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夏影に座す黒、戸惑う

家のすぐ近く、蝉の声が駆け回る駐車場の車の陰に母が猫を見つけた。
私が確かめると若い黒猫だった。

降り注いで溢れ返る残暑を凌いでいるようだった。

夏毛とはいえ、毛皮にこの暑さは堪えるだろう。
それが黒い毛皮ともなればなおさらだ。

少し近寄ってしゃがんでみる。
ほっそりスマートでなかなかに賢そう。
猫は私を見て、少し警戒したようだった。

威嚇してきたりはしない。
何者かと様子を窺っているよう。

暑さに反して猫の様子はゆったりとしたものだった。
寛いだ姿勢から首だけを起こして目を丸くし、じっと私を見つめ返す。
野良猫だろうに、そこそこ毛並みも整っていて若干の気品さえも漂わせる佇まい。
垣間見えるおっとり大人し気な印象は気丈な繊細さを強調する。
足の裏から覗く黒い肉球が愛らしい。

猫から離れてから私は母に、話すときに便利だから名前を付けようと提案した。

「クロ!」

「いや、何匹目のクロ?! もうちょっとないの?」

この子がクロになるなら、私が知る限り三匹目のクロになる。

「だったら、あんたが考えなさいよ」

ごま、墨、グラファイト、幾らか黒いものを思い浮かべてみたものの、ぱっとしない。

「この子がうちに来てくれたら、天井裏の鼠も出てってくれるかしら」

「大人しそうだから、どうかな?」

数年前から天井裏に棲み付いた鼠は出入口も出会いもないはずなのに、鼠の寿命を迎えてなお天井裏を駆けては、しばしば仕掛け罠に掛かる。
円らな瞳の憎めない奴らだが、一時のダニの被害は深刻だった。

「それじゃあ駄目ね」

母はそれほど残念そうでもなかった。
猫を飼う口実になれば十分なのだろう。

「てか、飼う気でいるの? 捨てられてもいないのに。まあ、首輪はしてないみだいだけど」

「ああ、世話してる人がいるかもね」

「餌付けでも始めてみる?」

「あっという間に太ったりして」

「通ってくれればね。しゃかはどう? 車の下にいたから」

色はきっぱり諦めて、出会ったシチュエーションに着想した。

「お婆ちゃんが寄越してくれたと思ったんだけどな」

可もなく不可もない反応。あるいは聞いていない。

「冥土の置き土産? ちょうどお盆も過ぎたことだし?」

「そう言われてみればそうね。月命日がもうすぐだったから」

「あー、そっちなんだ。じゃあ、みゃあこは? お婆ちゃんの名前と猫に因んで」

「どうかなあ」

今度はさっきよりも反応があった。

「しゃかとみゃあこ。どっちがいい? どっちもかわいいと思うけど?」

提案させたなりの扱いが欲しい。

「この子に訊いてみたら?」

「あー、確かに。お婆ちゃんならそう言うか」

お婆ちゃんならきっと、猫本人を置き去りに話を進めたりはしない。
しゃかかみゃあこ。あるいはクロ?
気に入ってもらえたら、うちにも通うようになってくれるかな。

黒猫は寛いだ姿勢で耳だけを時折こちらに向けていた。
足の裏から覗く黒い肉球が愛らしい。

蝉はまだまだ元気。
この子が過ごしやすい季節になるには、もうしばらく掛かりそうだ。

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