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sosoの素(97)

空腹は最高の調味料 まとめ

さてさて前振りばかりが長くなっちゃったけど「馬は水飲み場まで連れて行くことはできるけど、水を飲ませることはできない」とても好きなことわざの一つ。
良かれと思っていろんなことをしてあげても本人がその気にならないと何の役にも立たないし、与えるだけでは物事は動かない、そんなこと。

便利になった世の中では方法論やHow toを情報として腐る程垂れ流されている。それらをつまみ食いのようにちょこっと味見して自分に合う合わないを判断しては次の情報に手を出す。ダイエット方法なんかもそれで今はこれが流行ってるなんて言いながらやり方の正しさなんかを雄弁に語る人もいる。楽して自分の欲しいものを手にしようとするから効率的になんて考えちゃうし、少しでも自分の思い通りにいかなければ自分以外に原因があるんじゃないかと思っちゃうのも便利な世の中の苦しみなのかもしれない。

息子は学校に行けなくてどうしたらいいのかわからない中、何かのきっかけになればとサッカースクールに通い始めた。それからゆっくりゆっくり慣れていき学校には嘘のように楽しく通えるようになっていった。サッカーも楽しく通い、試合に勝ったり負けたりしながらもっと上手くなりたいとトレセンにも行くようになって、そこで選抜チームのセレクションに落ちたことで生まれて初めて挫折のような悔しさで泣いた。そこからそれまでとは違ったサッカーの向き合い方になった。
本人にとっては本当に苦しくて辛い時間が続いたと思う。見守る親の立場ですら苦しかった。それでも少しずつ慣れながら本人なりに頑張っていた。暗中模索の中その頑張りで光のようなものが見え、その方に芽を伸ばして行った先にそれまで想像もし得なかった希望を見つけることができた。

大人になると上手に苦しみを遠ざける。それは間違いじゃないし、大切なこと。その反面、方法論やHow toさえあれば物事が上手くいくと思って必要以上の情報を探しにいってしまい、やりもせずに頭でっかちになって身動きが取れなくなる。そうなると周りばかりがよく見えてまた次の情報を探してしまうことの繰り返し。失敗することが億劫で上手くいくようにと探した方法論が失敗すら出来ない何もしない人にしてしまっているんじゃないだろうか。
「馬を水場に連れて行くことはできるけど、水を飲ますことは出来ない」
これは自分以外のことだけじゃなく、自分にも当てはまることなんじゃないかと思うのです。
便利な世の中だから自分自身で水場に行くことができる。水場に行って「こんなところか」と高みの見物のような気分で見るだけみていつでもここにこれる安心感だけを得て帰ってきてしまってることも多いはず。

お腹がいっぱいの時はどんなに美味しい食事も飲み物を美味しく味わえない。その逆で大したことのない食べ物もお腹が空いて空いて倒れそうなくらいの時は本当に美味しく感動的。
僕らは今の生活の中で枯渇感がほとんどない。少し小腹が空いてはコンビニで買い食いをして満たしてしまっているようなことやコスパがいいだなんて言いながら本当に欲しいものではないのになんとなく買ってしまったりはしていないだろうか。
なんだか上手くいかないなーと思いながらもそこで踏ん張りながらなんとか日常を過ごしていきながら自分にとっての次なる光が差してくるまでグッと堪えることが便利と引き換えに僕らは失いつつあるのだと思うのです。
苦しくて辛くてもうどうにでもなれとヤケを起こしたくなりそうな気分でも堪えて粘って歯を食いしばっていれば思いもしないところから希望がやってきてこれまでの自分では行くことのない方に連れて行ってくれる。
それは自分で水場を高みの見物でみるのとは違って、倒れそうなくらいへろへろで空腹の状態でお腹に優しい慈愛に満ちた食事を食べるようなこと。それはそれは感動的で人生の喜びのような時間。

そんな時間を息子を通して体験させてもらえたし、ここには書いてないけど僕自身も自分のことで体験した。苦しい時間があったからこそ、体験できる至福のとき。
空腹は最高の調味料。


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