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【「君の色」に泣かされた理由を考えてみる】

 映画「君の色」めちゃくちゃよかったです。説明、答え合わせが少なく、その人の捉え方に身を任せるような作品。大好きでした。「色」というものが大きなテーマの一つで、人によって説明の仕方、みえ方が違う「色」をテーマに添えているからこその話の作り方だなぁと思いました。もちろん作中での「色」使いも素敵で、音楽も身に染みました。主要な3人も、高校生らしくどこか欠けてて、でも光るものもちゃんとあって、思わず〈頑張れー!!〉と叫びたくなる、応援したくなるような3人でした。

 さて、そんな素敵な映画をS君と観に行ったわけですが、帰り道は当然感想戦。そこでS君にこんなこと言いました〈最後のライブシーンでポロポロしちゃったわ〉。それを聞いたS君は「キャラの心情とか想像して?」〈そうそう〉と返事をしました。でもその後帰ってから、それはそうなんだろうけど言語化するとしたらどうするかなーと考えはじめました。

最後のライブの場面をあえて文字で説明するとすれば、それぞれが必死に考えて、想いを乗せた曲を作り、3人で一生懸命練習し、それをみんなの前で発表する。そんな感じ。このライブが行われるまでの過程を知っているからこそ、〈よかった!〉〈やっとみせられたね〉という思いが湧き、涙に繋がったのかな。……とはじめは思ってました。もちろんそういう思いもあるとは思います。でもあの時感じたのは、もっと複雑で体の芯に染み込むようなそんな感動。初日の出を見たときのような、夕日が沈むのをみたような。自分が3人の「色」にみせられて、照らされて、その「色」にそまったことで溢れ出たような涙でした。

劇中、キミちゃんもルイくんも周りから「求められてる自分」があって、そこに息苦しさを感じてた。でも音楽の前だけでは「ありたい自分」でいられた。「ありたい自分」でいられる時間は、自分だけの秘密だったけど、バンドを組んだことで3人の秘密になった。そして最後のライブで自分の大切な人、好きな人の前で「ありたい自分」をみせることができた。自分の「色」を出すことができた。

トツ子も小さい頃から自分が周りと少し違うところがあることに気付いていた子。トツ子は自分の「色」がみえないんじゃなくて、みないようにしていたんじゃないかな。「色」がみえることを否定されてきたから、自分の「色」がおかしな「色」だった時、その周りの評価が自分の中でも正しいものになってしまう。それが怖くて、不安でみないようにしていた。でもトツ子自身がみないようにしていた「色」に影響されて、2人は自分の「色」を出すことができた。そうやって周りに「ありたい自分」をみせる2人をみて、トツ子は自分の「色」と向き合えた。大好きな曲のバレエを踊りながら、「1人で」自分を受け入れた。「求められてる自分」を感じていた2人が皆の前で「色」をみせたのとは対照的に。

映画を観ながらここまで考えてた訳では無いし、あと語りの、後日談でしかないけど、こんな背景があったらいいなと思う。「ありたい自分」をみんなに出して受け止めてもらう3人をみて嬉しくて、3人が綺麗で、ちょっと羨ましかったりして、涙が出たのかな。とこんな感じで言語化してみましたが、長々なっちゃいました。自分は何色かな〜明るい色だといいな〜自分の「ありたい色」出してこ〜!!

※みる、みせる系はあえて漢字にしてないのです※

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