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sosoの素(88)

適当なお付き合い

お客さんを含め、僕らに関わってくださる方のほとんどが本当にいい方ばかりで奇跡のような状況に感謝感謝の日々です。きっと僕らのしている何かによってそんな状況になっていて、たまたまではないんだろうと思ってます。

自然体で居れる人の近くになるべく居ることや不機嫌な人からは離れたりと自分が穏やかで居るためにすべきことをしている少しずつではあるけど状況は良くなることがある。だけど社会はそんなに単純にできてなくて「苦手だな」と思う人と関わっていかなければならないことも多い。そんなことばかりだと嘆く人もいるかもしれない。

僕らも仕事上でのことは自分たちが心地よいと思える人との関わりがほとんどでお互いの都合の良さが一致していてとてもスムーズ。時に「ん?」と思うこともあるけど仕事だからと思うと踏ん張れるし、その疑念や踏ん張りによって次からの対応が楽になることも多い。
逆に子供の習い事や町内のことだと勝手が変わってくる。
それぞれの都合がバラバラでそれぞれがどこかで折り合いをつけなければならない。それぞれで折り合いをつけれているならまだいいかもしれないけど、自分の都合だけをこちらに押し付けて後は知らないなんてこともない話じゃない。

前にブルーハーツのボーカルの人が学校に馴染めない子に対して「学校たまたま乗り合わせた電車」と表現して電車に乗った人みんなと仲良くなれるわけないしそんな狭い世界に閉じこもらなくていいよとアドバイスしていた話を聞いた。
会社もご近所も身内もそんなものなのかもしれない。
他人にとってはどんな揉め事も「仲良くやればいいのに」の一言で片付けられるけど、それができたら誰も苦労しない。だから悩んじゃう。

少しずついろんな経験をするごとに相手を思いやったり想像する気持ちの余裕が生まれてきて、イライラしている人を見ても満たされてなくてたいへんで何か辛いなんだろうなと思う様になってきた。

誰とでも仲良くしましょうなんて幼児には言えても大人の社会では成立しないのかもしれない。というか仲良くってどこまで行けば仲良くなんだろう。それも曖昧で人それぞれだから余計に難しい。

僕の心がけてることとしては誰にでも心を開く。だけどいつでもその扉を閉めれるくらいの隙間で。意地悪そうで不満げな人にはとても狭い隙間しか開けないし、優しさが溢れてる人には大きく開ける。その開け具合を調整しながら前回開けすぎたし今回は締め気味でなんて具合にお互いのちょうどいいが見つかる様に。
心を締め切ってる相手に対して、こちらが心の扉を全開でいったとしたら相手からしたら恐怖でしかない。そこも思いやりを持って大きな声で挨拶する気持ち良さをおしつけるのではなく隙間から会釈するくらいがいいのかもしれない。
そんな感じで人に合わせて微調整。

全ての人とうまくやろうだなんて思ってなくて、お互い嫌な気持ちにならない様に適当なお付き合いでいいんだと思う。本当に仲良くなる人とは何にも考えずとも仲良くなるもんだし、そんな人と出会えたなら人生の喜びの一つでもある。
たまたま乗り合わせた電車の人たちのような距離感の人とは挨拶をしたり、場合によっては他愛のない会話があればもう十分。
風通しさえ良くなればお互い心地よくいれるから。

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