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パイロットのパフォーマンス評価とスランプの乗り切り方【メンタル編】

パイロットの訓練には、つねに試験に合格するかしないかのプレッシャーがつきまといます。

自分の人生の行く末がかかった訓練や試験が1年とか半年毎やってくるのは、やっぱり憂鬱で。特に訓練が上手く言っていないときはなおさらです。例えば、

・与えられた課題を満足にこなせない
・技倆の向上が実感できない
・いい評価がもらえない
・訓練における人間関係が悪い

こんなときに「楽しんで飛ぼう!」などと言われても、そう簡単にはいきません。今回は、理想論はさておき

・現実として飛行機の訓練を楽しむ余裕がない。
・練習ではうまくできるのに試験では重圧に負けて評価がついてこない。
・同じミスをなんども繰り返してしまってどうしたらいいかわからない。

このような、いわゆる「スランプ」にはまってしまった時に、どのように切り抜ければいいかを考えてみましょう。パイロットに限らず「何者かになろう」と必死に努力している人一般に通じる話として読んでみてください。

自分の人間的な価値と努力の対象は別物

技術的な各論に入る前に、見落とされがちな大前提を確認しておきます。

それは、技倆の巧拙や、試験に受かる受からないは、あなたの人間的な価値には全く無関係だということです。

自社養成の試験に落ちたり、訓練途中でエリミネートされたり、定期審査で落第することを想像すると、自分が価値のない人間になってしまうと考えてしまうかもしれません。特に、この道しかないと思って真面目に頑張っている人ほど、そのように思いがちです。

しかし、当たり前ですが結果を出せないことと、自分の人間的な価値は別の問題です。日本の社会では、ともすればこのような「結果を出せない人間には価値がない」と仕事とその人の価値を結びつける傾向があります。

その「背水の陣」的な思考が努力のモチベーションになっている間は良いのですが、状況が悪化しているときはそれが要らぬプレッシャーとなってさらなる状況の悪化を招くことがあります。それが「自分の価値」に結び付くと、もはや自力で抜け出すことは難しくなります。

スランプとは、多分に精神的なものなのです。

私も自分を追い込んでいた

なぜこんなことを言うかというと、ほかならぬ私が訓練生時代にこのようなスランプ思考に陥り、上手くいかない時期があったからです。日本で自社養成に落ちて、20代の後半で多額の借金を背負ってキャリアチェンジをしなければならなかったので私も「俺にはもう後がない」と思っていました。

しかし、そう考えるあまり、私は自分自身の人間的な価値をも「パイロットになる」ことに乗せてしまいました。つまり、パイロットになれないのなら自分には価値がないと、そう思っていたのです。

一見、特に日本的な価値観では、真剣ならばそのように自分を追い込んでしかるべきだ、と考える向きもあるでしょう。ましてや何百人の命を預かるパイロットです。そのくらいのプレッシャーをはね退けられなくては、その責任を全うすることなどできやしない、と。

しかし、本当にそうでしょうか。

「背水の陣」的思考の脆さ

緊急事態のような究極の局面で、責任を全うするために重要なことは、パイロットが自分の判断に自信を持つことです。自信がなければ、レバー操作一つ満足にできません、あらゆる判断において、誰かの許可を得ようとしてしまうからです。

では、自分の判断を全て否定されて育ってきた人が、いざという時に「プレッシャーを跳ね除けて」自信を持って判断を下すことができるでしょうか。

自信とは、過去に自分が判断をし、それが正しかったという成功体験を積み重ねることによって育まれます。この成功体験とは、なにも直近の飛行機の訓練だけに止まりません。その人が、子供の時から今まで積み重ねてきた自分の「判断」に対し、周りがどのような反応を示し、評価してきたか。その積分が、今持っている自信の正体です。

このようにして育まれた一般的な「自信」は、だから、その人がどのように育ってきたかによってもともと個人差があります。それは性格のように捉えられがちですが「思考の癖」とも言えましょう。

もともと、人生で自分の判断が受け入れられる体験を多くして、自分のやることに自信を持っている人、つまり、自分の価値を何にも拠らず自然に実感できる人は、努力の対象と自分自身の価値を分離して客観的に捉えることができます。一方で、ある種のコンプレックスを努力の対象によって(パイロットになろうとすることで)埋めようとする人は、自分と努力の対象を一体と考えてしまって、努力がうまくいかなかった時に自分自身の価値をも否定されることへの恐怖から逃れることができません。

ここに、「背水の陣」的思考の脆さがあります。

破綻のメカニズム

私の場合は、転職を機に「何者かになろう」と必死に頑張りました。事実、その「背水の陣」的な思考は、座学の勉強にはポジティブに働きました。座学は、怠けずにどれだけ勉強するかが成績に直結するからです。怠けないこと、くらいなら自分を追い込むだけでできるとも言えましょう。

しかし、実技はそう上手くいきません。

実技とは、デモンストレーションです。「いま、ここ」で発揮した実力のみが評価の対象です。だから、精神的に自分を追い込めば追い込むほど、筋肉はこわばり、思考は寸断され、全体状況が把握できなくなります。

何か判断をしようにも、脳裏に浮かぶのは過去に自分の判断を否定され、上手くいかなかった体験ばかり。その失敗体験が、今度は未来に投影されて「結局今回もうまくいかないのか」と嫌な予感が膨らむ。さらにそれを裏付けるような過去の体験が出てきて、気がつけば「いま、ここ」に意識を向けることができなくなってしまう。これが、破綻のメカニズムです。

こうなってしまう人を「精神的に弱い」と評するのは簡単です。しかし、ではどうしたらいいか、と解決策を提示できる人はほとんどいません。教える方にも、わからないので「お前は弱い」とその人の人間性に原因を求めるしかないのです。しかし、それは教える側の怠慢です。なぜなら、少なくとも努力の方向を示すことが教授者の職責だからです。それができないのなら「先生」を辞めてプレーヤーに戻るべきでしょう。

どうしたらいいのか

このように、自分自身の人間的な価値を努力の対象の掛け金にすることは、スランプの脱出に効果がないばかりか、スランプそのものの誘因になることがわかったと思います。

ここから抜け出すには、精神論ではなく、メカニズムとして考えることが有効です。つまり、自信を失ったときの歯車を逆回転させればいいのです。

まずは、自分の人間的な価値と現状のパフォーマンスを分離することです。

これは、言うほど簡単ではありません。そのように考えることが癖になっているのですから。真面目な人ほど肩の力を抜くのが下手なものです。

しかし、この癖から抜け出すことなしに、自信をつけることはできません。濁流の中で川底に杭を打ち込むが如く、まず「そうではないんだ」と理性で認識することが、第一歩になるでしょう。

どうしてもできなければ、信頼できる人に相談してみましょう。その時、はっきりと自分が自信を失っていることを伝えます。おすすめは、家族です。両親が健在で、関係が良好なら話をしてみてください。子供の頃からのあなたをみてきた両親なら、きっとあなたが自信を回復するヒントをたくさんくれるはずです。

次に、小さな成功体験を積み重ねることです。

どんなに小さなことでも構わないので「自分で選ぶ」ことに徹底的に意識的になってみましょう。どのぐらい小さいかというと、朝起きて、水を飲むのか、コーヒーを飲むのか。昼に何を食べるのか。何時に仕事を終えて、どのようなルートで帰り、夕食に何を食べるのか。そのぐらい小さくやって見ましょう。普段「なんとなく」やっていたことを、自分の責任のもとに選び取っているんだといちいち意識します。「どっちでもいい」は無しにしましょう。

くだらないことに聞こえるかもしれませんが「思考の癖」を変えるにはこのくらい基本的なところから始める必要があります。そうやって生活全体に自分で判断をするモメンタム(勢い)をつけると、コクピットでも「自分で」判断することが自然にできるようになります。

重要なのは、本当に自分で判断したかどうかです。情報を集めるために人に話を聞くのは構いませんが、最終的には自分で判断しましょう。そこが担保されて初めて、判断の結果が正しかったか、間違っていたかを検証する意味が出てきます。自分で為さなかった判断をいくら振り返って反省しても、次には繋がりません。

最後に、パフォーマンスの評価基準とフレームワークを正しく理解し、努力の方向を見定めることです

こちらの話は、次回に譲ります。

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以上、今回はパイロットのパフォーマンスについて、精神的な面を中心に論じました。いかがだったでしょうか。パイロットに限らず、努力の対象をもち、真剣に人生を歩んでいる人全てに通じる話ではないかと思って書きました。

以降のパートでは、今回の記事を書こうと思ったきっかけになった、ある動画の話をします。その動画の中で、今回のケーススタディになるような話が出てきたので、紹介しながら検証して見たいと思います。

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