見出し画像

【ためし読み】小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』/⒊それが海であるというだけで

2020年7月に創業したばかりの出版社、素粒社です。素粒社のはじめての本となる、小津夜景著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』が刊行されました。フランス、ニース在住の俳人・小津夜景さんがつづる漢詩のある日々の暮らしーー杜甫や李賀、白居易といった古典はもちろんのこと、新井白石のそばの詩や夏目漱石の菜の花の詩、幸徳秋水の獄中詩といった日本の漢詩人たちの作品も多めに入っていて、中国近代の詩人である王国維や徐志摩も出てきます。本記事では『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の一部をためし読みとして公開しています。


 それが海であるというだけで


 わたしの暮らす南フランス地方は、明るい太陽、豊かな自然、美しい景観、そして素朴な活気に満ちあふれた生活が魅力ということになっていて、フランスにおける癒しの記号として世界中のメディアでしばしばとりあげられる。
 この「南仏と癒し」という見立ては古くから存在するわけではない。その起源はナショナリズムの台頭と関係していて、文学的表象としてはアルフォンス・ドーデ『風車小屋だより』が大流行の引き金となった。自分たちの起源としての桃源郷を再発見するような言説の流行は、大なり小なりどの国の近代にもおそらくあっただろう。ただフランスがほかと違うのは、この言説がよその国の人をも魅了したことである。ドーデ以後も南仏ブームは周期的に発生し、わたしがまだ日本にいたころは、「本当の生活、生きる歓びを求めてロンドンを引き払い、プロヴァンスに移り住んだ元広告マンが綴る珠玉のエッセイ」と帯に謳われたピーター・メイル『南仏プロヴァンスの12か月』が世界を席巻し、消費的心理にそれとなく根ざしたあこがれを人びとに提供していた。

 土地というものが面倒臭いのはこういうところである。つまり、その表象が怪しい物語と結びつきがちなのだ。でも海はそうじゃない。海は人に所有されていない、少なくとも土地のようには。わたしは地中海を愛しているけれど、それは北海を愛したり、オホーツク海を愛したりするのとまったく同じで、ちょうどいま目の前にあるこの海を愛しているにすぎない。そこにはほかとの優劣がなく、また起源も誇らない。それが海であるというだけで愛するに足る――これが海のいいところだ。仮に、人間の歴史の厚みを海に見るとしても、それは海辺で生きた当事者たちの歴史を見るのであって、夢のような物語が創造されたりはしない。まっさきに海で出くわすもの、それは波が、風が、鳥が、存在を軋ませるかのような物音を立てながら、たがいの表面をこすりあわせて気配をたしかめあうといった、けっして人に手なずけることのできない無情の風景である。

 こうした文脈とはまた別に、純粋に海が嫌いな人というのがいる。たとえば先日、野鳥愛好家で知られる中西悟堂の『フクロウと雷』を読んでいたら、中西は海が苦手で、ながめていると倦怠感に引き込まれると書いてあった。
 これはわたしも実感としてよくわかる。海のもたらす憂鬱の核心は、寄せ返す波が同質の時間を無限に引きのばしてゆくことの恐怖に由来している。つまり海は、懲罰性をはらんだ倒錯的な死の時間を、その波間に隠しもっているのだ。
 いや、もちろん海は楽しい。ただその快楽に、嘔吐を誘うような憂鬱がゆらゆら貼りついているという、ここがくせもので油断ができない。快楽と憂鬱のヴェールはどちらが表でどちらが裏といった向きがなく、たがいの面はひだとなってたわみ、めくれ、うやむやになる。このうやむやのために、海ではエロスとタナトスとがたわむれあい、たがいをいなしあい、一歩間違ったら人が死ぬのだ。
 また海をながめるときの嘔吐感は、そこにいると永遠という名の退屈さといやがおうでも向き合わざるをえないことにも関係しているだろう。ピーター・トゥーヒー『退屈 息もつかせぬその歴史』によれば、退屈とは世界から疎外されたときに感じる空虚であり、セネカが『道徳書簡集』においてそれを「吐き気」とたとえた時代からの長い伝統がある。もちろんあの有名なサルトル『嘔吐』もこの末裔だ。

 海が垣間みせる永遠の面影は、人生の短さと対比されるとき、さらに恐ろしいものとして映る。ここでわたしが思い出すのは1970年代初頭、李賀の詩集をバックパックにつめこんで日本を旅立ち、単身でユーラシア大陸を横断した沢木耕太郎のノンフィクション『深夜特急』のことだ。この本の終盤に、ギリシアからイタリアまで、地中海を船でわたるくだりがある。疲労が限界に達し、なにも感じなくなった「僕」は、長い旅のおわりを予感しながら旅することの意味を船上で自問自答しつづけ、とうとう自分という存在が有限であること、すなわち死すべき存在であることをはっきりと悟る。そして「取り返しのつかない刻が過ぎていってしまったのではないかという痛切な思いが胸をかすめ」、大いなる空虚と無力感の中で、甲板から泡立つ地中海に黄金色の酒をそそぐ――これが『深夜特急』のクライマックスだ。またそのときの心境を「僕」はこのようにつづる。「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん、と。その時、僕もまた、過ぎ去っていく刻へ一杯の酒をすすめようとしていたのかもしれません」

 昼が短すぎる  李賀

 飛び去る光よ 飛び去る光よ
 おまえに一杯の酒を捧げよう
 俺は知らない 蒼天の高さも
 大地の厚みも
 ただ見えるのは 寒い月と暖かい日とが
 かわるがわる人の命を削ってゆくさま
 熊を食えば太り
 蛙を食えば痩せ
 神君は どこにいる
 太一は どこにいる
 東の天 若木の下では
 竜が太陽をくわえている
 俺はそいつの足を斬り
 肉に食らいつこうとする
 朝が来ても太陽がめぐらぬように
 夜が来てもしずまぬように
 そうすれば老人は死なず
 若者は嘆かず
 もはや黄金を服し
 白玉を呑む必要もない――
 だれが任公子(じんこうし)のように
 碧(あお)いろばで雲を駆けるというのか
 漢の劉徹(りゅうてつ)も 茂陵に散らばる骨と化した
 秦の嬴政(えいせい)も 棺に魚の干物をつめられた

 なんという鮮烈な詩だろう。「神君」は漢の武帝が祀った天上界の神。「太一」はその中の最高神。「竜」は古代、太陽をくわえて空をとぶと考えられていた。「任公子」は『荘子』外物篇にみえる仙術を修めた巨人で、ここでは時間の超越者のたとえ。「劉徹」は漢の武帝で「茂陵」はその墓。「嬴政」は秦の始皇帝で「鮑魚」は魚のひもの。始皇帝は旅先で死んだため、死臭をまわりに悟られぬよう、棺をのせた車に魚のひものをいっしょに詰め込んで都に還ったとの話が『史記』にある。
 ほんの27歳で夭折した李賀の激情は、すぎゆく時間とのすさまじい対峙とつねに一体となっていた。沢木はみずからの激情を、そんな李賀と一杯の酒を介して共有したかったのだろう。またその行動が、紺碧の海と黄金の酒といった、透きとおりつつ輝くものの前に捧げられたこともなにかを暗示していそうだ。たとえば、人間は闇にあらがいうる、だがまばゆい光の前では、もはや白旗を上げるよりほかないのかもしれない、とか。

 こんなことを書いていたら、そろそろ海をながめたくなってきた。わたしは部屋を出て、アパルトマンの裏手へ回った。新型コロナウイルス騒ぎで人影のとだえた海岸道路の、中央分離帯の芝がぽわぽわのびて花畑になっている。ちょうどロックダウン中で芝の刈り手がいないのである。
 中央分離帯の向こう、まぶしい陽の下にひろがる静かな海は大きな布に似ていた。無窮のかなたをも覆いつくす青い布だ。風は海を愛しているようだった。光も影も海とたわむれたがっていた。誰に言うほどのこともない雑念が胸に起こり、すぐさまかすり傷のようななごりに変わった。生まれたての記憶、とわたしは思った。それは真新しすぎて、まだなにが刻まれたのかさえ判別できない、あまりにやわらかな記憶だった。わたしは海をながめつづけた。永遠をめぐる虚薄な気配が、わたしをとり囲んでいるのがわかった。

 苦昼短  李賀

 飛光飛光
 勧爾一杯酒
 吾不識青天高
 黄地厚
 唯見月寒日暖
 来煎人寿
 食熊則肥
 食蛙則痩
 神君何在
 太一安有
 天東有若木
 下置銜燭竜
 吾将斬竜足
 嚼竜肉
 使之朝不得廻
 夜不得伏
 自然老者不死
 少者不哭
 何為服黄金
 呑白玉
 誰似任公子
 雲中騎碧驢
 劉徹茂陵多滞骨
 嬴政梓棺費鮑魚

小津夜景(おづ やけい) 1973年北海道生まれ。俳人。2013年「出アバラヤ記」で攝津幸彦賞準賞。2017年『フラワーズ・カンフー』(2016年、ふらんす堂)で田中裕明賞。2018年『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。ブログ「小津夜景日記*フラワーズ・カンフー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?