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中央大「LGBTと法律:性別の変更について考える」

中央大・LLAN連続公開講座第3回「LGBTと法律 - 性別の変更について考える」に参加。簡単なメモを...

まず、谷口先生より性別変更に関する主要な出来事の整理。

1970年:ブルーボーイ事件結審
1996年:埼玉医科大学倫理委員会が性転換治療を医療行為として認める答申
1997年:日本精神神経学会「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」公表
1998年:埼玉医科大学において公式に性別再指定手術(SRS)が開始
2000年:自由民主党内に性同一性障害に関する勉強会を設置
2001年:公式に性別適合手術を終えた当事者を含む6人の戸籍訂正一斉申し立て→全て却下
2003年:性同一性障害者特例法成立
2004年:性同一性障害者特例法施行、那覇家裁が初の変更審判
2005年:東京高裁が特例法第3条の5要件について合憲と判断
2008年:性同一性障害者特例法3条2号を「現に未成年の子がいないこと」に改正
2013年:最高裁が性同一性障害の男性を「父」と認定

2005年の性別変更の5要件に対する東京高裁の立法趣旨をさらって本論へ。

明治大学の三橋順子先生から、特例法以前に戸籍の性別を変更した2名「布川敏」さん「永井明子」さんの事例を紹介。1980年までは性別を変更できる場合もあったが、1979年の名古屋高裁で却下された件など、1980年前後が認められる場合とそうでない場合の転換期だったという。

2003年の性同一性障害者特例法ができるまでの道筋や議論を整理し、最後に三橋先生の考える新・性別移行法を紹介。

次に登壇した京都産業大学の渡邉泰彦先生からは、そもそもの「性別」の捉え方を整理し、特例法の5要件に対するコメント。ドイツやオーストリアの判例も紹介。

(登壇されたお二方の資料や映像は、おそらく連続公開講座のページに近々アップされるのだと思います)

ドイツで認められた第3の性

興味深かったところとしては、ひとつはドイツで「第3の性」が認められた背景にある判例について。

外観は女性だが染色体異常で生殖機能に問題があるという人で(例えば日本では女性として区分できないケースだったそう)、その人は自身を女性とも男性とも認識していなかった。(例えば日本でも母子手帳は男・女・不明の3分類があるが)かといって「未確定」では人格権を侵害しているため、第3の性別が認められたそう。

三橋先生は「第3の性別を求める人がいる以上、それを規定することには賛成。しかし、トランスジェンダーの多くは男性または女性を自認しており、第3の性別に全てを押し込めるのは反対」。

性別の自己決定が認められた上で、自認する性別として第3の性別を選択できるということが重要。

ICD-11について

また、WHOの国際疾病分類「ICD-11」で性同一性障害がなくなりGender Incongruenceとなった件。

Gender Incongruence自体の訳もさながら、その分類が「性の健康に関するコンディション」となったことについて、このコンディションを「状態」と訳すか「病態」とするか。厚労省は保険適用のために「病態」としたい意図があるそう。しかしWHOの改定の趣旨からはややずれるとも取れる。

法律で性別を分けること

「そもそも、なぜ法律で性別を分けて規定しないといけないのか」という参加者からの質問も興味深かった。

これについてはドイツで第3の性が認められた際にも議論があったと渡邉先生が指摘。

「ひとつは、男性や女性というアイデンティティを記述する場はあって良いのではということ。次に、現代における差別禁止について考えた場合、典型的なものとして「女性」が弱者として守られており、そこが守られなくなるということ。性別をなくしたらから全てが良くなるかというと、それはわからない」

三橋先生は「性別があるということは法律で規定されているが、男性とは何か、女性とは何かは法律で規定されていない。なので、性別の法的な判断は時代とともに動いてきたし、これからも動く」


もっといろんな議論がありましたが、印象に残っていたところをメモ。登壇されたお二方の資料や映像は、おそらく連続公開講座のページに近々アップされるのだと思います。


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