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【ためし読み】小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』/⒍旅行の約束

2020年7月に創業したばかりの出版社、素粒社です。素粒社のはじめての本となる、小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』が刊行されました。フランス、ニース在住の俳人・小津夜景さんがつづる漢詩のある日々の暮らしーー杜甫や李賀、白居易といった古典はもちろんのこと、新井白石のそばの詩や夏目漱石の菜の花の詩、幸徳秋水の獄中詩といった日本の漢詩人たちの作品も多めに入っていて、中国近代の詩人である王国維や徐志摩も出てきます。本記事では『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の一部をためし読みとして公開しています。


 旅行の約束


 つぎの土曜日あそびにいらっしゃい、とマリーが言った。

 さいきんマリーは85歳になった。手品を習ったり、油絵を描いたり、朗読をしたりと毎日いそがしい。じゃあわたし、レモンケーキを焼いてゆくので、そのつもりでいてね、と約束する。

 土曜日の正午、曲がりくねった丘の道をバスで上り、ランタナの生垣に囲まれ、死せるがごとくに鎧戸をとざしたマリーの自宅をおとずれた。マリーはねまきのような、くたくたの白いワンピースでわたしを出迎えてくれた。実はこれからテーブルをつくるの。居間でくつろいでいてね。ビズを交わし、手土産のレモンケーキを受けとりながらマリーは言ったが、もちろんそんなわけにはいかない。わたしはマリーのあとを追って台所に入り、指示を仰ぎながら、カトラリー、グラス、パンかごと順に、居間のテーブルにならべてゆく。テーブルの上の硝子の花瓶には、たっぷりとした黄水仙が生けられている。壁にはにぶく光ったクローム製の額縁が三架。砂漠の写真だ。

「きれい。これ、どこの砂漠?」
「アルジェリア。わたしの住んでたとこ」
「へえ!」
「むかしの話よ。結婚と同時に向こうにわたって、なにもかもが印象的で、戦争のときは大変だったけれど、また行ってみたいの。若かった日々をすごした風景の中にもういちどわが身をおきたくて」

 芯をはさんだ蜜蠟のかけらを硝子のうつわに入れて火をつけると、甘い香りがひかえめに立ちのぼった。テーブルができたのを見て、マリーは鎧戸をひらいた。アーモンドの花霞が中庭にひろがっている。急にまぶしくなったのか、マリーは目をしばたき、飾り棚の抽斗から目薬をとりだした。

 85歳の女性からこのように言われた場合、どのように返答するのが正しいのだろうか。わたしは、たぶん正解ではないなと予想しつつ、
「きっと変わってないわ。かならず当時の面影が見つかると思う」
と軽く力んでみた。するとマリーはにやりとして、
「ごめん。わたしは思い出よりもあこがれの方が好きなの」
と、頰をつたう透明な液体をハンカチでぬぐいながら言った。「つまり、どのくらい変貌したかしらと空想して楽しんでるわけ」
 思い出よりもあこがれの方が好き。これは登山家ガストン・レビュファの名言で、古いフランス人ならたいてい知っている。
「そっか。砂漠以外はきっとずいぶん変わっただろうね」
「砂漠だって毎日変わるわよ。海みたいに」
「そんなに?」
「変わる変わる。こんどほんとうにいっしょに行きましょう」

 前菜のサラダを台所からはこびおえると、わたしたちは席についた。そして水差しの水をグラスにそそぎ、パンをちぎりながら、マリーが若かったころのアルジェリアの話をきいた。窓の外ではうっとりとしたアーモンドの花霞をさらに眠たくするような喉声で、くるる、くるる、とジュズカケバトが啼いている。

* * *

 1872(明治5)年、仏跡参拝と、フランス、イタリア、イギリス、アメリカといった西洋諸国の視察におもむく東本願寺の欧州視察随行員として、フランスの郵船ゴダバリ号に乗り、横浜港を出航した成島柳北(なるしまりゅうほく)は、はじめてその目でみた旧フランス領の印象をこんなふうに書いた。

 (サイゴン)  成島柳北

 夜の熱が寝ぐるしく
 浅い夢よりめざめると
 白い砂と青い草とが
 水ぎわにひろがっていた
 ふるさとはちょうどいま
 霜のふるころだろう
 驚きみる異郷のほたるは
 星よりも大きかった

 夜熱侵人夢易醒
 白沙青草満前汀
 故園応是霜降節
 驚看蛮蛍大似星

 西洋旅行記「航西日乗」にあるサイゴン停泊時の一首だ。はじめての異国に対し、素直に目をひらいたような雰囲気がいい。柳北は自分よりも先にサイゴンをおとずれた先人たちの文章を読んでいたから、その風物について頭では知っていたはずである。それでもやはり抑えがたい驚きを感じたのだろう、柳北は先人にはなかった臨場感でもってそのようすを描いた。
 明治初頭に書かれた西洋見聞記はいろいろとあるけれど、この「航西日乗」はとりわけ文学性に富み、のちに森鷗外が「航西日記」を書いた折、タイトルや叙述のスタイルを真似したことはよく知られている。

 (地中海)  成島柳北

 にわかに客船が
 おおきな波間に入った
 凜とした北風が
 顔に当たってひりひりする
 いったい太古の誰だろう
 ここを地中の海と呼んだのは
 あたりは無限にひろがり
 山ひとつ見あたらない

 客舟忽入大濤間
 凜々朔風吹裂顔
 千古誰呼地中海
 四辺杳渺不看山

 完成したばかりのスエズ運河をゆっくりと通過してきたせいで、柳北には地中海がとても大きく感じられたようだ。あと「地中海」に「地に埋もれた海」のイメージを抱いていたようだけれど、もともとラテン語 mediterraneus は大地 terra の真ん中 medius で、世界の中心というニュアンスらしい。

* * *

「今日はお招きありがとう」
「こちらこそ楽しかったわ、また月曜に会いましょう」
「ええ。また月曜に」

 ランタナの生垣に囲まれたマリーの自宅を出たわたしはバスに乗り、曲がりくねった丘の道を下ってゆく。美術館の紙袋を提げ、おしゃべりしながら坂を下りてゆく学生の一群、アパルトマンのベランダでお茶を飲みつつ本を読む女性、宅配用ピザを背負ったレストランの店員、ロードバイクにまたがり坂を上ってくるトレーニング中の選手――どこにもふしぎなところのない、いつもどおりの日常がバスの窓の向こうに流れていった。これと同じような日常を、明日もわたしはながめることだろう。わたしは明日が待ち遠しかった。思い出よりも、ずっとみずみずしい明日の風景。マリーの語った北アフリカの空想が染みわたり、わたしの心は水を含んだように明るくなっていた。

 バスがある地点まで来たとき、椰子の林がとぎれた。
 一面オレンジ色をした南仏の甍(いらか)の波の向こうに、浅い夕日の斜めにさした、青い地中海がひろがった。
 この海の向こうにアルジェリアの街並みがある。

 とつぜん胸がつまった。あこがれとはなんとすばらしいものだろう、と心がふるえたのだ。


小津夜景(おづ やけい) 1973年北海道生まれ。俳人。2013年「出アバラヤ記」で攝津幸彦賞準賞。2017年『フラワーズ・カンフー』(2016年、ふらんす堂)で田中裕明賞。2018年『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。ブログ「小津夜景日記*フラワーズ・カンフー



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