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sosoの素(87)

丁寧

二ヶ月ほど落ち着かない日々が続いていた。
何かの試験があるわけでも新生活が待ってるわけでもないけど、気ぜわしかった。それはいつまでには返事して、あ、あの人にお伝えしとかなきゃ、おおっとこれの納品は来週までだ、そんな感じで細かいことがたくさんあって、それら一つずつは全く大したことがないのだけれど次から次へと息つく間もなく押し寄せてくる感じで。

我が家の子供達はスイッチもするしyoutubeもみたりする。
親からするとそんなことよりもサッカーやピアノに熱中してくれたらどんなに素晴らしいかと思ってしまうんだけど、僕も親からそんな風に思われていただろうなーと思うと怒ることもできずほどほどにしときなよーとしか言えないのです。

怒ったり投げやりなやり方をする時は決まって自分の中でそのことを抱えきれなくなって、その気持ちをなんとかしたくってある時は怒りとして外にアピールをしたり、ある時はどうにでもなれって放り投げる。それでうまく行くこともあるだろうけど、それはたまたまやった博打が当たったようなもので次がうまくいくとは限らない。だけど博打と一緒で当たった快感だけは残ってるので上手くいかなくても何度も同じことを繰り返すような依存性になってしまうこともある。
本人はそれで自分の抱えきれなくなったものを外に出せてスッキリするかもしれないけど、周りはたまったもんじゃない。嫌な上司はそんなところなのかもしれない。

僕も自分で仕事をするようになってから一生懸命やってるのに物事が上手く転がらなかったり、こっちはこんなにやってるのになんでわかってくれないの?と思ったり、こちらの状況は御構い無しで勝手にお願いを途中で変えてこられた時にとーーーてもイライラモヤモヤしていた。その都度誰かに当たり散らしたかったし相手にも仕返しじゃないけど嫌味の一つでも言ってギャフンと言わせたいと思っていた。
そんな自分の気持ちや気分を抱えきれず外に吐き出すことが僕にはカッコよく思えなかったし、いつも同じことで同じストレスがかかるならそのストレスとの上手な付き合い方や回避する方法を探す方が1枚も2枚も上手だと思えて、そんな人になりたいなと自分が同じようなシーンに出会った時に丁寧に自分の気持ちと向き合った。

自分の都合があるように、他の人にも都合がある。
もうこの一言に尽きる。

他の人の都合はもしかしたらとても身勝手で一方的なものかもしれないけども、それに対して常識という目に見えない曖昧なものを持ってきて良い悪いを考え出すから自分の感情も物事も絡まってしまう。
カチンときてギャフンと言わせたいと思った相手こそ出来る限り少ないやりとりで物事を終わらせるのが自分にとって楽チンなんだからと思い、感情を少し抑えて相手が喜びそうな言葉と共にさらりと終わらせてしまう。
そうするとその場はあっけなくさらりと終わる。
ギャフンと言わせれなかったとか嫌味の一つでも言ってやればよかった、そんな後悔はちょっと残るんだけど、何か嫌味を言った後は余分な一言だったかなとその嫌味が自分の中にも残るし、身勝手な人ほどそんな言葉に敏感で何かのタイミングで仕返しにくるかもしれない。そんなことを思うと何も言わないことが一番だし、もしも相手が不誠実で常識外れなことをしていたのなら同じく未熟な僕ごときが正義と思い込んでる拳を振り上げて手を汚さなくても他のもっと重要で大切なタイミングでその人は大きなげんこつをもらうことになるのがこの世の中なんだと考えると相手にしない冷たさが一番のお返しなんだと思う様になったのです。

丁寧はその時には手間がとてもかかる。正直疲れるんだけど、その丁寧さがあったからこそ育ってくる世界があってとてもゆっくりだけど回り回って自分を心地よいところに連れていってくれる。

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