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なんにもない日は、火をくべようっと

岩魚の塩焼きを給仕する。

18歳、浪人、僕の仕事だった。まだ雪深い春の上高地の山小屋で、囲炉裏の脇に設けられた段差に腰を下ろし、英単語帳を片手に囲炉裏を眺めていた俺。今あのときの場所に戻れるなら俺に言ってやりたい。単語帳片手にバイトするとは何事だ!と。先輩怒ってるぞ。

男は誰しも火を見るのが好きだと思うけれど、僕が火の魅力を殊更感じたのはあの18歳の囲炉裏だったなあ。

帝国ホテルの従業員が休日の楽しみに食べに来たバイト先の岩魚の塩焼きは、まさに芸術。炭一つ落ちていない真っ白な灰の海の中心に作られた凹みを囲うように、青みがかった岩魚が秩序を守りながらサクッ・サクと装填されていく。

圧巻なのは頭までカリッと焼き上げられた岩魚はもちろんのこと、それを生み出す炎だった。使われる材は「ナラの木」のみ。あんなに大きな木にいきなり火が付くわけでもないし、でも着火剤とかダンボールとか一切使わず、部屋がけむりもせずに、一体どうやって着火していたのだろう。大きな塊のナラの木で作られる熾火が岩魚を最高に美味しく調理していた。真っ赤に輝きながらも、主張は抑えめのあの熾火。火を自由に使いこなせる男こそ、本物の漢ですよね。たぶん。


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このご時世、火をくべる機会なんてそうそうない。けれど、ありがたいことにこのあたりは焼き物の産地ということもあって、いろんな場所から煙が出ている。登り窯の火に、焼き籾の火、笹が爆ぜる音が聞こえるのも日常の景色の一つだ。

うちには前の住人が置いていった立派な薪ストーブがあった。錆びてるしガラスは割れているけど、それを外に引っ張り出し、煙突を立てて火をくべる。蓋を閉めればトロトロと燃え、開け放てばあたり一帯がぽかっと火照る。家の周りには勘弁してってぐらい木材があるので、いくら燃してもなくならない。


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ああもう今日はだめだ。という日が、月に1回は必ずやってくる。ものづくりもだめ、掃除もする気にならない。かといってだらだらするともっとダレる。

そんな日には、おもむろに裏庭に行って枯れ木を拾い、薪ストーブに火を付ける。斧で角材を薪にして、枝は剪定バサミで細かく。無心にバチバチと切っていると、すれ違っていた時間と感覚がもとに戻っていく。

ぼんやりとした疲れが明確な疲労に変わって、なんだかホッとする。今日俺はちゃんと火を作ることができた、これでいいんだって、誰かに宣言したいのかも。

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