ものをつくる

大人になって一番自由になったことは、自分の世界が作れるようになったことだと思う。

子供のころから、子供のころは特に、心と体の調和が取れなかった。

頭の中で暴れる感情を体で抑えることができなかった。

自由に描いた木の色は赤色をしていて幹は見たままのものより10倍も太く、先生はそれを見て素晴らしいと褒めたたえ、同級生には変な絵だと貶された。

いつのまにか背中や肩だけでなく指先まで萎縮して、自由に作れなくなった。

ひねた、つまらないものを、ちょっとかっこつけて作るようになっていた。

誰にも見せまいと思いながらまだ見ぬ心の通じ合う人にめがけて、文章を書いていた。

大学に入ってフウロに出会って一番変わったのは、素直にものを作ることの楽しさと優しさを知ったことかもしれない。

はじめてのデートは家でTシャツに絵を描くことだった。

フウロは自作のTシャツを何枚も持っていて、さも当たり前のようにTシャツを着こなしていた。

誰が見るかも分からない、でも確かに存在しているホームページがあり、そこにはしがらみも隔たりもない自由な世界が広がっていた。

玄関には幼少期に作ったりんごのマスコットが座っていた。

もっと作っていいのだ。

どこかに所属して、作り、お金を生み出すこととは違う形でも、ものは作れる。

心の自由さえあれば容易に作れる空間がある。

あれから10年たって、僕は働きながら、びっくりするほど長い時間をものづくりに費やした。

書いたり、撮ったり、話したり、土を練ったり、編んだり。

誰かに見て欲しいと思い浮かべながら、本当は自分自身に向けたものを作り続けているのかもしれない。

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