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家族との関係”弟”

3歳下の弟がいる。

 小さなころは、私にくっついて回る、私とっては邪魔な存在だった。特に友達と遊ぶときにいるのは、本当に嫌だった。友達との遊びに付いていけなくなるし、弟いるからねと、友達の輪から外されてしまう。面倒を見てあげなきゃ、世話してあげないと、という感覚を持った記憶はない。

 その弟は、いつも自分の気持ちに素直でいられる。両親に対して、あーしたい、こーしたい、と伝え、物事が叶っていく。それは、家族から離れた社会の中でもそのようで、自然と周りから愛されるキャラクターとして存在している。

 私は、そんな彼の立ち位置がいつも羨ましかった。その位置を獲得するには、私にはエネルギーが必要だった。いつもとは違う行動をして、その場所を獲得できるよう仕向け、手に入れる。そして、自己満足だけ。他から評価はもらえない。

 小学校4年生のころ。彼は小学1年生。素直だから、姉であることを周りに紹介している。周りから、お前の弟か、と言われることが恥ずかしかった。姉という立場を消化しきれていないし、何をどう面倒みていいのかわかっていなかった。4年生なのに。そして、弟という家族の一員を知られるのが恥ずかしかった。

 成長し、弟が大学生のころ。両親は他県に住む弟のサークル活動の展示会に行ったという。これだけでも私には不思議な話であった。そこで、彼はサークル仲間に恥ずかしがりもせず、両親を紹介しまくったという。

 私は、バスケ部に所属し、学生時代を過ごす。試合数もかなりあったと思うけど、一度も両親を呼んだことはない。声をかけたこともない。父親は見に行きたい、と言ったことすらない。母親は一度だけ見に行くと言い出したことがある。この時、私は焦ってしまう。

 試合には出られない、補欠の補欠の補欠組。見せられるようなパフォーマンスはできない、だから見られるのが恥ずかしい。顧問は、試合会場に母親が居ると知れば、気を使い少しでも私をコートに出してしまうだろう。必要とされてじゃない、保護者に見せるために出る時間。こんな嫌なことはないと思い、母親には、絶対に顧問に見つからないように、と話をする。この時、母親がどんな反応をしていたのか記憶にない。今思うと、寂しい思いをしたかもしれない。

 また、見に来ることに慣れている保護者と違い、保護者としての振る舞いを知らないだろう母親の姿をチームメイトに見られる恥ずかしさがあった。だから、姿を見せるなと言いつつ、差し入れはきちんと持ってこいと伝えている。

 この試合は、無事に顧問が母親を見つけることなく過ぎ、試合も出ずに帰宅する。私は、自分の所属するチームメイトの姿はかっこいいと思っているため、見に来た母親に感想を求めるが、期待していたようないい返事は帰ってこなかった。

 親が自分の姿を見に来るということだけでも、私と弟ではまるで違う。それは何か。

 まずは、自分への自信のなさ。知ってる。だって、満足するほど、自慢できるほどの努力を何一つしていないから。性根が腐っていたから。だから、本番でいいパフォーマンスができないことも知ってた。できない自分をさらし、親から指摘を受ける、この流れも嫌だった。

 だったら、やればよかった。がむしゃらに。練習は積み重ねていくと実になっていく、ということを全然わかっていなかった。努力の結晶は物語の話だと思っていた。そして、頑張ることが恥ずかしかった。一つのことに夢中になることを知らなかった。その先に見える世界を描けなかった。

 もう一つ。家族へのリスペクト。弟は父親も母親も姉も尊敬している。だから、両親を紹介するように、社会人になっても、私のことを「うちのねーちゃん」と紹介する。される私はもう大人なので「いつもお世話になっております。」と頭を下げる。でも、心の中では変な奴と思っている。

 私も、家族をリスペクトしていないわけじゃない。しかし、学生時代は親の存在は恥ずかしかった。流行りを知らないし(知らないと思っていた)、だからダサいし、なんていう感情があった。

 学校で会う友達からの情報がいつも新鮮だし、知らないことばかりだった。親からは教えてもらったことのない流行というもの。だから流行を知らないだろう親を恥ずかしく思っていた。こんなこと、弟は感じていなかったかもしれない。

 弟は親が知らないと言えば、話をして伝えていたのだろう。こんな世界があるよと。だから、親が知る子供の友人の名前は圧倒的に弟の方が多かった。私は話してもわからないだろうと思い、あまり話をした記憶がない。でも弟は、無邪気に話し、それにより親も話しを広げ、弟の世界を知ったのだろう。

 今、そんな弟とはここ何年も会っていない。会う場合も、向こうからじゃない。私からアクションし、合わせないと会えない奴になっている。仕事だけをして、それ以外は全て後回し。まして、家族のことは最後というか圏外。関わろうとすると、後回しにされてしまい、面倒になるので、存在しないものとして受け止めている。次会うとするならば、恐らく、親戚の冠婚葬祭だろう。


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