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1億2644万3千人分の1なのか。

2019年4月12日、昨年10月時点の日本の総人口は、1億2644万3千人出そうだ。そのうちの一人が私である。これを読んでいるあなたもおそらく、そのうちの一人であろう。そう考えるととんでもなく希少な存在だという気がする。

さて、世の中には「マイノリティ」と「マジョリティ」とに分けられることがたくさんある。例えば私はトランスジェンダーだから、世間的にはマイノリティだ。でも、私のように、トランスジェンダーである人は他にもたくさんいる。

確かに、全体の割合で見たら少数派ではあるが、少なくとも私が1億2644万3千人のうちのたった一人のトランスジェンダーなんてことはない。正確に何人いるかなんて把握できないけれど、私が知っているだけで、私の周りには数十人の仲間がいる。

不登校の子ども、って考えても同じだ。全体から見たら少数派であるが、2018年は中学生だけで11万9687人いたそうだ。中学生が340万人ほどだそうなので、そのうちの3%くらいだと考えたらマイノリティだが、11万人以上が不登校、って考えたら決して少なくないし、同じように悩んでいる人はたくさんいるってことになる。

確かに自分はこの世界に唯一の存在だ。「そらやす」という人間、と考えたら私しかいないから、超マイノリティだ。

だけど、社会的に分けられているもっと大きな枠「トランスジェンダー」「不登校」「シングルマザー」「身体上の障害」んー、他にも色々あるけど少数派に分類される特徴、特性が、「この国でその人唯一のもの」なんてことは、ほとんどないんだろう。

自分が自分であること以外には、誰とも被らないことなんてないんじゃないか。そもそも少数派かどうかなんて、どこを範囲とするかでも変わってしまうわけで。

一度、友達とカフェに行った。セクシャルマイノリティの友達がやっているカフェであったが、その友達はカミングアウトしていなかったので、知っているのは仲間だけで、お客さんは知らない。

そこに、同じくセクシャルマイノリティの他の仲間グループがたまたま来ていて、店内に12人いるお客さんと、店長、スタッフ合わせて14人のうち、少なくとも10人はセクシャルマイノリティの仲間だった。

ほかの4人のお客さんがどうかはわからなかったけど、もしあの4人が異性が好きな性別に違和感のない、いわゆる「マジョリティ」側の人たちだったなら、あの空間においてマイノリティとマジョリティは完全に逆転していたことになる。

だからと言って私たちはそれを「あの人たちマイノリティだよ!」と揶揄することも否定することもないけれど。そんな枠で捉えていたら、立場なんていつだって逆転する可能性はあるのだ。

だからきっと「世界で自分だけなんだ」と思っていることは、案外自分だけじゃないのだ。見回してみたら、同じようなことで(完全に一致はしないけど)悩んでいる人はいて、その人も「世界で自分だけだ」なんて思ってるかもしれない。そんな時こそ一人で抱え込まない方がいいんだと思う。信頼できる人がいるなら、思い切って相談してみたらいいんじゃないか。

「わかる!実は私もさあ・・・」なんて、同じような体験を話してくれるかもしれないし、何かしらの共通点が見つかるんじゃないだろうか。無理してカミングアウトする必要はないけれど、私がカミングアウトしてから、LGBTs当事者に限らず、いろんな相談を受けるようになったのは、何かしらの共通点があるから、っていうことなんだろう。

「この人ならわかってくれるんじゃないか」その安心感を与えられたのかな、って思うと、きっとそれはカミングアウトの副産物だ。そういう意味でも私はカミングアウトしてよかった、と思っている。色々あるけどね。だからといってカミングアウトの強制はしないよ。したかったらしてもいいし、しなくたっていいんだ。それは自分だけが決められることだから。

理想は、そんなのいちいち言う必要すらない世界を作ること。世界で唯一の「超マイノリティ」な自分であることが、マジョリティである世界。みんな違うよね、が当たり前の世界。そうなったらいちいち言わなくたっていいんだからさ。




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