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「初めてのアルバイトが自分の人生最初で最高の仕事にしたい」僕が新規事業責任者になるまで<前編>

Sync Upでチームブログを運営することになりました。そのトップバッターとして記事を書きます。

 今回は、私がどんな人間か?という自己紹介と、いろいろインタビューでも端折って話してしまっていた、自分の原体験について書きたいと思います。この記事を読んだらおおよそ私がどんな「人」か理解できる=「こんな話したいなと思ってもらえる」ということをゴールとして設定して、記事を書いていこう思います。

徒然なるままに…自分のこれまでの仕事のログと、性格についての簡単な解説 2つのタイトルで自己紹介とさせていただきたく存じます。

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私の職務経歴・仕事ログ

 Sync Upの事業運営と自社メディア店長lab. の編集運営を行っており、小売・飲食などサービス業界に対して強い思いを持って事業運営をおこなっております。その中で、マーケティングからアカウンティングまで、守備範囲広めで運営しております。以下にこれまでの簡単な仕事ログです。

 2012年 インテリジェンス(現:パーソルキャリア)に新卒で入社し、九州配属になりました。その当時、九州配属されたことがとてもとてもショックで、将来的には起業したい!東京でスーツパリっとバリバリ&キラキラ働けると考えていたにも関わらず、九州でのお仕事は、原付きでの訪問営業・求人雑誌の配達・求人をいただいて、応募が0件の際の謝罪周り・夜な夜なの集金業務などなど、とても泥臭く、ハードな仕事内容だったと記憶しています。ここで書けないようなこともたくさんありました。(笑)

しかし、この仕事を最初に経験するまでは仕事そのものを舐めていたと思います。泥臭く、ハードな日常は、1円でも対価をいただき、お金を稼ぐということの手触り感を強くしていった経験だと思います。

 そんな日々のハードな日常も、一定期間続くと心は折れるものです。ストレス耐性が高いと思っていた私も流石に折れます。でもここであるアルバイトさんに出会いました。※この話は自分にとってとても大事な話なので、別途続編で書きたいと思います。

 結果として、そういった経験を超えて、やるならとことんやってとにかく成果を残して這い上がろうと決意し、2013年の3月には、九州支社でギネスの月間取引社数・エリアギネスの売上を達成して、九州支社のVP賞ももらえました。

 それからは、新卒ながら支社100名くらい対象の求人原稿のコンテストを企画して、求人原稿のクオリティを月間で競う企画を立案運営したり、当時は全国的に事例が少なかった某商業施設の一括採用支援事業を企画して採択されたり、再改定されるanのビジョン・ミッション委員会に立候補したりと…いろいろとやりました。(いろいろやりすぎて、当時はとにかくミスも多く、いろんな方に怒られることが常でした。今も変わってないので本当に課題ですw)

 2013年10月 1年半で東京の大手部隊へと異動になりました。このときは歓喜です。ようやく東京で一旗揚げれると意気揚々としていました。

 が、現実は甘くないですね。九州でいろいろやったということが、全然通用しない。当時の配属になった大手部隊の先輩方々の取引や目標予算は、それまでの桁が2つ違う世界。9,000円の原稿を足繁く通って、リレーションでお取引いただいていた世界とは180度反対の世界でした。

 しかも、当時配属されたチームは、とにかく営業力の怪物と社内に名を轟かす方々で、九州にいた私からすると「うわ、社内報で見たことある人だ」と有名人に会う気持ちに近い感覚で、会った瞬間から緊張するというよくわからない状態でした。

 と、浮足立っているからすぐに成果でるはずが…あったんです。最初に担当任されて、その後も長い間担当し続けることになる、某大手物流会社さんが、配属された10月にいきなりの繁忙期。しかも、得意な「足で稼ぐ」営業が評価れるお客様でもあったので、これがハマりました。いきなり3ヶ月連続の業績達成でしかも、配属すぐにトップレベルの営業成績を出すに至りました。が、これが後々の自分を苦しめる成果になります。

 その成果が出た3ヶ月。全員の業績が抜群だったことも有り、チームは全国1位の業績をあげて、北海道旅行にいけたり、当時の上司はインテリジェンス全社のベストマネージャーに表彰されたりと、すべてが自分の成果だと勘違いをしました。で、その後、暗黒の売れない期間が続きます。

 中途半端に取引をしてしまうと、本当にあとで痛い目を観るものです。稚拙な提案、浅はかな思考でつくられた求人広告が、人の心に届くはずもなく、応募がとにかく入らなく、年始はお詫びの嵐。自分の担当していたメインクライアントから1年近くまともに発注をもらえない期間が続き、もちろんその期間約1年以上業績達成できない期間が続きました。

 2014年 そのころに「転職しよう」と、俺には向いてなかったと、初めて逃げる気持ちが芽生え、本格的に転職活動をしました。会社に辞表も出し、やめると言いました。しかしながら、このときに言われたくないトラウマワード「あんた中途半端や」が出てきました。それを当時の上司に言われて目が冷めて思いとどまってやりきれることとことんやりきってから転職するかどうか考えようと思い直します。

 なぜ中途半端がトラウマワードかというと、私は昔「サッカーのプロ」を目指してました。プロの下部組織チームにいて、また代表への選抜経験もあった中で、怪我やメンタル、挫折を繰り返してプロはもちろん・大学からすらオファーをもらえなく落胆している僕に、当時の恩師から同じ言葉「お前は、中途半端だ」を言われたからです。これをきっかけに奮起します。

 これまでとはクライアントへの提案角度を大きく変え、関与者など規模を大きくし、提案の幅を広げます。さらには、社内新規事業コンテストに応募します。

 それらは、見事に失注して散りましたました。社内新規事業コンテストも落選。

 2015年 クライアントへの提案をたくさん行ったおかげで、視野が広がりまたその提案がクライアントに真摯さとして受け入れられてどんどん関係性が深まりました。さらには、社内新規事業コンテストも懲りずにまた応募&起案します。思いは脱中途半端です。

 で、結果、この年の年末に両方が花開きました。社内新規事業として今のSync Upの原案が採択され、同時に当時のパーソルグループ史上最高金額の案件を受注。その年の全社の社長賞で表彰いただくことにもなりました。

 本当にありがたい次第です。

 で、翌年から新規事業に携わることになるのですが、こっからは別のインタビューでもお話しているので、端折ります。一応以下にリンクを記載いたします。



好奇心旺盛な性格、パーソナリティ

 性格は、好奇心旺盛で新しいことに何事も目標掲げてチャレンジすることが好きです。

 上にも、ちらっと書いた通り、昔からサッカーが好きで、2014年から2018年では、東京都リーグの選手兼監督をやり、都リーグ3部から都リーグ2部へのチーム昇格を経験したり、その少しまえの2013年ではゴルフにハマって1年で100を切るという目標を掲げて8ヶ月で100を切れるようになったりと…趣味も仕事も「おもしろい」ということをとことんやることが好きです。

 最近は釣りが趣味です。もっぱらシーバス(スズキ)をメインに釣りに行ってます。写真は初めて80cm超えのランカーシーバスを釣った写真です。2021年は1年間でシーバス20本釣り上げることが目標です。現在18本(11月時点)で達成できそうです。


20211030@涸沼80cm-2

 父の影響で多趣味なので、キャンプも好きで、やるものはとことんやり抜いてしまうたちです。エクセルも趣味の一つです。

 収集癖と職人気質なところがあるため、とことん突っ走ってしまうのも悪い癖とわかっていながらなかなか変えられませんね。

最後に、後編へ続く

 と、長くなりましたが、こんな仕事経験と性格を持ち合わせております。こんな私が、なぜ新規事業へチャレンジしようと思ったのか。このあたりをにフォーカスして、機会あれば後編を書いてみようと思います。

 長くなりましたが、私の自己紹介は一旦、以上です。




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