【エッセイ】欠陥人間の僕(私)のハナシ(自己紹介)
今回のエッセイは、あえて一人称を「僕」にする。それは男になりたいという理由ではなく、自分を一番客観的に見れるのが「僕」だからだ。そして私はなぜか、文章を書くときは「僕」という一人称の方が好きだからだ。
このハナシは、自己紹介代わりのエッセイである。
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どうしてうまくいかないのだろう。
思えばいつもそうだった。自分に何が向いているのか、だんだんわからなくなってしまった。向いているものなんてないのかもしれない。そんなことを考えた。
いつもそうだ。竦んでしまう。過去の自分のことを思い出すと、またやらかしてしまいそうで、怖いのだ。
例えば、『忘れっぽい』
そりゃあ、誰しもが一度や二度は忘れ物をしたことがあるだろう。ただ、例えば僕の母は傘をなくしたことがないのに対して、僕は何度も電車に傘を忘れたりトイレに忘れたりした経験がある。それに、忘れ物やなくしものをあまりしないという友人もいたことがある。
ただ、僕の忘れっぽさは少々異常だ。
どこの世界に、トイレに鞄を忘れたまま登校するバカがいるだろうか?そのとき僕の手元には、財布とスマホとコンビニのおにぎりしか入っていない小さなランチバッグしかなかった。しかも気づいたのは教室に入って参考書を出そうとした瞬間だ。我ながらバカだと思う。
どこに鞄を置いてきたかさえも当時忘れていて、その前に寄った図書館で探してもなくて一時絶望したものだ。その時悶々としていた10分くらいの時間が永遠に思えた。もしかすると家にあるのでは?とさえ思った。ただその時ようやく、駅でトイレに寄ったことを思い出し、急いで駅に向かった。
駅員さんに聞くと、鞄が置いてあったと教えてくれて、事なきを得た。ただ、トイレに傘を置いていく人間はいれど、どこの世界に鞄を置いたまま登校して存在を忘れる人間がいるだろう。しかも駅のコンビニに寄る前に寄ったトイレだし、コンビニでランチバッグから財布を取り出す瞬間にも全く気が付かなかったのだ。
もしかすると、僕は鞄を二つ持ってはいけない人間なのではないかとさえ思ったが、ついランチバッグが便利で貴重品を入れてしまう。普通はランチバッグに入れないのだろうが、僕は取り出しやすさの方を重視している。
しかも、僕の『忘れっぽい』エピソードはこれだけではない。就職してからも、いやその前にも、最終面接で場所と時間を間違えたことがある。
(一度教えられていた面接日程が変更になったのを忘れ、前決まっていた時間に行ってしまい、しかも元々本社で面接予定だったのに実際に勤務する会社の方に行ったのだ。我ながらヤバイのにそこに内定をもらい就職した)
そして就職してからも、本社でグループ研修があると聞いていたのだが、日程を思い切り間違えて二日前くらいに本社の方に行ってしまい、仕事(研修中だったが)に大遅刻した。その際は「天然」で済んだのがすごいと思うし、部長は何もしない代わりに優しかったので、ペナルティもなく全く怒られなかった。
※僕の忘れっぽいエピソードはこれだけではないが、長くなるので割愛する。電車の棚にリュックを忘れたり腕時計をなくしたことさえ気づかず過ごしていたり大会で履く靴を忘れたり……とにかく多すぎるのだ。
今思えば、若干の異常者の存在も許してくれる、良い職場だったかもしれない。その後もマニュアルを見ながら行う作業でよくミスをして、先輩に邪険にされたことがある。ただ、だんだんと先輩との接し方もわかってきて、いかに怒られないように仕事をこなすかを考えるのが日課になっていた。
同じミスはしないよう細心の注意を払っていたが、また別のミスをするのを繰り返していた。それもまた二度とやらないように注意するという、綱渡りのような日々だった。
そんなこんなで、必死にしがみついて働いていた僕だったが、どうしてもいつか本当に取り返しのないミスをして、ものすごく怒られるのではないか?とか、皆から嫌われるのではないか?という恐怖が頭の奥に常にへばりついていた。
僕は怖かった。嫌われるのもハブられるのも。何とかうまくやっていただけに、自分のいつもの脳のバグで、一気に地獄に突き落とされるのではないかと危惧していた。
そんなの、誰にでもあることじゃん?と思うかもしれない。けれどケアレスミスをしてしまうのは、どうあっても人から責められることは、僕にとっては辛いことだ。
しかも僕は飲み会が苦手であるし、人と接することに対して苦手意識が大きいし、穏やかな職場で穏やかな時間を過ごしたいなんて、そんな夢を叶えられる場所は、この世に存在しないのだろうか。
仕事を探せば探すほど、忙しさに押しつぶされる様な生活が待っているのではないかと思うと、心が掴まれるように、苦しい。
忙しさを楽しめる人が羨ましくて、仕方がない。のんびり仕事できる方がストレスを感じない、そんな僕ができる仕事ってなんだろう、と考えてしまう。
ただ、そんな人間でも生きていけるって、そんな人間でも立っていられる仕事があったよって、わかれば、もしかすると誰かの支えになるかもしれないと、考えるのだ。もしくは、忙しさに『慣れる』方法を、どうにか見つけられるかもしれない。
頭でっかちで、勉強ばかりしていた文系の僕。もし理系の頭だったらアルゴリズムも数学の応用問題も難なく解けて、エンジニアや研究者になれたかもしれないのに、中途半端に頭が良かっただけで、僕はこんなダメ人間になってしまった。
英語は読めても書けないし喋れない。今から話せるようになろうとしても、今更な気がしてしまうし、そういう英会話のスクールはめちゃくちゃ高い。
簿記二級の資格を取っても、未経験だとなかなか雇ってもらえないし、本当に向いているのかも、正直分からない。僕は数字に強いわけではないし、コツコツ真面目に取り組める仕事なら何でもよかったのだと思う。
これならできるかも、あれならできるかも。
そう思うたびに、自分にストッパーをかけて、もし失敗したらの恐怖が常にある。そんなバカなこと考えていたって仕方がないのに。時折訪れる過去からのトラウマが、僕をバカに引きずりおろす。
マルチタスクは向いてないかな
プログラミングはいくら勉強しても拒絶反応があるし理解できない
人と接するのはとても疲れる
誰にも関わらずにPC前で完結したい
誰かに認めてほしい
相反する感情が渦を巻いて、僕は僕でなくなる気がした。
自分が一番、自分がどうすればよいかわからない。何が向いているかわからない。何をすればよいかわからない。ずっとその会社にいなきゃいけないと思うと絶望してしまうし、かといって不安定な生活は恐ろしくて、「直接雇用」を目指せる場所をついつい、探している。
不安定でも縛られない生活を望んでいたはずなのに、どこまでいっても縛られない生活なんて無理なのだ。せめて時間の自由だけは奪われたくなくて、派遣の生き方が合っているのではと思っていた。
けれど、事務はどうしても未経験だとなかなか雇ってもらえない、という現実。もし頑張って事務になれても、僕はうまく環境に馴染めるだろうか、という不安。そこまでしてこだわる理由は何だろうと、自分で自分に問いかけてしまう。
人と接する仕事やノルマがある仕事は自分には向いていない気がして、考えただけで恐ろしい。それでも、僕は自分がやりたいことが本当は何かがわからなくて、経理や医療事務やテレオペやライター、色々調べてみても、どれも未経験だと厳しいかな、なんて思って、心が凹んでしまっている。
「一度派遣になると、なかなか正社員になるのは難しいよ」
そんなことを言われて、僕は不安になってしまっている。けれど今は、派遣でも事務系は競争率が激しくて、なかなかなれないし、とりあえず今紹介されている事務系の仕事で、雇ってもらえるよう頑張るしかないかなと思っている。
都会に行けばまだ、求人があるけれど、今無理して通ってもコロナの不安もある。僕は僕で後悔しないように、きっちり職場見学して考えて、それで決められたら良いかと思っている。
雰囲気の良い職場を探したいというのが、本音だ。
僕はきっとわがままである。職場を探す余裕もない人はきっと、五万といるのに。
けれど僕は、探したいのだ。なるべく、後悔のしない道を。そして一度決めたら、冷たくされても頑張ろうと思える道を。
僕は一生、探し続けるのだろう。人生は選択で溢れているのだから、迷うこともまた選択で、決めるのは何時だって自分だ。
僕がこのnoteを始めたのは、人生のすべてを『笑い話』にするためだ。どんな不幸に突き落とされても、どんな酷い失態を犯しても、どんな辛い出来事があっても、それらはすべてネタになり、未来の『笑い話』になる。
未来の僕は、過去の僕を恨むかもしれない。けれど不幸なまま死ぬのは嫌だ。
死ぬときは笑っていたい。不幸なまま、負けたまま死にたくない。負けず嫌いな僕だから、最後は笑って逝ける人生でありたい。
大丈夫、どんなに不幸になったとしても、周りの誰かにとっては取るに足りない、一人の人間の人生だ。ホームレスがいたって、誰もわき目も降らず通り過ぎる。そういう世界だ。
だから、自分にとっては最大の不幸でも、実は周りからするとそうでもないのだ。もっと辛い経験をしていても、笑っている人もいる。もし不幸なまま死のうと考えたときは、僕はこのnoteを読み返そうと思っている。
不幸なまま死ぬのは、悔しい。
いつか死にたいと思った時は、それは人生に見切りをつけた時でありたい。もしくは、ある日突然訪れる天変地異のような、雷に打たれるように偶然的なものでありたい。考えうる限りの誰かに助けを乞い、少しでも温かみに触れてからにしたい。『助けて』と叫ぶのは、きっと恥ずかしいことではないと、僕は思う。
僕が書くnoteは、誰かに絶望を与えるものではなくて、少しでも前向きになれるようなものでありたい。辛いときも楽しいときも、文章を書くことはきっと、やめない。
どうか、貴方や僕の最後が、笑って逝けるようなものでありますようにと、切に願う。
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・欠陥人間の僕(私)のハナシ②
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