見出し画像

142. 何十年ぶりの筍ご飯

母の介護度は退院後何度かの認定調査で要支援2だったのが、今回の認定調査では要支援1に、1ランク軽く判定された。現実は厳しい。

昔私が中学生だったか高校生だったか、昭和の大昔、まだ家族皆で団地住まいしていた頃に、母が一度筍ご飯を炊いた事があった。筍は細い姫竹で軽い塩味の炊き込みご飯だった。筍ご飯というものを自宅で食べたのはその一回しか記憶に無いが、美味だと思った。母はそんな事はもう忘れてしまっているが、その味を再現してみようと思った。

スーパーで姫竹は手に入らず、普通のずんぐりした筍の水煮が安かったのでそれを使った。予め水煮で売っているものは香りも味も抜けてしまっているので癖の無いえのき茸と白シメジを一緒に炊き込み合わせた。私の自宅にあった古い料理の本には湯通しした油揚げを刻んで筍と共に酒と醤油で下味をつけてから米と一緒に炊き込むと書いてあった。私は酒と醤油ではなく、酒と昆布茶にめんつゆ1滴で下味をつけた。その方が色が濃くならず、塩味も穏やかになる。何十年も前に一回だけ食べた炊き込みご飯を再現するとなると醤油の濃い味ではなかった。色がうっすらと明るい色だったので今回そのようにしてみた。 出来上がった。姫竹かどうかの違いだけで、ご飯の味はこんな味だったな。この炊き込み飯、美味いかも。いや本当に美味だ。筍という食材を初めて美味いと思った。

菜の花を塩で湯掻き、添える。菜の花は、湯掻くと良い香りがする。

母宅に持参した。母の昼飯はこの炊き立て筍ご飯、夕飯は納豆炒飯をフライパンで温めて食べるのだと言っていた。この味付けはどちらかと言うと父好みの味なのでデイケアから戻る頃に持って行く。

母宅に筍ご飯を届けた後、洗い物をしているとメールが来た。

「筍ご飯、上品な味で美味しい。ご馳走様。」

こちらもかぼちゃの煮つけを貰ったので返信すると折り返しメールが来た。

「菜の花の苦味が何とも言えない。」

そりゃよかったね。昨日、歯科で歯茎をいじくられて片側でしか物を噛めないと言っていたが、まる2日経ったら炒飯や炊き込み飯くらいは大丈夫らしい。またメールが来た。菜の花の調理法について、母のこだわりの手技。

「お湯沸いたら塩を多めに一つまみ入れて、菜の花の上を摘んで茎を7、8秒茹でて、それから全部倒して5秒くらい茹でる。そうすると歯触り残して味も良く茹で上がるからね。」

塩の量は大雑把なのに茹で時間は花と茎が時間差、秒単位でこだわる。
細かい。細かいなと返信していたらまた続きのメールが来た。

「茹で過ぎると苦味も薄れて不味いよ。すぐ冷やすと色も良く、胡麻和え、お浸しが美味しい。この筍ご飯、アクセントに上手に使ったね。」

洗い物を終えて、やっと座ったと思ったら母からどんどんメールが来る。

「納豆炒飯も美味しいね。刻んだ野菜は何?」

メールのやりとりが終わらない。また返事が来た。

「ありがとう。一度上手く出来たら友達来る時作るよ。」

友達に?やめときなよ結構匂いきついから。返信しても会話の内容は噛み合わず、キャッチボールにはならない。

「今、筍ご飯と納豆炒飯と少しずつ両方をゆっくり食べたよ。噛み合わせが痛い時があって時間がかかった。筍ご飯いいね。味付けが問題だけど。」

噛み合わせが痛いとは対話が噛み合ってない事のシャレのつもりか。筍ご飯の味付けが問題とは、味付けに何か問題でも?何かむかむかしてきた。味付けに使った調味料と調理の手順をメールで簡潔にまとめて返信するとまた返事が来た。

「サンキュー」

要するに、レシピが欲しかった訳である。父も母も変に美食家である。それでも父は文句言わずに黙って食べ、気に入らなければ残すが、母は味がどうであろうと味付けのダメ出しと食材の事前処理、調理の手順、食材の質までやかましくチェックを入れる。

「いくら炒飯でもご飯は硬過ぎちゃ困る。私は歯が悪いんだから。」
「牛蒡は水で晒し過ぎちゃダメなんだよ。味も匂いも抜けてしまう。」
「この材料は何と何? 生から茹でたのかいそれとも既製品?」
「菜の花を茹でる時は花をつまんで茎だけ7、8秒、全部倒して5秒。」
「きのこが微妙に役立っていたかもね。」
「私は筍は細い姫竹が好きなんだよ。」
「油揚げは、N町の店で作ったのでないとダメ。」

母の言いたい事が遠回しに伝わって来る。

「私が作った方が美味い、料理の腕は私の方が上だ。」

レシピを欲しがるのに素直に「どうやって作るの?作り方教えて」とは言わず、ダメ出ししながらこちらにレシピを喋らせようとする。まるで料理人同士の競争みたいなものである。子供が年老いた親に食事を差し入れしているというよりは料理の達人にダメ出しを貰いに来た弟子のような状態である。実際、父の食事の足しにするため差し入れするついでに同じものを母にも持って行くが、年老いた親への孝行とか食事の助けなどという図式とは程遠く当てはまらない。

父宅に筍ご飯を持って行くと、ヘルパーさんと父が晩飯の配食を待っているところだった。ヘルパーさんと相談し、配食弁当の主食は雑炊にする事にして、父の夕食は筍ご飯と配食のおかずで食べる事になった。

木曜日のデイケアに鼻かんだティッシュをぶつけてきた婆さんが出没したかどうか、父が言わないので聞いてみたが、今週は現れなかったらしい。今日はデイケア仲間達と将棋をやって、四段の父は挑戦者達を「こっぱみじん」に四連勝して帰宅して来たとヘルパーさんが言う。「ふふん」と得意満面の笑みを浮かべて大人気の無い事よ。ヘルパーさんが心配している。

「勝ってばかりいたら対戦してくれる人いなくなっちゃいませんかねぇ?」

まぁ、その時はその時で、仕方ない。ヘルパーさんが電子レンジで温めてくれた筍ご飯を父は黙々と完食した。味、どうだった?と聞いてみた。

「まあまあだった。」

あの母といい、この父といい、がっかりする。ヘルパーさんが明日の朝食を調理している間に私は鉢植えに水を遣り、連絡ノートのチェックなどを済ませ、空いた器を回収して父宅を後にした。

翌日の日曜日は晴れて冷え込むと天気予報が言っていた。父の翌日の昼飯はきんぴら炒飯、晩飯は鮭ちらし寿司で簡単メニューの予定。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?