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SOSOの素(9)

とく

得したいなー、いい思いしたいなーなんてみんなが思うこと。自分だけがそんないい目ばかりに遭遇できるわけもなく、損するようなことや嫌な思いをすることの方が多くやってくるんじゃないかとすら感じることもある。

そもそも得をする、損をするってなんだろうか。大きなものを分配するときのバランスに不公平感があるときに損得は起きる。
得をする人が現れると損をする人も現れる。得する人と損する人に分かれると自分は得する人になりたいと思う。得する人になりたいと思うってことは損は絶対したくなくなる。損したくないと思うと自分以外の人が得をしていないか気になってしまう。そしていつしか自分は損をしていないだろうかという不安が絶えず付きまとうようになり、落ち着かない気持ちになる。その気持ちこそが僕は損をしているのではないかと思うので得をしようと考え自体を持つことをやめて、自分が納得したかどうかを基準にしています。

それでもたまにしちゃうけど、例えばガソリンを少しでも安いところで入れようと1円の違いを大切にする。よく考えれば大きな車でも乗用車であれば入る量なんて空の状態からせいぜい90Lで、1円×90Lだから満タンに入れて90円の違いにしかならない。毎日それだけ入れるなら積み重なると大きいかもしれないけど月に1,2度程度ならコンビニのコーヒーを一度我慢した方が節約にはなるから数字でみると少しでも安いガソリンスタンド探すよりもコンビニに行く回数を減らした方が賢明なのかな?と思う。こうやって数字を追ってどちらがどうなってお得か、それを考えるのが大好きな人もいるかもしれないけど僕はそんなことを考えてると気分が重くなるからあまりしない。

質量保存の法則ってのがある(らしい)。詳しく調べるとちょっと違うみたいなんだけど、ざっくりいうと物質は形状が変わってもその質量は変わらないってこと(らしい)。興味のある人は自分で調べてね。
この話は僕の実家に法事の時にお経を上げにきてる和尚さんが今の社会では人は死ぬと火葬されてその人がいなくなると思うかもしれないけど、灰と水蒸気になって地球上には存在していると言った話で肉体ではなく魂が云々と話していたんだけど、ここから魂の話に行くと脱線して戻れなくなるのでそこはひとまず置いといて、僕は質量保存の法則から人生も良いこと悪いこと同じくらいでトントンなら上出来だと考えるようになった。

悪いことをするとその報いはやってくる。その逆もあっていいことをしてると自然と向こうから幸せなことがやってくる。そんな気がする。でも実は悪いことしててもいいことしててもやってくる出来事にはそんなに違いがないんじゃないかとも思ってる。風のようにみんなに吹いていてその風を心地いいと思うのかうざったいと思うのか、その気持ちを育てるのが日頃の行いなのではないかな?風は自分ではどうしようもないから強すぎる日は忍び耐え、心地よいときは体全部で感じていると楽しいことや気持ちいいことばかりになっちゃうから不思議。

人生概ねプラスマイナスゼロだとは思うけど、小さな積み重ねでそのアベレージが変わって行くものでもあるはず。だから損得感情ではなく心がざわつかない心地いやり方であるもの全てを受け入れながら得ではなく徳を積んでいくといいのかね。


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