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月の裏側で、判断を間違えないために

高級車がいくら高い高いって言っても、せいぜい数億のところ、格安を売りにしているATR72ですら、20億円はする。ジェット旅客機になれば100億は下らない。プライベートでは中古のトヨタに甘んじている男が、20億円の飛行機を1機任されるんだから、パイロットてのは全くおっかない仕事だよ。

オイラはまだしがないFOだけど、今後コマンド(キャプテン)をとるってことになると、やっぱり緊張しちゃうよね。飛行機の価格はさておき、やっぱり後ろに生身のお客さん乗っけているんだから。それが、全部自分の胸三寸次第だってんだから。

でもね、毎日一緒に乗っているキャプテンを見ていると、別に知識もオイラとそんなに変わらないし、ある分野ではオイラの方がものを知っているなんてこともある。年下の女の子のキャプテンだっている。彼(女)らは、実に飄々と、自信たっぷりに、毎日のフライトやシミュレータチェックをこなしていて、どうして彼女たちにできることが、こんなにも遠い目標に思えるのだろうといつも不思議だった。

評価の乖離

オイラが毎回、シミュレータで言われることは「まだまだ」「もっともっと」「あーだこーだ」であって、自分ではここがよかったな、と思うところがあっても、試験官にはそれがまるで全く見えないみたいなんだ。

先日、まさに今昇格中のキャプテン候補生のシミュレータ訓練にサポートFOとして入った時も、おいらの方がうまいところはたくさんあった。35ktの横風のビジュアルサーキットで、通常の風と全く同じタイミングとパターンで回ろうとして盛大にオーバーシュートするキャプテン候補生に対し、オイラのサーキットはビシッとドリフト当てて入ったもんだよ。PPLでやったことの基本、横風時はダウンウィンド伸ばして、オーバーシュートしないようにドリフト当てて、、

でも、デブリではやっぱりキャプテンへの評価は「まぁいろいろあるけど概ね良好、Ash、おまへはまだまだだ、もっと頑張れよ」なんだからやんなっちゃう。

でも、これ、毎回なんだよね。試験官が変わっても同じ。ということは、やっぱりオイラには見えていない何かあるんだと考えるのが自然な考え。受け入れ難いけど、逆にそれを掴みさえすれば、みんなのようにコマンドをとることに自信がもてるんだろうなと考えた。

見えていなかったもの

まだまだ、もっともっと、あーだこうだ、と言われると、勢い、俺はまだまだ知らないことがたくさんあって、もっともっと勉強して、いろいろなことを知って、なおかつそれを実運航に役立てなければならないって思ってしまう。

あるいは、まだまだ飛行機に慣れていなくて、操縦が下手だったり、不安が残っているのであれば、もっともっと経験を積んで上手くならなければならないと思ってしまう。

でも、それってキリがない。もっともっと、と足し算していくだけなら、理屈上はどこまでも知識は増えるし、うまくなれる。でも、それがどこに達したらキャプテンになれるのか、は実は線引きはなくて、むしろオペレーションに必要な知識と技量は、キャプテンだろうがFOだろうが同じでなければならない。当たり前だよ。

ということは、それがオイラはすでに十分な知識と技量をもっていることになるので、これらが「足りないから」が、オイラが求めている答えの正解ではないんだろう。じゃぁ、何かな、と思って考えたのが、冒頭に書いた20億の飛行機を一機任せられる奴ってどんなやつかな、という視点だった。

現場の仕事とは

航空会社の社長になったと考える。あるいは、パイロットを統括する運航部長でもいい。彼らの目を通して、こいつなら一機預けてもいいな、と思える最低ラインはどこか。そう考えてみたわけだ。

飛行機のことを隅から隅まで知っていることか。まぁ、それは理想だけど、「最低」ラインではないだろう、そういうパイロットは、テクニカルパイロットみたいな特別な役割がつく。普通のラインキャプテンの中には、テクニカルな知識が曖昧な人は驚くほど多い(それがいいと言っているわけではない)。

操縦がうまくて、どんな爆風でも安全に飛行機を降ろすことができる人か。これは、一見理想的に聞こえるけれど、実際のオペレーション上は逆に心配になる。操縦のうまさなんてのは、相対的な話だ。「どんな爆風でも」っていったって、台風の中に突っ込んで着陸できました、という人に、何十、何百億もする飛行機(+お客さんの命)を任せるわけにはいかんでしょう。

じゃぁ、何か。それは、

限られた情報しかない空中の現場で、判断を間違えないこと

だと総括できると思う。

月の裏側

社長を含め、地上にいる人たちからは手の届かないところに、飛行機は飛んでいく。月の裏側に行くわけではないけれど、似たようなもんだ。

現在の航空業界では、かなりの度合いで有害な天候(ウィンドシアや過冷却水滴による着氷など)が解明されていて、それに対する支援設備や情報提供のシステムが充実している。人間の特性を理解し、業界が血の歴史として積み重ねてきた集合知は、各航空会社のStandard Operation Procedures(SOP)に落とし込まれている。だから、通常運航をする限り、飛行機は安全に運航できる。

ヒューストンから支援を受ける宇宙船のように、クルーが適切に情報を集め、外部に助言を求められる状況をつくれれば、たとえ何か緊急事態が起きたとしても状況が壊滅的になることを避けることができる。

ところが、月の裏側にいる宇宙船は地上と交信が取れなくなるから、宇宙船が再び月の反対側から姿を見せるかどうかは、乗っているクルーの仕事ぶりに頼るしかないわけだ。この時、この宇宙船のクルーは、いわば地球と月を繋ぐ鎖の円環であり、彼らが破断したら、鎖は切れてしまう。

飛行機も同じで、キャプテンが現場で判断を間違えると、飛行機を取り巻く状況は加速度的に悪化していく。逆に、何か起きた時にキャプテンがその初動の判断を間違えなければ(鎖の円環として最低限の強度を持っていれば)状況は有利に(鎖は太く)なっていき、外部からの情報や支援を受けることができて、結果的に無事に地上に帰ってくることができる。

コマンドをとるにあたって、「もっと賢く、もっとうまく」という足し算のアプローチは、鎖の円環を「太く」する態度として継続するべきだし、有害なことではないだろうけれど、その鎖を紙粘土で作っていたら、いくら太くしても意味はない。

鎖の円環として機能するために最低限知っていなけばならないことは何か。(破断しない鎖の最低限の太さはどれくらいか)

情報の集め方や使い方、判断の原則は何か。(鎖の材料は何か)

そういった視点で自分のやり方を見直してみると、だんだんと見えてくるものがあるだろう。

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