手作りお菓子の争点

学校に行く娘が私にメモを渡した。家庭科の授業で焼くお菓子の材料を、買いそろえて欲しいと言う。
「何を作るの?」と聞く私に、簡単に説明する娘の口から出る言葉は、聞いているだけで、甘いキャラメルの香りがプンプンしてくる。
「先生に言って、その砂糖の量、半分にしてもらってよ。」
強い甘さが苦手な私は、いつもお菓子のレシピに書いてあるのより、砂糖を減らして作る。私は甘みを抑えたケーキが大好きだ。
手作りのお菓子を焼くことは子供の頃から好きだった。作ることそれ自体も楽しいけれど、それを食べるのはさらに好きだ。お店で買うケーキは私には甘すぎるし、子供の時は、家でおやつが用意されてあるという事はなかったから、食べたかったら自分で作るしかなかった。
朝ごはんにケーキを食べるのが私のお気に入りだ。いくら食べても、すーっと消化されていくような気がするし、朝にいれるたっぷりの紅茶とぴったり合う。朝一番から遊び心がわくような、自由な気分にもなるのだ。夜の遅い時間に、小腹がすいた時に食べるのも、最高においしい。焼き立てはたまらない。疲れている時には、あのおいしさが、自分への癒しになる。

子供たちが小さい時には、手作りのお菓子というものを欠かさず作っていた私だけれど、今はたまに作るのみだ。私よりも娘の方が、積極的に作るようになったからでもある。
「ねえ、お母さん。もしも私が小さい時に、お母さんがお菓子をいつも焼いていなかったら、こんなに今、私がお菓子を焼くようにはなっていなかったと思うんだ。」
うれしい事を言ってくれるではないか。彼女にとって、生涯持ち得る楽しみや喜びが、母親である私のささやかな影響の上にあるという事は、親としてうれしい。

彼女がかなり小さい時から、危なっかしくても、出来ばえが悪くなっても、好きなように手伝わせた。キッチンがぐちゃぐちゃになっても、よけいな面倒を見なくちゃいけなくても、彼女が自分一人で、もしくは友達と一緒にお菓子を作りたがった小学生の頃、自由にキッチンを使わせた。自主的に取り組む姿勢につながったと思うし、アイデアを形にする喜びを経験として持つことにもなったと思う。楽しい事やうれしい事というのを、自分で作り出すよう習慣づけることができたのは、本当によかったと思っている。

お菓子の中に入れる、砂糖やバターの量、ナッツやフルーツの種類を、自分の好きなように調節できるのも、手作りの良さだ。我が家のオーブンから出したての、ふわふわのケーキの味は、高級ケーキ店の味にも劣らないし、それでいてそんなにお金がかかるというわけでもない。

いい事だらけのお菓子作りだけれど、我が家では、ムズカシイ事も発生する。買ってきたお菓子は、誰がどれだけ食べようが、さほど気にはされないけれど、私や娘が作ったお菓子は、それなりのマナーを持って食べないと、いらだち、いさかいの原因となるのだ。そしてそれは、しょっちゅう発生している。
娘が作ったものに関しては、特に気を付けなくてはいけない。彼女はあとで食べようと思っている事が多いらしく、全部なくなっているのを知ると、とても不機嫌になり、誰これかまわず、責めまくる。最後の一切れは、彼女に残しておくのが賢明だ。
友達や、イベントの為に作っている事もあるので、それを知らずに、もしくは知っていても食べてしまった夫が、あとで娘から、恨めしい言葉の数々や、冷たい態度を受けるのはしょっちゅうだ。多少、彼も学んだからか、最近は、「自分はこれを食べる事を許されているのか。」と聞くこともある。ダメと言われると、それがまた争点になるので、ムズカシイ。

手作りのお菓子は何といっても特別なので、食べていいかどうかも重要な問題だけれど、どうやって食べるかも争点になる。時間をかけて丁寧に作ったものを、夫や息子は、手につかんでバクバクと、ふたくちで食べる事がある。これはいけない。そのふたくちを、じとーっと見ている私と娘の視線に、彼らが気づくことは無い。
私と娘は、お茶を入れ、「おいしそう!」と前置きをして、よく、お菓子の見た目も確認しつつ、フォークで少しづつ味わうのだ。その間も、もちろん、どんなにそれがおいしいかを喜び合いながらだ。さらにおいしくするアイデアなども出し合う。そしてもちろん、「もう一切れ食べる?」「食べる!」となるのだ。

手作りのお菓子はおいしいから、誘惑も大きい。これにあらがうのは大変だ。子供たちが10才にもならない、まだ小さかった時の夕食後の出来事は、今でも思い出すと、私の顔がゆるむ、鮮明に覚えている記憶だ。
早めの夕食の前に、私の作ったチョコレートたっぷりの大きなビスケットが、一つだけ残っていた。娘が、夕食後に食べようと、残しておいたのだ。小さいながらも彼女は、おいしいものを、おいしい時間に食べるという事を、知っていた。もちろん私は、そのチョコレート色のビスケットを、キッチンのカウンターの上に置き、夫と息子に、それを食べないようにと念を押した。夕食時と言っても昼と同じに外が明るい、気もちのよいアイルランドの夏の日だ。
家族そろっての夕食という、毎日のメインイベントが終わり、片付けという仕事も済ませ、ホッとくつろいでいると、娘が悲しい顔をして、私のもとにやってきた。食べようと思っていたビスケットがないと言う。そんなことはないだろうと思って、カウンターを見たけれど、ない。私が無意識の内に、どこかに動かしたかもしれないと思って、探したけれども、見つからない。
夫がのんきにタバコを吸っていた。もしやと思い、聞いてみた。
「知らないよ。触ってないし、食べてないよ。」
うそをついている様子はなく、さすがに、30分以内に自分が食べたかどうかを忘れるとは考えにくい。まさかとは思いつつ、こうなると私は、確かめずにはいられない。
息子はいつものように、近くの広場に遊びに出ていた。家から歩いて一分の所で、彼は毎日、そんな住宅街の中にある広場で、友達とサッカーをして遊んでいた。せかされるような気持ちで、私はズシンズシンと速足で、その広場に行った。息子は大勢の友達と、夢中になってサッカーをしていた。私は近づきながら、彼に聞く。
「ねえ、残しておいたビスケットがないんだけど、知らない?」
私の目の前に立った息子は、思いっきり口をもぐもぐと動かしながら、答えた。
「僕、知らないよ。食べてないよ。」
彼の口の周りには、たっぷりのチョコレートが、べっとりとついていた。間髪開けずに、私の悲鳴のような大声が、住宅街にこだまする。
「ミーム!!」
ひょうひょうと食べていないと言ってのけた息子に、信じられない!とばかりに、さらなる私の大声が響き渡る。
「今すぐ家に帰りなさい!!」
その日、彼が外出禁止になったのは言うまでもない。食べるなと言っておいたのに、言うことを聞かずに食べたのは、もうどうでもよかった。それよりも、平気で私に、うそを言ってのけたことが、信じられなかった。
大興奮状態で怒っていた私だけれど、しばらくすると、笑えてきた。口の周りにチョコレートをたっぷりつけて、「僕が食べました。」と証言している顔で、食べていないと言い、更には口がモグモグと動くのだ。口の中に残ったビスケットのカケラを、早く食べて消さなくちゃという、無謀な証拠隠滅だろうか。子供の自然な反応で、あどけない。

あの頃より、10年もの年月が経ち、今でも笑えるあの日の息子の姿は、なつかしい思い出だ。そして今では、大声で悲鳴のように叫んだ私の姿にも、笑える。苦笑いだ。
あの日に限った事ではない。子供に叱り、しつけ、教えさとし、私が親として彼らを育てる中で、うっかり出されてきた、時には怒鳴るような、時には叫ぶような大声は、決して私の大切とするメッセージを、子供が理解して、納得して、自分のものにして、より良く生きていく事に、比例されるものではなかった。私が一生懸命だったのは確かだけれど、私の大声はあくまで、思い通りでない事にいらだち、どうする事が大切なメッセージを効果的に伝えるかを知らず、コントロールを失った若い私の、有り余ったエネルギーでしかなかったように思う。

今思うと、あの日、大興奮状態で怒っている私を前に、口をモグモグとさせた息子は、口の中に残るビスケットのかけらの証拠隠滅も、怒られるのを避けるためのうそも、意図していなかったかもしれない。ただ、私の言葉に、口の中に最後に残るビスケットのかけらに気づいて、おいしいなと味わっていたのかもしれない。そんな気がする。

娘が焼くお菓子が楽しみだ。彼女だけに任せずに、私も時々、お菓子を焼こう。すっかり寒くなった夜の時間、オーブンから温かい熱と一緒に、おいしそうな匂いが漂うのはたまらない。顔がほころぶ思い出や、愉快な気分や、一緒に口にほおばる楽しさや、よく頑張った事へのご褒美や、こわばったり疲れたりした心に、そっと添える癒しなど、そんな色々をたっぷり込めて、おいしいケーキを焼きたい。
争点にもなる手作りのお菓子は、ささやかな我が家の歴史も物語る。やさしい甘さがぴったりだと、私は思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?