見出し画像

文字書きワードパレット 16.ミール 〈平和〉

 早朝、男は夜中のうちに育った〈色彩の火花〉を摘みに出かける。
 家を出てしばらく歩いた先の谷を、きしむロープづたいに下っていく。朝霧が濃いので足元に気をつけて慎重に下る。すると、谷底に近づくにつれ、きりの向こうから、光り輝く花の群集が視えてくる。
 ヒトの身である男には食することはできないが、色彩の火花は竜族の好物かつ豊富な栄養素を含む食材とされ、これを幼い頃からよく摂取した竜は、体躯の色彩の鮮やかさが他の個体とは首一つ分飛び抜けるのだという。だから男は毎朝毎夕、こうして谷底まで色彩の火花の収穫に来ている。
 見渡せば、夜のオーシャン・ブルーや紺碧色、星の銀色などさまざまな色彩の火花が谷底一面に広がっている。谷底には夜から落っこちた色彩が溜まりやすいのだ。それを耐熱手袋をはめて手早く摘み、家に戻ってから新鮮なサラダにする。
 竜族はまた、ゼリーのように溶けかけた〈魔宝石〉を好む。これをブイヨンスープのように仕立ててやると、かれらは喜んで飲むのだ。その魔宝石の欠片が、谷の壁面に時折みられる。男はこれも忘れずに拾ってゆく。
 今朝は竈で〈レーズン・グラス〉という干しぶどうのようなガラス質の植物を練り込んだパンを焼いている。竈から引き上げ適度に冷ましていたパンを厚く切り、幻想煙草の煙をふうと吹きかけると、パンは煙をまとい、なんともいえぬ甘い芳香をただよわせる。この薄い橙色の煙が、時間が経ってとろりとしてきたらハチミツの代わりになるのだ。
 煙草の煙といえば、ヒトは意図せず吸い込めば咳き込んで嫌がるものだが、竜族にとっては新鮮な空気のように美味しいものらしい。ヒトの世界における煙草と幻想煙草の性質は大きく異なるので、事情も違って当たり前だ。
 レーズングラスのパンケーキ、色彩の火花のサラダ、魔宝石のスープ。スープには森で採れたさまざまな木の実やきのこも入って、具沢山だ。
 これで、朝食の支度がととのった。さてそろそろ呼んでやるかと思っていると、パンの匂いを嗅ぎ取ったのか、こどもたちが二階の寝室から降りてくる。ふたりのこどもはお揃いのパジャマを着たままだ。それぞれ、鮮やかな青と、美しい緑色の体躯に合わせた服の色。「着替えてから降りてこないか」と普段なら小言をいうところだが、今日は休日。竜族として立派になるために日々修練を重ねているかれらに、休日くらいは怠惰を許そう、とついつい男はこどもたちのたてがみを撫でて「おはよう」と優しく声をかけ、甘やかしてしまう。いかんいかん、と男は思う。男は世話焼きな性格ゆえに、いつも教育が温すぎる、とこどもたちの師範から叱られているのだ。
 けれど、こどもたちのふくよかな頬、大きな口、長い睫毛、広い額など見つめるうちに、愛しさで胸がいっぱいになる。男は生粋の料理好きであり、またこども好きでもあった。
「先生のところでは今、どんな修行をしているんだい?」
 男はちょっと考えて、育て親らしいことを尋ねてみる。
「んー、内緒」
「望月にはおしえなーい」
 師範からそう教え込まれているのか、修行の話題となると、いつもこうしてはぐらかされる。男は苦笑し、自分用に手早く焼いた質素なパンケーキや、グリーンサラダを黙って口に運んだ。
「美味しかったー」
「ごちそうさまー」
 ふたりの幼竜は皿を綺麗に片付けて、育ち盛りの太くなりかけた尻尾を振りながら、どたどたと二階へ引き上げていった。竜族の綺麗好きは万国共通で、どうやら遺伝子に刻まれているものらしい。
 やがて、屋根裏部屋付近で物音がしたと思えば、開け放した出窓から、ばさばさと力強くはばたく翼の音が聴こえた。男はそれに耳を澄ます。
 きっと、森の上空でおにごっこなどして遊ぶのだろう。遠い昔、子供の頃におにごっこをした記憶がかすかに蘇る。かれらに初めて会った時、その懐かしさから教えてやった遊びを、こどもたちはすっかり気に入っているのだ。あるいは離れた村に住む友だちと待ち合わせでもしているのかもしれない。何にせよ、昼頃にはまたお腹をすかせて帰ってくるだろう。昼食は何にしようか、と男は既に頭の中で思考を巡らせるのだった。


(画像提供:Pixabay)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?