納棺師の仕事に触れた日

あなたは納棺師と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
おおよそ普段、日常生活の中で聞くような単語ではない。

では、呼び方を変えてみよう。

「おくりびと」と言えば、どうだろうか。

今日は、僕が納棺師さん、もとい「おくりびと」の仕事を間近で触れた話だ。

最期の日

僕は7月の中頃まで、白血病を患う祖母の介護をしていた。
それまでのこと、その最期については以前、記事に書いた。

その日の夕方、葬儀屋の方から今後の準備、通夜と葬儀までの流れを説明されている時、こんなことを聞いた。

「明日の11時、納棺師さんに来て頂きます。いわゆるおくりびとです。ご遺体にお化粧をして頂いた後、お棺に収めてもらいます」

その時はもう色々と慌ただしかったので「へぇ、そんな人が来るのか」程度のものだった。

聞いたことはあるが、見たことはない。というか、映画すら見ていない。

そもそも、死んだ人間に化粧が必要なのか?とか、そんなことまで考えていた。ただし、それは後で、確かに白い服着てるよなと納得した。

あぁ、明日は通夜か。これからどうなっていくんだろうとか、色んなことを考えているうちに、気がつくと朝を迎えていた。

"最期"の次の日

心沈む朝の後、親戚や近所の人が来た後、時間通りに納棺師さんが2人来た。
挨拶もそこそこに早速、作業に取り掛かってもらう。

ベッドに横たわった祖母の遺体を畳に下ろした後、頭の横に何か置いた。
桶だ。U字型で、介護用のベッドに上でシャンプーするときに使うものに近い。

まず、祖母は髪を洗ってもらっていた。パーマのかかった白髪頭が泡で包まれていく。その手付きは、まるで美容師さんのよう。
(この作業は湯灌と言うらしい。)

横から見ている分には、眠っている人にシャンプーをしているようにしか見えない。それくらい、遺体は自然にそこにあった。

シャンプーが終わった後は、ドライヤーで綺麗に髪を乾かす。

その後、衝立を置いてもらって、着替えが始まった。
最期まで着ていたすみっコぐらしのパジャマから、白い着物にしてもらう作業だ。

それが終わった後、次は化粧。ペンで綺麗に眉を描いてもらい、頬に生きてるかのような、温かい色を灯してもらう。

それくらいだったか。僕はふと死装束の合わせが気になって、にじり寄った。

「本当に左前なんですね。初めて見ました」

「よくご存知ですね。そうです、死装束ですから。これから手甲と脚絆をつけてあげます。よければ、つけてみますか?」

予想外の言葉に僕は思わず

「えっ、いいんですか?」

と、不安と好奇心の入り混じった声をあげる。

「ぜひ、つけてあげてください。お孫さんにつけてもらったら嬉しいと思いますよ」

納棺師さんは優しくそう言うと、祖母の右足で、脚絆の付け方を教えてくれた。
その後、僕は左足に触れてみた。ゾッとするような冷たさだった。もうおじさんと呼ばれてもおかしくない年齢まで生きているが、遺体に触ったことはない。言うならば"モノ"の温度だった。

死の冷たさとは、こういうものか。それは心への影響以上に、遺体そのものの温度を指す言葉だったことをこの日、理解した。

脚絆をつけ終わると、次は手甲。これは母と行った。
とても、とても冷たい指だった。昨日までは暖かかったはずなのに。

その後はマニキュア。塗った後は、指の一本ずつに紫外線で固める器具を通して行く。真っ白だった手に仄かな血色が宿った。

納棺師さんがメイク作業を終えると、祖母は見違えるように美しくなっていた。まるで今にも目を覚ましそうな、ただそこで安らかな顔で眠っているだけに見えるほど。髪も触らせてもらうと、ふわふわで死んでいるとは思えなかった。

親戚や近所の人も集まって来て、その姿を見て思わず、嬉しそうな声が上がる。

「あぁ、綺麗にしてもらったねぇ…」

特に仲良くしていた、裏のおばあちゃんの一言と、その時の表情が忘れられない。

この後、三途の川を渡るのに必要な六文銭をもらっていたが、これは紙に印刷されたものだった。

作業の終わりとして、棺に納めてもらった。その後、故人に持って行ってほしいものがあれば、入れてあげてくださいと言われた。

母は、祖母がさっきまで着ていたパジャマを一緒に入れていた。

「向こうで着替えいるとあかんでな」

裏のおばあちゃんは手紙を入れる。

「ありがとうね、本当に」

各々が、色んなものを入れて行く中、僕は何も入れられなかった。
最後の最後まで、もらいっぱなしだったなと、この時、思った。

納棺師さんの2人は挨拶の後、静かに帰って行った。

出棺は日が傾き始めた頃だった。気がつくと、家の周りにはたくさんの人が集まっていて、50人くらいはいたと思う。

ご近所さんに見守られる中、祖父が挨拶をする。
僕は少し俯いて、聞く以外に出来ることがなかった。慣れない喪服で、なんとも居心地が悪い。

ファーンとクラクションが鳴り響くと、祖母は長年暮らしてきた家を去った。もちろん、行き先は葬儀場。

この後は通夜だった。

燃え殻と灰

通夜、葬儀を終え、火葬場で最期の別れを済ませた後。
昼食の弁当をそこそこに、火葬の完了を告げる館内アナウンスが流れた。

係員に先導されて、骨上げを行う部屋へと向かう。
参列者が入った後、焼けて骨と灰だけになった祖母が運ばれて来た。

納棺師さんが綺麗にしてくれた姿は愚か、棺も跡形もなく灰になっていた。

それを見た時、なんと儚い仕事かと感じた。だが、同時になんと尊い仕事だろうとも思った。

あんなに整えてもらったものは、2日も経たずに、燃え殻になった。

けど、意味がなかったわけじゃない。祖母の最期、旅立ちのための準備をしてもらい、その姿を家族や近所の人と、しっかりと見送ることが出来た。

納棺師さんのお仕事で、僕たちがもらったものの中で一番大きなものは、この"時間"だったんだろうなと思った。

最初の夢

ある朝のこと。祖母がいつも通り、台所でなにかしている。
しかし、なんだかおかしい。呼ばれてみて、手を伸ばしてみても、届かない。

はっと、目が覚めると右目からツーっと流れるものを感じた。しばらくして、もういないんだなと、納得した。

もうすぐ、四十九日。そろそろ、祖母もあっちについただろう。
いつまでも、メソメソしてられない。




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