風のなか、部活や学校行事に、大忙しでした。

高校卒業後は、当時、外交官試験の最終弁論試験の審査委員を務める教授が在籍していたこともあり、上智大学法学部国際関係法学科に入学。審査委員のおふたりの憲法と国際法のゼミをダブル受講しました。学校外では、外務省後援の国際学生会議に参加し、国際人権NGOでインターンし、バイトで貯めたお金で海外一人旅をするなど、夢に向かって邁進していました。
同時に、国際政治を深く学び、外務省や国連で実際に働く先輩の声を聴く機会が増え、平和外交の道のりの複雑さに途方に暮れたり、キャリアイメージの解像度が上がったからこその迷いが生じるようになりました。外務省で勤める先輩から「少なくとも最初の10年は下積みで、求められるのは緻密な事務処理能力だけ。それに耐えられない人は無理」と助言された時のショックは忘れられません。事務的なことが苦手な私はどんどん自信がなくなってきました。

国際司法裁判所の裁判官も務めた、故 山本草二先生の国際法ゼミ合宿。けっこう飲んでますね‥

どうせ平和実現への特効薬や完璧なアプローチなどないなら、当時話題になりつつあった「社会起業家」というアプローチのほうが自分に合っていそうだ、ベンチャーで修業していつか起業しよう!と進路を大転換。就職大氷河期だった1999年、大学4年生から就活をはじめ、教育と人材を主事業とするベンチャーに滑り込みました。

セレンディピティに満ちた越境だらけのキャリア

その後の複雑で越境だらけのキャリアを語ると長くなるのですが、しばしお付き合いください。
まず新卒で入った人材ベンチャーは、翌年予定していた株式上場に向けて気合が入りすぎていたのか、いわゆる〇ラック状態。同期の新卒社員100人が1年後には半分以下になっていました。私も、心身をとことん鍛えていただいたことへの感謝と共に1年間で退職しました。

「無職になったし留学でもするか」と書店に行ったところ、ユニークな留学雑誌に出会いました。面白そう!と出版社に電話し社長に会いに行ったのを機に就職することになりました(笑)。留学を通じた民間外交の意義に目覚め夢中で働いていましたが、色々な事情があり、29歳の時、その留学事業の営業譲渡を受け新会社を設立、代表取締役に就任することになりました。折しもリーマンショックが起き、厳しい経営環境下でも利益を出し続けなくてはならない重責に苦しみましたが、人に恵まれ、なんとか黒字を通せました。

32歳で退任後、起業家支援の経験を積みたいと考え、トレンダーズというPR会社が運営する「女性起業塾」の運営を経験しました。同社が上場する前後からは大手企業のPR支援をする部署に異動し、広報を基本から学びました。

トレンダーズ上場、歓喜の瞬間。当時の仲間とは、今も仲良くさせてもらってます。

5年ほど勤め、そろそろ大手企業より社会起業家の支援がしたいと思っていた折に、社員研修で講演に来た創業期のココナラ社長の「誰もが自分らしさを生かせる手触り感のある社会をつくる」というビジョンにほれ込み、転職。コミュニケーションマネジャーを務めました。

彗星のごとく現れた、官民協働プロジェクトへ

そうして15年に渡るベンチャー生活を送っていた2014年の春、友人から、文部科学省が大臣の強力なイニシアチブで官民協働留学促進プロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」を立ち上げ、広報担当を公募していると聞きました。志ある1万人の若者の留学を奨学金で支援し、日本を元気にするグローバル人材コミュニティを創ろうという壮大な構想です。
留学業界での経験、広報、事業立ち上げなどの経験を活かし、青春時代に目指した霞が関で公益を追求できる、ということに運命に感じ応募しました。そして5回目の転職を果たし、今日まで8年半、やりがいに溢れる日々を過ごしています。

きみが留学する、という国家プロジェクト。大好きなコピーです。(トビタテ公式Facebookより引用)

霞が関における新たな官民連携モデルを目指す

この文部科学省の出島のような「官民協働海外留学創出プロジェクト」はかなり特殊な組織で、35名ほどいるメンバーの半分が、民間から転職ないし出向でやってきたソトナカ人材、半分が生え抜きの国家公務員や独法職員で構成されます。育ってきた環境も仕事の進め方や価値観も多種多様。ほぼ全員、1年~2年で入れ替わります。異文化の衝突や行き違いが起きることもありますが、その度に対話を重ねて乗り越えてきました。
そうして、立ち上げから9年間で250以上の企業・団体から123億円の寄附金を集め、約9,500名の奨学生を選抜しています。
官が民にアウトソーシングするような従来の官民連携ではなく、官民のリソースを結集し、ソト出身者とナカの人が机を並べて協働するという、新たな霞が関の官民(ソトナカ)連携の在り方のロールモデルとなることを目指しています。

トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム1期生壮行会の様子。(トビタテ公式Facebookより引用)

ソトナカプロジェクトにかける想い

ソトからきて実感する公務員という仕事の素晴らしさは、利益獲得にパワーを割く必要がなく、全ての意識を「社会貢献」に集中できることではないかと思います。国民からお預かりした税金や寄附金を社会変革のためにどう再分配し、最大の成果を出すかに挑戦する、まさに公務員=社会起業家ともいえる仕事だと思います。(もちろん予算獲得の苦労はありますが…。)

そして、公務員という立場への信頼感、期待感から、民間にいた時より圧倒的に多方面の方にアポが取りやすく、誰とでも利害関係を越えて対話しコラボをするチャンスに溢れています。
霞が関にはそのチャンスを存分に活用する方もいる一方、部署内の人間関係に閉じて前例踏襲したり、専門知識が必要な仕事に異動して困惑し、相談相手もいないことから、やむなく委託先に丸投げしてしまうケースもないとはいえません。
もしも、多様な専門性や視点をもち、組織を越えて協働するのが当たり前のソトナカ人材が霞が関の津々浦々の部署で活躍しているなら、そんな現状を変えられるのでは、と期待しています。

生え抜きの方も含めた、多様な人材が活躍しやすい組織環境を創ることで、社会の複雑化する課題をよりイノベーティブに解決できる霞が関を実現すること。それこそ、ソトナカプロジェクトのゴールです。
私は、15年間のソト経験と、8年半のナカ経験をいかして、ゴール到達に貢献したいと願っています。
共感いただける方は、ぜひ応援お願いします!


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