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sosoの素(22)

心と体と頭のこと 7

自分で自分の身体の好不調を認識できるようになって、それでいて毎日のように整えていけるとちょっとのことでは身体にガタがきにくくなる。
強い痛みを感じてから考え方を改めつつ、少しずつ緩和されて、痛くなくなってからも整えてトレーニングしてって、そんな状態に感じるまで僕の場合2年くらい。きっと痛みがまだ出てない人だったら半年もあれば驚くほど体が改善されるだろうなーと思うけど痛みがなかったら僕だったらここまで真剣に出来なかったなとやっぱり思う。
少し気だるい場所があっても体操をするとじんわり軽くなり、そして午後には重さを感じなくなる。自分で自分の身体を少しだけでも改善できてるって思えるだけで不安感も減り、心穏やかになってくるから不思議。無自覚に体調が良かった若い時より、自分で調整して整え、体調がいいと達成感もあって手に入れた喜びみたいなもので気分もいい。
頭で自分の身体をコントロールしようとしていたころは自分の身体なのに全く意のままにならない身体に不満ばかりが募ってきたけど、日々の体操で調整できるようになってからは改善され、整っていく自分の身体が愛おしくなる。だから体操をしても不調のままだったら素直に休むし、風邪など引いた時も身体が疲れてきてたんだね、無理させてごめんねって労われるようになった。身体が動かない時は頭を動かない身体に合わせていく。動かない身体に無理強いするよりよっぽど健全。そんなこんなで自分への愛情が雪だるま方式でどんどん膨らんでいって気がつけば自分以外にも優しくなれた。

話は変わるけど、僕の工房は借りる前は数十年放置された雑草まみれの場所だった。主に葛で蔦を合わせて絡まり合うように敷地全体を覆い、腰くらいの高さまで絡み合うように生えていてかき分けて奥にすら進めない。それを2ヶ月ほどかけて1本づつ鎌で刈り、引っこ抜き、可能な限り根っこを掘り起こして綺麗にした。それはそれは大変で、もう一度やらないといけません!なんて言われたら、、嫌だな。
綺麗にした後も毎年春から秋にかけては月に一度くらいのペースで草刈りをしている。初めの方こそ葛の新芽は出てきてたけど、今ではほとんどなくなったし、あれだけ荒れ果てた場所でも数年かけてこまめに手入れしているとこんなにも気持ちのいい場所になるんだと感銘を受けてる。
もう草まみれにはしたくないし、綺麗な状態の気持ち良さを知ると草刈り程度の労働はたやすくも思えるほどの喜びがあるのです。

身体から痛みが抜けて自分で整える体操を毎日している時に荒れ果てた工房前が綺麗になったことと同じことを感じた。放置すれば荒れてくる。だけどちょっとだけでも手入れをするとその分は確実に変わっていく。ついついそんなことしても何も変わらないよって思いがちだけど、それはきっと何もしない人の免罪符や捨て台詞みたいなもので、頭で考えずとりあえず少しでもやっておこうと思う人にとってはそうそう!とうなずきたくなること。
人工的だとか自然豊かだとか何かと人間と自然を僕らは勝手に区別しているけどそれは頭の中の話であって、身体って草木と同じ自然の法則で成り立ってる。そう思うようになってから酷使したり使いっぱなしにすることをやめれた。
限りあるものだからほどほどに回復を待ちながら日々整える。一度に大きな変化がなくても毎日毎日ちょっとずつ手入れをすれば気づかぬうちに整って、整ってしまうとその状況が心地よくもっともっと良くしたいと思えてくる。

自分の身体が草木のように自然と同じだなんてなんて素晴らしいんだろ。自分の身体が愛おしくなるって不思議と草木や風、空に太陽いろんなものも愛おしくなる。
そうなってきて自分の心が満たされてきてる実感を得始めたのです。

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