ソタ/男性保育士

2000年生まれ23歳の男性保育士です。 中学生の頃不登校になりそれを経験したからこそ…

ソタ/男性保育士

2000年生まれ23歳の男性保育士です。 中学生の頃不登校になりそれを経験したからこそ感じる今や、保育士として関わる全ての人から学んだ事を書いてます。 自分の感じた事をアウトプットして、さらに自分のものにしたい。 僕の文章を読んで感じた事も是非教えてください!

最近の記事

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不登校でも学校に行きたい

僕は保育士として働いている。 今日はそんな僕の中学生の時の話をしようと思う。 タイトル通り僕は不登校だった。 中学一年生の夏頃だった。僕は学校に行けなくなった。 イジメだった。 野球部だった僕は初めての上下関係の世界に困惑していた。 先輩から帽子を隠されたり、カバンの中に砂を入れられたりした。 同級生からは無視をされ休み時間やグループで僕は孤立していた。 そして僕は学校に行けなくなった。 先生は諦めずに何度も話を聞こうとしてくれたり、イジメの中心となっていた同級生との話の場

    • 不登校支援ボランティア会の会長始めました。

      不登校支援始めました。このタイトル通り2023年12月から、岐阜県の西濃学園同窓会として、今不登校で悩んでいる子や西濃学園を卒業した子、まだ西濃学園を知らない方々に向けて、様々な取り組みをしていく会を発足。 その名も、西濃学園同窓会コネクトです。 この会をきっかけに多くの方の繋がりを作りたい。を目的に活動しています。 なぜ始めたのか 僕がこの会を始めたののには理由があります。 それは、【自分が不登校を経験したからこそできることがあるのではないか】と思ったからです。 僕は

      • イヤイヤ期がある理由と保育士の対応法

        僕は最近BARでお酒を飲むこのにハマっています。 約1年程通っているBARで自分が保育士として働いていることを伝えると、イヤイヤ期に対する質問をしてもらうことが多くありました。 今回は僕の考えるイヤイヤ期についてとその対応方を書いて行こうと思います。 イヤイヤ期とは Googleで「イヤイヤ期とは」と検索するとこのような結果が出ます。僕は2歳児の担任をしているため、ちょうどイヤイヤ期になった子ども達と毎日遊んでいます。 靴を履くのが嫌。ご飯食べるのが嫌。オムツを変えるのが

        • 保育士になって気づいた保育実習で大切なこと

          保育士を目指す学生が必ず経験することになる保育実習。今回は保育実習の意味について僕の考えを書いてみたいと思う。 実習中の学生の気持ち 実習をする中で絶対にしなければならないこと、それは日誌を毎日書くことです。 保育学生の99%はこの日誌が辛いと言う。(僕調べ) 保育日誌とは主に【子どもの動き】【保育士の動き】【実習生の気づき】【振り返り】の四つを毎日書き込み毎日担当の保育士さん提出する。 僕の通っていた学校では一回の実習期間は二週間(土日は休みなので実質10日)あり、1

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        不登校でも学校に行きたい

          僕の知らない世界を考える。〜LGBTQの友人と話して思ったこと〜

          僕には過去LGBTQのことについて話をしてくれた友人がいます。 今回はその友人と話して思ったことを書きたいと思います。 社会人になり三年目が始まり、新しい悩みにもぶつかりながらも、日常を送る中で、ある友人と久しぶりに連絡を取り合いました。 僕が学生時代の頃の友人で、休み時間にたわいもない話を沢山していました。 約1年ぶりの会話だったこともあり、「最近どう?」「仕事楽しい?」など学生時代と変わらずリラックスして話していました。 話の中で、友人が学生時代に僕にしてくれたある相談

          僕の知らない世界を考える。〜LGBTQの友人と話して思ったこと〜

          発達がゆっくりだったからこそ僕は夢を持てた

          僕は今保育士として働いている。 保育士を目指して勉強をしているときに一番聞かれた質問が 『あなたは何故保育士を目指したのですか?』 だ。僕はこう答えた。 「僕は子どもの頃から保育士になることが夢でした。また、小児リウマチを持つ子どもたちと遊ぶボランティアを経験し、病気と闘いながらも明るく元気に過ごしている姿から多くの勇気をもらいました。そしてもっと多くの子ども達を支えたいと思い、保育士を目指しました。」 これだけ聞くと、すごく真面目で一生懸命な人という印象だったと思う。

          発達がゆっくりだったからこそ僕は夢を持てた

          自分なりのミニマリズム 一人暮らし編 (ミニマリスト部屋の写真有り)

          僕が一人暮らしを始めたのは、21歳の時でした。現在は22歳で約1年間一人暮らしをして、様々な気づきがありました。今回はそれを紹介します! そもそも僕がなぜミニマリストになったのか、そのキッカケはこの投稿の一つ前の【自分なりのミニマリズム 実家編】をご覧ください! 思い出の品が持つ力 僕が一人暮らしをする際初めに悩んだことは、実家から持って行く物です。 布団や机、棚、洋服など生活に必要な物は持っていくのですが、僕がこのとき捨てた物があります。それが【思い出の品】です。 僕は

          自分なりのミニマリズム 一人暮らし編 (ミニマリスト部屋の写真有り)

          自分なりのミニマリズム 実家編

          皆さんGWはいかがお過ごしですか? 僕は断捨離と掃除にハマってしまい部屋を何往復もしています(笑) 実は僕は高校生ぐらいから自称ミニマリストになりました。 キッカケは母でした。あるとき母が家の物を次々と捨て始めたのです。その時の僕は特に気にする事なく母を見ていましたが、次第に物が減りスッキリとした家に爽快感を感じるようになりました。また、ものは減ったはずなのになぜか家での生活が快適になっていることに気がつきました。 僕は母に聞きました。「なんで物をたくさん捨ててるの?」する

          自分なりのミニマリズム 実家編

          7年前の僕から届いた手紙

          僕は小学生の頃から不登校になり悩んでいた。中学生になっても、学校にはあまり行けずにいた。そんな時、母が岐阜県にある不登校に悩む子どもたちを支援してくれる学校を僕に勧めてくれた。 西濃学園という学校だ。僕はその学園で中学3年間を過ごした。 僕が15歳(中学3年生)の時、『立志式』というものが地域のイベントで開催された。 岐阜県の各地域の15歳の子どもたちが5年後の自分。つまり20歳の自分に向けて手紙を書き、それをタイムカプセルに入れるというようなイベントだ。 当然僕も参加し、

          7年前の僕から届いた手紙

          理解されたい人と理解したい人

          僕はある時中学時代の友だちから、こんな悩みを相談された。 【自分を理解してくれる人がいない】 自分を理解してくれる人がいないからどうしたら良いのか。という悩み相談だった。 すごく難しい悩みだが、どこにでも転がってる悩みでもある。 僕も学生時代この事ですごく悩んでいた時期がある。 これから僕の書くことは決して答えではない。だが、ひとつの考え方だと思って見てほしい。 まず僕が思ったのは、【人を理解することも、人から理解してもらうことも不可能】だということだ。 どんなに親しい

          理解されたい人と理解したい人

          日常が少し素敵に見えた

          これは僕が初めて心から尊敬した先輩と蕎麦を食べに行き、偶然出会った素敵な出来事のお話です。 出会いの年 僕は保育士として働いている。今年度で二年目。新しい仕事に追われ忙しいが充実した毎日だ。 僕が一年目の時にすごくお世話になり、僕の保育士としての芯を作ってくれた先輩いる。その先輩は今は違う保育園で働いている。たった一年という長いようで短い間だけだったが、僕は多くのことを教わり人生で初めて心から尊敬し、「この人のようになりたい」と憧れを感じた人だった。 再会 そんなある

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          オタクって楽しい〜僕が特撮ヒーローを好きな理由〜

          僕は特撮ヒーローが大好きだ。いわゆる特撮オタクだ。 初めて見たヒーロー番組は『爆竜戦隊アバレンジャー』という作品だ。 当時3歳だった僕は放送が始まる時間になると、急いでリビングに向かいソファーに正座し机に体を乗り出し見ていた。 子どもの頃は、戦ったり変身する姿に魅力を感じて必死に見ていた。 だが、僕は3歳から22歳になった今でも特撮ヒーローを見続けている。 今回は、僕が特撮ヒーローの「何」に惹かれているのかを話そうと思う。 初めにも書いたように、僕は特撮ヒーローが大好きだ

          オタクって楽しい〜僕が特撮ヒーローを好きな理由〜

          『僕』と『俺』の高校生活 〜不登校のその後〜

          僕は保育士として働いている。 中学時代は不登校だった。そんな時、素晴らしい学園に出会い僕は変わる事ができた。 その学園に関しては「不登校でも学校に行きたい」という投稿を読んでいただきたい。 僕は中学時代を岐阜の西濃学園という不登校を支援する学校で過ごし、高校生になる時に地元に戻った。 今日は僕が不登校だったその後の話をしようと思う。 【高校生活への希望と不安】 僕は、中学を卒業し地元に戻った。 西濃学園の高等部に進学する選択肢もあったが、それは選ばなかった。地元に戻り"普

          『僕』と『俺』の高校生活 〜不登校のその後〜

          社会人2年目、限界を知った話

          僕は保育士として働いている。 今年度は新人がいないため僕は2年目だがまだ一番後輩という立場だ。 一年目僕は、特に大きな失敗もなく、学ぶことはたくさんあったが、それなりに順調な社会人生活を送っていた。 だからこそ、僕は「自分ならできる」と天狗になっていた、過信していたのだ。 でもそれは自分の実力ではなく、上司や先輩方に守られて支えてもらっていたからこそだったのだ。 僕はある行事(夏の縁日)の担当になった。僕はその準備期間で沢山の失敗を経験した。凄く辛くて悲しくて、自分のことが

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          保育士の発見言葉以外の話し方

          僕は保育士として仕事をしている。 僕は2歳児の担任をしている。僕の働いている保育園は、0歳児1歳児(乳児組)の部屋と2歳児の部屋が、食事をとる広い空間を挟み繋がっている。つまり2歳児の部屋から乳児組の部屋が見えるという事だ。 午後5時になるとお迎えを待つ乳児組の職員が、数人の乳児を連れて2歳児クラスに遊びにくる。 乳児組の子どもたちは遊ぶ環境が変わり新たに遊びを見つけて楽しむ。 2歳児クラスの子どもたちは、自分たちより年下の子どもたちが来てお兄さんお姉さんのように振る舞おう

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          保育実習中に泣きたくなった瞬間の話

          僕は今保育士として仕事をしている。 当然学生時代には数多くの実習を経験した。 その中で、自ら考えた活動(制作や運動遊び)を実習生が仕切り行う『部分実習』というものがあった。 僕はとある実習先の保育園で『ぶんぶんごま』というものを子どもたちと作った。5歳児の子どもたちは苦戦しながらも、こまを完成させ回し方を練習し楽しそうに遊んでくれた。 だが、予定していた時間より40分オーバーした。 子どもたちが行う工程が多過ぎた事が時間がオーバーしてしまった最大の原因だった。 改善点はしっ

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