身体は人間の特権か?障害か?
日曜日にふとテレビをつけると報道番組(日テレのバンキシャ)で「分身ロボットカフェDAWN」が採り上げられていて、その内容に衝撃を受けた。
「分身ロボットカフェ」とは、株式会社オリィ研究所が主宰・運営する、ALSなどの難病や重度障害で外出困難な人々が、分身ロボット「OriHime」「OriHime-D」を遠隔操作しサービススタッフとして働く実験カフェです。私たちはこのカフェの開催によって「動けないが働きたい」という意欲ある外出困難者たちに雇用を生み出すと同時に、人々の社会参加を妨げている課題をテクノロジーによって克服することを目指しています。
これは、「分身ロボットカフェ」のページにある説明の引用だが、重い障がいを持つ人が自宅にいながら、分身ロボットを遠隔操作することで社会との接点を見出すという取り組みである。2018年に実験的にスタートし、2021年6月に東京・日本橋エリアに常設実験店がオープンされた。番組の中では、福岡から、奈良から、オーストラリアから遠隔操作をしている人が紹介されていたが、難病で寝たきりでもわずかな操作で、手が動かなくなっても、声が出なくなっても、視線の移動でロボットが操れると言う。
画期的なことだとアンテナの低い僕は衝撃を受けた。2018年に取り上げた時に耳に入ったような気がするが、「なんだ、ロボットのカフェか」くらいの認識しかなかったのだと思う。ご興味があれば次のページをご覧いただきたい。
■分身ロボットカフェDAWN
https://dawn2021.orylab.com/
■オリヒメ
https://orihime.orylab.com/
(画像は「分身ロボットカフェDAWN」HPより転載)
困難な状況を生きている人が多い。病気もそうだし、過疎、老齢化、格差貧困、災害、・・そうした状況を生きている人に、科学技術がこうしてサポートできる可能性の道筋は「希望」だろう。オリヒメのページの最初には
コミュニケーションテクノロジーで人類の孤独を解消する
と書かれている。
(画像は「オリヒメ」HPより転載)
ただ、もっと衝撃を受けたのは、吉藤オリィ(吉藤健太郎)氏が番組の最後に言った
身体は人間にとって最後の障害だ
という言葉である。勿論それは難病で体を動かせない状況下で、外部との意思疎通を図ろうとする時、身体がそれを疎外するという意味であろうが、「身体は最後の障害」という言葉自体は考えさせられた。
近代以来の精神重視の弊害として身体の重要性、復権が言われ、さらに昨今の問題として、ロボットやAIを考える時、それらが持ち得ないものとして身体は人間の「特権」、それらと人間を差異化する重要な「切り札」だ・・と考えてきた。
人がアバターとなり、仮想空間でつながる。コロナ禍が拍車をかけるバーチャルな世界の侵攻は正しいのだろうか。例えば最近のこんなニュース(NHKのWEBNEWSより引用)
アメリカのIT大手のフェイスブックは「メタバース」と呼ばれる仮想空間の開発を加速させるため、今後5年間でEU=ヨーロッパ連合域内のIT人材を1万人採用すると発表しました。「メタバース」とは、自分の分身となるアバターを通じ、インターネット上の仮想空間に入り、その中で自由に行動したり、参加者どうしでコミュニケーションをとることができたりするサービスの総称です。(中略)ザッカーバーグCEOは「フェイスブックは今後数年以内に、SNSの会社からメタバースの会社になる」などと述べていました。
一方で、生きる困難を抱えている人の救いとなるものであるテクノロジーに、一方ではどこに導かれるのか分からない怖さを感じてしまう。
つまらぬことに拘泥するな、ケースバイケースだろうと言われそうだが、
「分身」とは何か
「身体」とは何か
ケースバイケースというラインを人間は引き得るのか
改めて考えてみたい気がした。
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