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sosoの素(80)

下心にはご用心 前編

「女の子にモテたくて中学生の時にギターを始めた」なんて話は漫画でもドラマでもよく見聞きする。
ギターを弾くってなんだかかっこいいし、それでいてセクシーな気がする。
それはギターや音楽に魅了されて始めるものとは違って下心全開で、自分がキャーキャー言われるための道具でしかない。
きっかけはともかく、そこから音楽に魅了されプロのミュージシャンになった人だっている。

いくつになっても無粋な欲、すなわち下心は人の中に雑草のごとく抜き取っても抜き取っても芽生えてくる。

自営業をしていると売り上げを作らないといけない。
お金をたくさん稼ぐことを目標にしている人はそれでいいんだろうけど、僕の場合、自分がいいと思うことや楽しいことをしながら生活が困窮しないように稼いでいくことを目標にしている。だから売り上げを作るために何かをしなければと考えるとても苦痛になってくる。
以前、ある商品がとてもよく売れることがあった。この仕事を始めたての
僕からすれば願ったり叶ったりの人気商品に化けかけている状態。このチャンスを逃しまいとせっせと制作をしているとなんだか気分が沈んでいく。
だめだだめだ、こんなチャンスを逃してはだめだと自分を奮いたたせながらも作れば作るほど気分が落ちていく。なんでだろうと思いながら考えているとワクワクしているものを作ってるのではなくてお金を作ってるような感覚になってる自分がいた。
美術作品を作ってる時に「武士は食わねど高楊枝」の気分で、お金のためにものを作ると作りたいものがわからなくなると思っていたこともあり、このままでは作家として終わってしまうと危機感を持ち、取引しているお店に謝ってその人気になりかけた商品をしばらく制作しないことにした。
すると憑き物が取れたような気持ちになり、売り上げが上がらない不安より作らさせられてるという思い気持ちがなくなり安心した。
いくらよく売れるとわかってても自分がワクワクしないのなら作るべきじゃないことを学んだのです。

それからもいろんな壁にぶつかりながら、こんなことしたらうまくいくんじゃないかなんて妄想が浮かぶ度「それはやりたいことか?」と自問自答することをとても大切にしている。

その中で一番よく思うのは「下心」があるかないかだということ。
あの人と仲良くしてればきっと助けてくれるとか、いろんなところに連れてってくれるからとか、お客さんに言われて売り上げが上がりそうだからみたいに、本心というよりはなんかモヤモヤするなと思った時に自分を納得させるための言い訳のような状態になってしまうことが僕の思う「下心」を持って行った後の副作用。
純粋に好きだから仲良くしてるのであればモヤモヤすることもがあっても許せてしまうし、好きで楽しくやってることであれば売り上げにならなくても大変でもモヤモヤしずに頑張れる。僕は違うけどお金が大好きで方法はともかく売り上げをことが嬉しい人は売り上げを上げることが下心ではなく目標でそれはそれで純粋だと思う。
下心を含んだ不純な目標は未来の自分の成長を大きく歪める曲者であるのです。

こんな綺麗事みたいなことを言ってるとそんなこと言ったってしょうがないじゃないか母さんとえなり君に言われるかもしれない。
確かに綺麗事のように思えるし、綺麗事だと思ってしまってること自体がすでに自分で自分の本心にすら気付けない透明度の低い心になってしまってる可能性があるのです。
生きるためにやりたくないことをやっているとか好きなことだけをしていける訳がないとかそう思えて当然だし、社会システムがそのことを前提にして成り立っている。
僕も務めている時があったし、その時は自分の本心を隠すというよりはここでは見る必要がない、本当の自分はここにはいないと思っていた。仕事中は目の前のことにだけ没頭して早くプライベートな時間がやってこないかな?とばかり思ってたし、休みが終わると明日からまた仕事か面倒だなー思っていた。
自分で仕事をし始めた時もどのようにやっていけばいいのかわからずで、これまでの経験でしか考えることしかできず八方美人でなんでも引き受けようと思っていた。だけどそれをしているとただの便利屋のようになってしまって自分のやりたいことをやりたいから自営を始めたのにいつの間にか務めてる時のような心境で仕事をしてしまう。安請け合いしたものを断ろうにも断ることも負担になり、断るよりやってしまった方が楽だと売り上げのため自分をごまかしていた。それに違和感を感じながらもどうやってそこから脱却すべきか、できるのかがわからず右へ左へとふらふらしながらどうしたものかと悩んでる時にカトラリーがよく動くようになったり、表札の制作依頼が増えて来た。


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