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Omuraの自己紹介:人格編



人格編:❶略歴

主に自分の人間性に深く影響していると感じる事項を抜粋して記載します。

1. 生誕〜高校卒業

東京都大田区で生まれました(1995年:0歳)

  • 母は大田区生まれで、現在は美容師です。

  • 父は中国は湖北省の天門という、電車も車もほとんど通ってない田舎で生まれ、大学卒業とともに来日しました。現在は日本でIT系の会社を経営しています。この会社とわたしは同い年です。

  • 家族構成は、弟(-2)、妹(-14)、妹(-16)です。

大田区で公立の小学校と中学校に通い卒業しました(2011年:15歳)

  • 大田区の子供なので、休みは蒲田か川崎で遊んでいました。深夜にコンビニの駐車場の輪止めに座ってアイスを食べたりしてました。蒲田のドンキのすぐ横にあるカラオケ館とラゾーナによく通っていました。

  • 学校でもらった手紙を出さないとか、授業中に話を聞かないとか、制服をきて学校に行かないとか、落ち着きがない子供でした。先生に謝りたいです。

  • 海は母親が好きな場所だったので、よく連れて行ってもらいました。母親も自分の父親、つまり私の祖父によく連れて行ってもらっていたと話していたのを覚えています。今でも、何かというと私は海に行きます。水辺が大好きです。

  • 小学生の時にバレーボールを始めました。そのあと10年くらいずるずると続けます。当時は地域のスポーツクラブに通うのが嫌で、でも辞めたいとは言い出せずにしんどかった記憶があります。子供は大人の期待(というか大人にどう思われているか)には敏感です。

  • 物心着いた時には父母が離婚し、私は母と弟とで3人暮らししていました。特に不自由はなく、うちはそういうもんなんだなと思っていました。

都立日比谷高校に通い、卒業しました。(2014年:18歳)

  • 高校に入学する直前のタイミングで東日本大震災がありました。青年期に社会不安が蔓延していたことは、深層心理に何か影響を与えているのかもしれませんが、まだいまいち自覚できていません。

  • 満員電車に乗ると必ずお腹が痛くなるので、毎日途中下車していました。自分にはサラリーマンとか無理なんだろうな〜と感じるようになりました。決まった時間に決まったことをすることが、困難に感じました。

  • そして、相変わらず落ち着きがない子供でした。思春期のエネルギーを反骨精神に注ぎました。当時は、納得いかないことに対していちいち恭順しない態度を示すことが、自分を主張する上でとても大事なことのように感じていました。そして精一杯刺々しく振る舞っていました。

  • 高校時代の一番の思い出は、たいしたことではないですが、裏門にピザーラの配達をこっそり呼んで、友達と昼休みに食べたことです。今の高校生は学校にUberEats呼んだりしてるのでしょうか。

  • 自分が満たされていく感じがするので、頭にひたすら知識を詰め込むタイプの勉強が好きでした。特に、世界史の授業が大好きでした。大好きすぎて、勝手に放課後に補講を開講したりしていました。

  • 上野千鶴子の著書(女ぎらい -ニッポンのミソジニー -)を学校の図書館で読んで、すごい衝撃を受けました。自分の感じている生きづらさ、例えば”属性”に対して貼られるレッテルへの不快感、あらゆる規律や規範に対する言語化できない怒り、家族関係に対する根源的な不安や嫌悪、二分法的なジェンダー観への疑問など、当時の私にとってとても切迫していた問題について、真摯に向き合って言葉を紡いでいる人がいるのだと知りました。

  • 同じく、宮台真司の著書(君がモテれば社会は変わる!というタイトルの変な自己啓発本だった気がします)を読んで、またものすごい衝撃を受けました。彼は2000年代はメディア露出も少なくなっていましたが、著作では一貫して日本社会における人間関係の希薄化や性的退行、自己利益を至上価値とするような若年層の価値観への警鐘を鳴らしていました。自分を言い当てられているような気がしてビックリしたのを覚えています。

2. 大学入学〜卒業

東京大学に通い卒業しました(2019年:23歳)

  • 上野千鶴子は当時現役の東大教授、宮台真司は東大の卒業生だったので、自分は東大に進みたいなと思い受験しました。文科I類四組(ロシア語)です。ただ、上野千鶴子は私の入学とともに退官しました。

  • 軽音サークルに入りました。音楽を作って演奏したりすることが楽しくてずっと続けていました。自己表現の手段として音楽を作るということを覚えたのが、私にとってターニングポイントになったと思います。一方で、バンドというのは対人関係のネガティブな部分が全部出てしまうものなので、ここで人とうまくやるために気をつけないといけない諸々や、自分のコミュニケーション特性を学びました。

  • 19〜20歳頃、オーストラリアに留学しました。留学は今のところ人生の一番大きな転換点になりました。現地の方々との出会いもそうなのですが、一緒に行った日本人の仲間の影響が大きかったです。初めて、自分が生まれ育った環境や、しがらみから解放される経験をしたように感じました。また、自分のアイデンティティに関してよく考えるようになりました。

  • 学生時代の後半は、とにかく勉強していました。今後一生まともに勉強する時間を取れないだろうなと思っていたので(それもどうかと思っていますが)、英語と中国語はネイティブレベルになっておこうと思い、授業はほぼこの2言語のみで、インター生向けに開講されているものを受講しました。この手の授業は課題が重くて本当に大変な上に、私は通常の日本人学生と同数の単位を取得する必要があったので、大変苦労しました。

  • 東大は3年から専門課程がスタートするのですが、私は教養学部の地域文化研究を専攻に選びました。地域文化は一つ地域を選ばねばならなかったので、留学していたこともあってオーストラリアを選択しました。具体的には、ジョン・ハワードという政治家がオーストラリア人という人種をどのように捉えていたか、ということを研究しました。本人の自伝とか新聞記事とか対談とか議会の発言録とかあらゆる資料を使って、オーストラリア人としての自己アイデンティティを言説的に構築する際に、対極的な位置にアジア人を置いてきたこと(”われわれ”オーストラリア人より劣位に置いてきたこと)を示しました。物珍しい手法だったので、だいぶ良い評価をいただき、運良く賞ももらえました。

  • 卒論を書きながら、ジェンダー研究の勉強会を主催しました。縁あって、戦争と性被害のシンポジウムに運営で呼んでいただき、登壇者の上野千鶴子さんにご挨拶することができました。生きてる!動いてる!と思いました。

3. 〜現在

デロイトトーマツコンサルティング合同会社に入社し3年間働きました(2022年:26歳)

  • 就活でリクルートスーツを着たくなかったのと、お給料を結構ちゃんともらいたかったので、コンサルになりました。2019年入社なので、コロナ前の最後の新卒世代です。リモートワークするのに稟議が必要だった時代です。名刺交換のやり方とか、正しい敬語の使い方とか、一生懸命覚えました。仕事の話は、別途項目を立てて論じます。

  • 自分は社会人デビュー組だと思っています。会社に入ってお給料をもらうようになってからの方が、精神的に良い状態で生きられるようになりましたし、対人関係も昔より潤滑に運ぶようになりました。ルールと役割が明確な関係の方が、メタに捉えて演じやすいので、「社会人」みたいなロールを担っている方が人と接しやすいというのはあるかもしれません。大人になってからの関係は、友人とか家族みたいに変数が多くないですしね。

  • 2020年に、コロナ禍が始まり急激な生活リズムの変化によって、睡眠周期がやられました。ただ、同時に明らかに以前より生きやすく感じるようになりました。加齢によって人格が丸みを帯びてきたのもあるかもしれませんが、それ以上に物理的な外界との接触が明らかに低減したのが大きかったと思われます。自分にストレスを与えるような関係や他人との接触を断つことは、想像力を狭めることにもつながると思うので、そこはバランスを取らないといけないと思っています。

  • コンサルは2年半ほど勤めた頃、もういいかな〜と思いはじめました。コンサルは派遣型のビジネスなので、車輪は人間です。人間が、車輪である以上、私たちは常にフル出力で回転することを求められます。自分がやりたいことがないうちは、グルグル回って自己研鑽していればいいのですが、3年弱もそういった生活を送っていると、そろそろ「いや、いい加減車輪を作りたいな」と思うようになりました。

コインチェック株式会社に入社しました(2022年現在:27歳)

  • 学生時代から愛用していた暗号資産の取引サービスであるCoincheckを運営しているコインチェック株式会社の経営企画部にポジションをいただきました。

  • 2022年9月より、CTO室に移ります。

  • 2023年9月にCrypto Asset事業本部の副本部長を拝命しました。

人格編:❷性格や認知

自分が大村壮太という人間を分析するとしたら、こういう特徴があるな、と考えている事項を列挙します。❶と照らし合わせながら、「この人は何でこうなったんだろう」と考えて楽しんでみてください。

1. 他人の感情の動きに、敏感に反応する傾向があります

  • 他人の顔色を伺ってばかりで何もできない、と言うのとはちょっと違います。むしろ他人がどういう反応をするかを慮って事前に行動や言動を制限するのは、どちらかといえば苦手な事項に当たります。正確には、自分の行動や言動が他人にどのように映ったかに対して敏感だということです。

    • これは認知やコミュニケーションにおけるクセが、青年時代以降のいくつかの人間関係におけるトラブルとして表出したことが原因だと考えます。今は大分ましになりましたが、否定されることに対していちいち敏感になり、過剰に攻撃的な言動を取ったり、必要以上に他人と距離を空けたりしないと気持ちが落ち着かない時期がありました。

    • 例えば、自分が今発言していることは受け入れられていないな、と主観的に感じた場合、防衛的な言動を取る傾向があります。(まぁ●●●なんですけど、というように早口で予防線を張る、あるいは強い口調で対論を先回りして潰しておくなど)これは普通に良くないことなので、直した方がいいと思っています。

    • 社会人になってからは、態度が大きいとか、偉そうだ、と叱られることも多くなってきました。若いうちは威勢が良いということで許してもらえる機会も多いと思いますが、謙虚さを振る舞いレベルで内面化しないとと思います。

  • ただ、思いも寄らない副次的な効果もありました。他人の認知回路の構造に興味を覚えるようになったのです。その人がどういう認知回路を持っているのか、どのような経験や環境がその回路を形成させるに至ったのか、言動や行動をヒントに常に考えている気がします。

    • これが良きに働く場合には「思いやりがある」として受け入れられ、悪しきに働く場合は「分析的で怖い」と言われますが、どちらの場合も共通して、「人をよく見ている」と評価してもらえることが多いです。

    • 実務的な話に寄せれば、このような傾向が組織論や人事領域への関心につながっています。

2. 規則や規範については、論理的だと感じられない場合、強く抵抗感を感じます

  • 自分が納得していないことを、何らか社会や周囲の目のような”公共的な装い”で暗黙のうちに強制されることに、しばしば抵抗感を感じます。その度合いがかなり強い方だと思います。

    • 例えば、私はいわゆる「敬語」を利用したコミュニケーションがとても苦手です。何か「役割」を背負ってコミュニケーションする場面なのであれば、これは「演技」なのだと思って遂行することができますが、例えば心を許した友人だと思っている相手や、信頼している人間に対して正面から会話しようと思った際に、「敬語」を使って会話することが、何かとても不誠実なことをしているように感じられてしまうからです。

    • 無論、実社会におけるコミュニケーションに障害が出ないよう、TPOを守る努力を最大限しています。

    • そのほかわかりやすい例でいうと、服装を制限されることや、”空気を読む”とされる行為の一般が苦手です。

  • また、規則規範に対して息を吸う様にフィットして生きられないことに、強くコンプレックスを感じます。これについては、折り合いをつけながら生きていくしかないのだろうと思います。

3. 年長者は、成熟した振る舞いをしてほしいと考える傾向があります

  • 年長の方には、自分に対して指南的な立ち位置や振る舞いを求めている場合が多いと気づきました。指南的な振る舞いとは、合目的的/限定的な関与(機能Aを果たすための部品を扱う)ではなく、人格的な関与(統合人格を持つ一つの有機体を扱う)を意味します。私は自分が年少者と対峙する際には、このように振る舞うことを倫理的な規範として課しています。

  • 会社は利得追求のための団体ですが、そこでの人間関係についても、擬似的で構わないので、上記の様な関係が結ばれることを求めがちです。

  • ここまで書いて思いましたが、私はかなりウェットな人間なのかもしれません。

  • なんで同年代の人にはそう思わないんだろう、と書いていてふと思いました。

4. 対話をすることが、社会を善くする上で不可欠だと信じています

  • 少し前提から遡って正確に述べれば、まず❶人間は善く生きようとすべきだと考えています。そして、❷人間が善く生きるためには、自分の所属している社会をより善いものにすることが不可欠だと考えます。これはエンジニアリングの世界においてOSSへの貢献が倫理的な命題になっていることに近しい感覚です。❶❷から、人間はみな社会を善くしようと試みるべきだという命題を導きます。

  • では社会を善くするためには何をすべきか。私は、自分と違う考え方を持っている他人と、どれだけ日常的にエンカウントできる場を作れるかだと考えます。そのような場を、私は対話だと考えています。

    • 対話は議論と違い、結論を出すことを志向しません。相手の考えを取り込み、自分の中に受け入れ、理解するために行われるものだとされます。対話を通じてのみ、人は自分と違う考えや生き方、倫理を内に取り込むことができるのではないかと思います。読書なども広義の対話に入ると思っています

  • 人間が集まって何かを成すのはとても難しいことです。人数が増えるほどエントロピーは増大し、一つの物事に取り組もうとするのは困難になり、管理にかかるコストがやがて上回ります。しかし、一人で考えられること、実現できることに限界がある以上、人間は他人とうまく交わる方法を模索するべきだと考えています。

  • そもそも、高度に情報化した資本主義社会を生きている私たちは、1人では3日も生き延びることはできません。であるからこそ、社会の中に少しでも対話の場を設計すること、あるいは自分自身がそこに身を置くことを、倫理的な義務として自分に課すことが求められると思っています。

参考

  • MBTI診断:ISFP(冒険家)

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