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僕のZ1-J

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉はたいてい冗談で言うもので、本当にそんな気持ちで物を買うことはそうそうない。

僕が初めて「清水」を経験したのは浪人生の時だった。山小屋の住み込みバイト代を叩いて、僕は25万円のSONYの業務用カメラを買った。

買った場所は中野のフジヤエービック。撮影機材専門店だった。煌々と蛍光灯が光っている店内に歩く人たちは、一様にチェック柄のシャツにメガネをかけていて、体型が良かった。ひょろっとしている坊主姿は僕一人だった。

何も買うつもりはなかったのだけど、ショーケースにあるそのカメラの前で止まってしまった。そのカメラはやたら大きくて、黒光りしていて、わけのわからないボタンがたくさんあった。

Z1-Jと呼ばれるそのカメラは、その当時すでに最新機種ではなく、誰かが使っていたこともあって安くなっていた。元値70万円のカメラが、ちょっと背伸びすれば買える場所にあったのだ。

浪人が終わったら、映画監督になるつもりだった。この浪人時代をビハインドではなく、アドバンテージに変えたかった。山小屋で3ヶ月働いた分のお金をつぎ込んで、浪人したからこそ買える代物を手に入れる。

悪くない買い物だった。

・・・

僕は山小屋のバイトの残りを握り締め、人生初の海外旅行に発った。

行き先はハワイ島だ。

山小屋でよしもとばななの「サウスポイント」を読んで、落ちる夕日を映像を想像した。Z1-Jを手に入れた今、夢は少し形を変えて「夕日をこのカメラで収める」に目標が変わっていた。2009年6月のことだ。

コナ空港の荷物受け取り所から、ナイキのエナメルバッグがやってくる。「FRAGILE!」の赤いシールがこれでもかと貼られているそのバッグの中に、緩衝材に包まれたカメラがあった。ついでに、4キロ近い三脚まで持って行ったのだ。

スクリーンショット 2020-05-08 13.01.15

海を眺めていたって、なにをどう撮ればいいのかわからない。それでも、ただカメラを回しているだけで、近くにいる外国人がしきりに「nice camera!」と声をかけくれた。

めちゃくちゃな映像を撮って、半年以上かけてハワイの映像を完成させた。
フウロはその映像を観て、不思議なことをする人だと思ったそうだ。
今では恥ずかしくて見られないよう編集だったが、今見ても映像はびっくりするほど良くて、僕はあれから10年経ってもさして変わらない光景を撮っている。技術はなかったが、その分をカメラが補ってくれていたように思えた。

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・・・

大学に入った僕は、このカメラを使って何十本も映像を撮った。いつのまにか購入代金くらいは稼いで、そのお金を使って念願の映画制作に注ぎ込んだ。

どんなにやる気があっても、そのやる気が空回りしてしまえば結果は出ない。情熱だけではうまくいかないものがあると知った。処女作となるはずだった映画は出来上がらなかった。大きな挫折をし、いろんなものを失った。

残ったものはカメラとフウロぐらいだ。あの時、湯煙にまみれながら、刻々と状況が悪くなっていく様を、このカメラはどう見ていたのだろう。ほろ苦い記憶とカメラはあまりに密接にくっつきすぎていて、それからそのカメラはバッグで眠るようになった。時代はDVテープからSDカードの時代へと変わり始めていた。

・・・

6年ぶりに引っ張り出したカメラは、あの時の色艶のままだった。手にはめると人肌のようにぴったりと収まった。最初はあんなに分からなかったボタンたちは、今では目をつぶっても操作ができる。使っていた時には、カメラレンズがカールツァイス製だったことも知らなかった。

久しぶりに持ったカメラは少し軽い気もした。ただ、これを片手で持っているとひどく重たいのだ。購入してからレビューを調べて、その重さと、すぐさまSDカメラ仕様の新機種が出たことも相まってあまり流行らなかったことを知った。僕と同じカメラを持っている人は大学はおろか、いまだかつてお目にかかったことがない。

スイッチを入れると、あの時と変わらない形で起動する。ファインダーを除いた感じが大好きだった。隣で見ていたフウロが「このカメラを観るとそうちゃんっていう感じがするね」と笑った。これは僕が映像を撮ろうと決めてからの僕を支えてくれた相棒なのだ。

愛着があるからこそ、こうして眠らせておくのは不憫だと思った。

新しい誰かがこのカメラを愛してくれるといい。カメラは数万円の値がついて、明日僕の手を離れることになった。

ハワイ島に連れて行った時から9年経って、僕はフウロと同じ光景をもう一度見に行った。フウロと出会う前からこの子は一緒だったのだ。

お別れするまで、お別れは形にはならない。
心の端っこにあるけれど、そのままのものはいつしかトゲのようになり、その場所を触らないようにするなっていく。それってすごく、寂しいことだ。

別れることの寂しさよりも、気持ちの整理をつけたことの清々しさと、このカメラの新しい行先に希望を込めて。

ありがとう。いってらっしゃい。

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ライター・夫婦 blog : https://so-saku.net
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