一声あげること

娘が学校の昼休みに、同級生数名を連れて、ランチのために家に帰ってきた。私が小学生の子供をあずかっている時だったので、キッチンのテーブルが、急ににぎわう。
小学生は、知らない人たちに接して、ちょっと緊張の様子だ。食事の時間に緊張させるのはかわいそうだけれど、ここアイルランドでは、こういう事は慣れていくしかない。慣れてしまえば、いつもとはちょっと雰囲気の違う、楽しい食事の時間という事になる。社交の技術も、少しづつ、身に着く。
人慣れして社交的な同級生の一人が、このこわばっている小学生に親しく話しかけ、その固くなりがちな空気を和ませるように、おしゃべりを始めた。私がよく関心させられる、自然で明るくてフレンドリーなコミュニケーションだ。
私は、気さくな子供同士だけでのやり取りをさせるために、テーブルからちょっと離れた。小学生は緊張しながらも、急に現れたお兄ちゃんお姉ちゃんという感じの人たちがおしゃべりする中で発する、なんとなく愉快な雰囲気に、少し笑いがこぼれ始めた。
「そうか、小学校一年生か。じゃあ、君は来年に、ファーストコミュニオンをするんだね。」
同級生の一人が、小学生に質問した。ここアイルランドでよく、子供やその親と交わされる、会話のとっかかりになるトピックの一つだ。
小学生はニコニコした表情をしながら、何も返事をしなかった。

ファーストコミュニオンは、カトリックの宗教的な儀式であって、ここアイルランドでは小学校二年生の時に受けるようになっている。日本語で「初聖体」と言われるものだ。人口の多くがカトリックであるアイルランドでは、大々的にお祝いをするのが普通だ。教会での儀式があり、親戚が集まって会食をし、お祝い金をあげる。装いは結婚式顔負けで、子供と言えども、しっかりお金をかけて正装する。お友達や近所を招いてのパーティーをする家庭も多い。我が子たちにも7-8歳のかわいい時に、しっかりお祝いをしてあげられた。思い出に残る日だ。

優しくてフレンドリーなお兄ちゃんという雰囲気たっぷりに、同級生は自分の楽しかった10年前のその日を、あったかくも愉快に話した。そしてまた小学生に、気さくに同じ質問をした。
小学生はニコニコしていたけれど、やっぱり何も返事をしなかった。この小学生は、アイルランド人の家庭の子ではなかった。
私は必要を感じてテーブルに近づき、その子の頭をできるだけ優しくなでながら、子供たちのおしゃべりに口をはさんだ。
「あのね、この子はファーストコミュニオンをしないんだよ。この子の出身の国には、カトリックの人は、そんなに多くはいないのよ。」
フレンドリーな同級生は、ちょっと驚いた表情で私を見た。
「へー、そうなんだ。」
状況を理解すると、子供たちはまたすぐに、あったかくて愉快な会話にもどった。
私は、言葉の出なかったその子の柔らかい髪を、そのままもう少し、なでていた。いたいけなほど柔らかい髪は、その子がまだ、守られるべき小さな子供であることを、私に感じさせた。
小学生は、違う習慣を持っている事を表現するのを、躊躇したのかもしれない。何の事を話されているのか、まったくわからなかったのかもしれない。外国人としてここに生活する中で、こういう事は、しょっちゅうあるのかもしれなかった。

娘が小学校六年生の時の、やはりアイルランドで一般的に行われる、宗教上のお祝いがあった時の事を思い出す。
娘には、大多数のクラスメートと一緒に、学校でその授業を受けさせ、でも、儀式そのものは受けないという事で、了承してもらっていた。私は学校にも、早くから話をして、我が家のような文化の混ざった家庭の状況も、私のする決定も、理解してもらっていた。その数年前にも、やっぱり、クラスメートたちと一緒に儀式を受けたい息子に、泣く泣く飲んでもらった決定でもある。
我が家のようなところに生まれついた子供たちには、越えていってもらうしかない、こんなことが、多々あるものと思う。

同学年には何人も、この儀式を受けない子たちがいた。外国人の親を持つ子がほとんどだ。出席する義務はないけれど、その子たちの何人もが、長時間の儀式に参列してまでも、その特別な日を一緒にお祝いしようと、楽しみにしていた。儀式を受ける子たちも、そうでない子たちも、当日にどんなおしゃれをしようかとか、儀式の後でどこへ子供同士でお祝いに出かけようかと、みんな一緒に、楽しみに計画を立てていた。
多様性を屈託なく受け入れている子供たちの姿勢に、うれしくなると同時に、敬意を持たずにはいられなかった。

私は、儀式を受けない、ひょっとすると疎外感を感じるかもしれない子たちと、その親たちの事を、特に気にかけていた。社会のマイノリティーが持つ、不安や違和感を、私はよく知っている。だから、そんな子供たちにも親にも、クラスメートのお祝いに駆けつける喜びを、努めて話すようにしていた。

我が子たちのクラスメートの親に限った事でなく、私を知る人はほぼ、私の家庭がミックスのカルチャーである事を知る。私がアイルランドの大多数の人たちと同じ宗教を持っている事、そして夫との結婚で、まったく別のものにも、当たり前のように接している事、この土地に住んで長い事、そして私が日本人であることから、おそらく、それらとは全く別の価値をベースにした社会から来たという事を、人が感じ取るのには、それほど時間はかからない。
人はそんな立場の人間に、普通はなかなか言わない本心を、結構話すものらしい。うっかり洩れたとしか言えないような事を、聞かされる事もある。相談される事もある。バックグラウンドの様々な人たちの、自分とは違う当たり前を持つ人たちへの、ちょっとした嫌悪感とか、いらだち、戸惑い、恐れ、疑問、不信感、嘲笑、好奇心といったものを、好むと好まざるとにかかわらず、私は聞いてきた。

「私、お祝いの日には、お茶やお菓子を出すボランティアとして会場にずっといるから、あなたの子供はちゃんと見ててあげるからね。大丈夫よ。」
儀式を受ける子供はもちろん、喜び勇んでしっかり正装した家族と一緒に参列する。儀式を見るだけの子供の親は、もちろん来ない。私は彼らが安心できるように、私が知っている限りで、彼らが知りたい、そんなお祝いのあれこれを話した。
娘とはしっかり時間を取って買い物に行き、さらっとした青い生地に小花がたくさんついた、若々しくて素敵なドレスを買ってあげた。ゴールドのストラップのサンダルと合わせて、彼女にとても似合っていた。
クラスメートのお母さんの中には、ご家族でのお祝いの会食に、娘を招待してくれる人もいた。その日の午後に、娘がぽつんとしないよう、そんな優しいオファーをさりげなくしてくれる人がいるのだ。優しさがありがたかった。
娘も他の子供たちも、みんな、お祝いの日を、心から楽しみにしていた。

お祝いを控えたその週、娘が、悲しいような、怒ったような表情で、学校から帰ってきた。今にも泣きそうな様子だった。渡された学校からの便りには、儀式を受けない子供は、当日、制服を着ていつも通り、学校での授業に来るようにとあった。
なんてこと!儀式を受けないけれど、大勢のクラスメートと一緒に、特別な日をお祝いするつもりでいた娘の動揺は大きかった。他の子も同じだ。
以前、これとは別の、この土地での当たり前のお祝いがあった時、誰も気に留めてそれを説明してあげることのなかった外国人の家庭で、その家の母親が、写真を見せながら私に話したことがある。
「そんな特別なお祝いだって知らなかったのよ。クラスのみんなが、とびきりのおしゃれをしてて、うちの子だけ制服着てるの。クラスの記念写真よ。どうしてこうなるの。」
親が『知る努力』を怠ったと言う人もいるだろう。『知らせる努力』が足りなかったと言う人もいるだろう。
私は、こういう不必要な悲しい思いを、できるだけ我が子たちにさせないように、アンテナを張ってきた。違いは違いだ。それ自体は違和感を伴ったりしても、そのまま受け入れるべき事柄だ。けれども、子供のバックグラウンドなどから来る『違い』が『苦しみ』となるのは、ちょっとした気遣いと努力で、和らげることが出来るはずだ。大勢の子供たちの喜びの日が、ある子供にとって、悲しみや、社会との断絶を感じる日にはなって欲しくない。

私は翌朝一番で学校に行き、お祝いの日のアレンジの件で話をしたいと面談を申し入れた。嫌がられるのではないかと不安だった。心臓が飛び出しそうだった。でも、子供の為に、黙っているわけにはいかなかった。そして、こういう事を問題なく伝えるには、私の立場がぴったりだとも思った。
「何人かの他の父兄たちとも話しました。儀式を受けない子供たちも、お友達のお祝いをとても楽しみにしていたんです。子供たちはみんな、クラスメートと一緒に、その日をうれしい日にするつもりでいたんです。親もそのつもりでした。そういう気持ちを大切にするのは、多様性の進むこれからのこの社会に、大事な事だと思います。」
私が信頼してやまないベテランの先生は、私の言いたい事を、まるで待っていたかのように、驚くほどすぐに「マサコ、この件、私にゆだねて。」と、力強く言った。
その日、学校から帰ってきた娘は大喜びで、新しい便りを私に渡した。前日の便りの撤回と、お祝いの日の新しいアレンジが書かれていた。

私はあの日を、誇りを持って思い出す。私のほんの小さな一声でも、それが人に何かを気づかせ、子供の心を守り、喜びを生み出すことができた。
テーブルを囲みながら、はにかんだ小学生の子供が、大きなお兄ちゃんお姉ちゃんたちの愉快な会話に、わかってかわからないでか、笑いだす。
まだ出す言葉を持ちえない子供を守ることは、大人の仕事だ。私は、勇気と愛情で発する一声を大切にしたい。そして、自分の経験からの言葉が、この世にちょっとでも貢献するのなら、うれしく思う。

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