見出し画像

通勤電車

電車通勤したことが半年だけある。朝5:30に起き、6:00に家を出る。20分歩いて1時間20分電車に揺られ、また更に20分歩いて職場に到達する。大変と言えば大変だが、慣れてくるとそれが当然のことであるように体に刻まれてしまうから人間というやつは不思議な生き物である。

朝の電車は大概爆睡しているが、電車が駅に着く直前に必ず目がさめる。時々は発車の笛と同時に飛び降りたりもするが、爆睡していながらまだ一度も乗り過ごしたことがないのは僕にして表彰物である。ただそれが仕事への強い意欲の反映であるのか、遅刻する勇気がないだけの勤め人の侘しさなのかはわからない。  

毎日同じ電車で出かけ、毎日同じ電車で帰ってくるから、出会う人も大体同じである。駅のホームには昨日と同じ人が同じ位置にいて、決められたかのように同じドアから電車に入っていく。僕も指定席のように空いている席に腰を下ろす。向かいには毎日、リハビリ関係の本を読んでいる同年輩の男性。ボックス席を占領して弁当を広げムシャムシャと汚らしく食べている初老のオジサン。ウォークマンを聞きながら指でコードを押さえている中年男性。よくしゃべる女子高校生。行儀はよくないが必ず参考書を開いている高校生。

駅のトイレで一緒になるオジサンもいる。便器が一つしかない狭いトイレだからあまり一緒になりたくないのだが、ドアを開けると必ずいて、しかも用を足しているわけではなく、窓の外を見ていたり、鏡の前で服装を直していたりする。「なんだろうこの人は」と毎日思うが、繰り返される日常には、電車の中の無数の人が同じようなことを繰り返しながら毎日を過ごしている。くだらない感慨だが、それが何だかつくづくとおもしろい。

 さらにおもしろいと思うのは、これだけの人が毎日同じように行き交いながら、お互い口を利くこともなく、肩を並べながらまったくの他人で押し通していることだ。近づきながらも接点を作ろうとはしない。電車は家庭と社会をつなぎながら、その間にあって、あえて「関係を必要としない」、「求められない場」として「一人でいられる場所」なのかもしれない。考え事をしたり、本を読んだりするには最適の場所である。

拘束された自由時間とも言える。カントは毎日非常に正確な時刻で日課をすごしたことで有名だが、みんなこの老哲学者のように、毎日同じ日々を送り、今日一日について、あるいは人生について呆然としているのである。それが電車の魅力といえようか。だから、電車でうるさいやつは、本当に迷惑なのである。

 ただ、人間が行き交えば接点が生まれる可能性は絶えずある。例えば偶然隣に座った二人の女子高生が古典の勉強の話をしていると思わず教えてあげたくなってしまう。それを踏みとどまるのはその僕の行為(厚意)が相手にとっては変なオジサンが言い寄ってきたくらいにしか受け取られないと思うからである。チカン・・セクハラ・・。

いつか定年を数年後に控えた先輩が「俺は電車の中では常にバンザイしてる」と言っていたが、完全にチカンでないことを立証するためにはそれしかない。「今一番怖いのは懲戒で退職金を失うことだ」と言っていた。「あんたも気をつけな」と言うわけだが、そういう意味でも女は怖いのである。

しかし、きっかけというのは不思議なもので、まるで交通事故のように、思わず、ふっとやってきたりする。僕も、全く偶然、電車を通じて、その忌避すべき、若い女性と知り合いになることになった。最初に断っておくが、文脈上、「チカンをやらかしたのか」と思われる方がいるかもしれないが、そうではない。

 それは7月の下旬の暑い朝のことではあったが、当たり前のように続く毎日とどこも違うことのない、やはりごく普通の朝だった。電車は沼津駅に着くと5分間停車する。僕はそのときホームに出て煙草を吸うのであるが、その日も煙草を吸っていると、松葉杖をつき、包帯を脚と腕に巻いて、あちこち絆創膏をつけた女の子が電車から降りてきた。

煙草を吸おうとするわけだが難渋している。カバンから煙草を取り出すが、片足のためバランスが危うい。箱から煙草を出そうとしても、左手は松葉杖であり、空いている右手にも包帯がしてある。右手で箱を振って、出てきた煙草に口を運んでくわえ、それでも何とかライターで火をつけた。20歳手前くらいだろうか。なんとなく定時制の生徒とイメージがダブって、
「どうしたの?」と声をかけてみた。
「バイクで転んじゃって」と言う。
「大変だったんです」と屈託がない。
バイクというのにも近親感を覚えて少し話をする。
「ぶつかったの?」
「いえ、自分で転んじゃって」
しかし、停車時間は短い。僕が煙草を吸殻入れに落として「じゃあ」と言って行こうとすると、彼女も同じように動き始める。
「乗るの?」と聞くと、
「はい」と答える。それでは大変だろうと思い、彼女のカバンを持ってやり、電車の空いている席まで運び、
「じゃあ、気をつけて」と言って自分の席に戻った。
 「ありがとうございます」と礼儀正しく彼女は言ったのであるが、あの怪我で、あれだけ不自由な状態で、しかもたった5分ほどの停車時間に、煙草を吸うために電車から降りてくる・・。どんな状況におかれても煙草を吸わないではいられない、煙草飲みには実によくわかる気持ちであるが、それにしても、たいした根性といわなければならない。

おかしいかもしれないが、僕には何だか、それが微笑ましく感じられて、ちょっといいことに出合ったときのような温かい気持ちで、また決められたように、毎日の爆睡状態に入ったのであった。

 翌朝、いつものように沼津駅のホームで煙草を吸っていると、また彼女が松葉杖を突きながら電車から降りてきた。
「おはようございます」と言いながら、煙草を取り出そうとするが、当然うまくいかないので、見ているに忍びなく、彼女の手から箱を取って一本を渡し、火をつけてやる。
「ありがとうございます」と彼女はごく自然に言い、おいしそうに煙を吸った。昨日はたまたま出会ったと思っていたが、彼女もこの電車で毎日どこかに通っているらしい。
「どこまで行くの?」と聞くと、
「島田までです」と答える。僕が降りる駅よりも更に30分ほど先にある駅である。更にそこからバスに乗って行くらしい。恐らく3時間に近い。それも根性といわなければならない。

続けて彼女は「看護学校に通ってるんです」と言う。
ほう、看護師さんの卵かと思うわけで、
「煙草はいいの?」とふざけてみると、
「やめられなくて・・。結構みんな吸ってるんですよ。でも結婚する人ができたらやめようと思ってるんです」と言う。
ひとつひとつの答えはまっすぐで、飾り気がないのが気持ちいい。
「その怪我でよく頑張るね」と言うと、
「今テスト中だから、休めなくて。昔からやんちゃだったから怪我ばっかりで慣れました」と言うのだが、傷はだいぶ痛むらしい。やはりなかなかの根性である。

発車時刻が近づいたので、昨日と同じように彼女のカバンを席まで持ってやり、空席を確保してやる。そして再び一人になって僕は爆睡状態に入ったのである。

翌日も彼女と会った。
「おっ、来たな」と言うと、
「はい」と答える。
その翌日も彼女と会う。もうそれが当然のように、煙草を出して火をつけてやる。遠慮もないかわりに図々しい感じもない。

考えてみれば、この怪我でも煙草を吸いに出てくるのだから、それまでも彼女は毎日降りて来ていたのだろう。とすれば、僕は彼女とほとんど毎日、同じ場所に居合わせたことになる。そんなに大勢の人が群れているわけではない。せいぜい3、4人。それなのにこんなことがあるまで、彼女との接点は全くなかったわけだし、その存在にさえ気がつかずにいた。しかも4月から4ヶ月が経とうとしている。

迂闊と言えば迂闊だが、なんだかそれはまたいかにも人間的でほのぼのとした不思議さでもある。彼女がバイクで転ばなかったら、言葉を交わすことなどなかったのだろう。

 「やっと今日でテストが終わって明日から夏休みなんです」と彼女が言う。
「そう。楽しみだね。遊びに行くの?」
「まず怪我を治します」
・・そんな取り留めのない会話をしてその日も彼女として別れた。

そしてその翌日から、彼女の言葉どおり、彼女は姿をあらわさなくなった。なんとなく寂しいものはあったが、僕もまた、すぐに毎日の淡々とした生活に埋もれる勤め人のひとりに戻り、電車の中に疲れて爆睡するただのオジサンになりきっていった。

 しかし、ほぼ一ヶ月が経ち、彼女のことも意識から次第に薄れ、ほとんど忘れかけていた8月の終わり頃、ホームでいつものように煙草を吸っていると、
「おはようございます」と言って近づいてきた女性がいた。
ラフな格好ではあったが、清潔感のあるスラッとしたなかなかの美人が、笑顔で僕の顔を覗き込んでいる。それが彼女であった。松葉杖や包帯に気を取られて、僕は彼女の若々しさを見落としていたらしい。
「ああ」と思わず言うと、
「いろいろありがとうございました」と言う。
それから再び、彼女と出会う日々が始まることになった。

キケンな匂いを感じる方もおられようが、そうでもない。
僕はその夏、父親が癌の末期であることが分かり、癌センターに立ち寄るため、電車通勤から車での東名通勤に変えた。
最後に彼女に飛騨で買ったお土産のファミリーマートの「さるぼぼ」を渡し、もう会うこともないだろうことを告げた。彼女も「ありがとうございます。寂しいですが、頑張ります」と元気よく言った。

尻切れ蜻蛉のような話であるが、幸せにしているだろうかと、ふとした折に思い出す。
一期一会ではないが、やはり「一期一会」である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?