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待つことと人それぞれということ

たいていどこでも一人ででかけると気軽なのだけど気軽すぎるのももういいかなと思うときがある。全部自分で決められることは気軽だけど自分で決めた予定調和だと思ってしまう。それに決められた時間に決められたことをすることは自分の体調や気分を把握するのに役立つ。文章を書き始めたのもその一つで、日によっては何も思い浮かばなかったりするので困るけど、時間を区切って何文字でも書くようにしたら何かは書けるので、そのまま書くことにしている。

出掛けた時に人にあうととても嬉しいのは予定調和だった日常がぴょんと飛び越えて非日常になるからだと思う。ハプニングとか発見が嬉しい。そういうとき今日も1日よかったなと思う。そう考えたら予定調和にならないようにいつも何か探し続けている状態だと思う。
最近は探すというキーワードが浮かんでいる。毎日何かを探している。見つかった時にぴょんと飛び越える瞬間がいい。でも見つけることを目的とするとそれもまた予定調和になったり、目的を達成しないとがっかりするので、期待しないで待つ。探すと待つは似ていると思う。

ベネディクト・カンバーバッチ、マーティン・フリーマンの海外ドラマ「SHERLOCK(シャーロック)」は、シャーロックホームズとワトソンがいつも難題と危険を求めているサイコパス人種として描かれているところが面白い。無理難題を麻薬でもあるかのように待ちのぞむ人もいる。
また、『「人それぞれ」はさみしい』という本も読んだ。人それぞれを尊重すると誰とも深く関わることが難しくなるという内容だった。さみしさというのは避けられない感情で良くも悪くもなく誰もが抱いている。
キーワードに「人それぞれ」も入ってきた。待つ」と「探す」と「人それぞれ」のキーワードがどう繋がるのかまだわからない。

もし誰かや何かを探してみつけたとき、その出来事を自分の心の中で留めておくだけなら相手に対して何も負担はかからない。でも、心の中から取り出して誰かに伝えたりするときのこころがけは人との距離感や内容によって様々で、複雑だなと感じている。相手を傷つけないでいようとしているのに傷つけてしまうこともある。無意識の状態にあるあまりよくない感情はだれにでもあるけど、見せていいものかどうかということは自覚して、他人のために心を配ることが課題だなと思った。

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