いつもと違う道を歩く

『空の下 信じることは 生きること 1年目の春夏』より

晴れた夕暮れに、娘とウォーキングをする日が増えている。アイルランドの春夏は日が長く、夜の10時まで明るい。夕方早くに暗くなる冬場とは、気温よりも日の長さが、季節の違いを感じさせる。
いつもよりちょっと早めの夜8時に、「ウォーキングに行く?」と聞くと、いつも通りの元気な「じゃ、行こうか」の返事で、二人仲良く家を出る。

いつもは住宅街を一周する大通りを歩いたり、大きなパークを歩いて、30分くらいのウォーキングにしている。一人で黙々と頭の中を整理したり、二人でたわいもない事をおしゃべりするのに、ちょうどいい時間だ。今日は時間が早かったこともあって、いつもと違う道を歩こうと誘った。

歩いて大勢の友達の家に遊びに行く娘は、ずいぶんいろいろな道を知っていた。私を誘導して、大通りからちょっと入った、こぎれいな住宅街をどんどん進む。
15年以上もこの地区に住んでいながら、大通りばかり使う私が、入ったことのない通りが次々と現れる。
明るい色の、1階建てのバンガローが、こじんまりと並ぶ通りでは、まるで自分が、どこか異国のホリデービレッジに、紛れ込んだように感じた。大きな三角屋根の家が並ぶ姿も見事だ。素敵な家並みが夕陽に照らされる姿を眺めると、胸が高鳴る思いまでした。

前庭をきれいに整えた家が並ぶ通りは、きれいなだけでなく、安心感を感じさせる。楽しいご近所づきあいができそうだ。それとは反対に、汚れたカーテンで閉め切っていたり、何の手入れもしていない前庭の家が数件ある通りは、それに引きずられるように、全体に雰囲気が暗い。流れる気のようなものが、停滞しているような感じだ。そんな通りには、住みたくない。
一つの通りでは、基本的に同じスタイルの家が並ぶのが、この土地の普通だ。まとまりがあるのと同時に、雰囲気を大きく作りあげる。

「住宅街の中の広い通りっていうのは、視界が開けていて、安全でいいね。」
「通りを挟んで、お向かいに家があるのが、好きだわ。目が行き届いて安全でしょ。」
そんなおしゃべりをしながら、ウォーキングは続く。
我が家からすぐの所に、こんなにまで、見たことのないエリアがあるとは、驚きだ。私がいつも見ている、この辺の通りというものよりも、少しばかり、ステキな通りが多かった。
いつもは通らない道だけれど、娘の道案内つきだから、怖くもなかった。徘徊している怪しい人物とも見られない。

いつもと違う道を歩いただけで、ずいぶん、新しい発見をした。いつもしていることを、ちょっと違ったやり方で試したり、興味がわくことを、ちょっと追いかけてみたり、自分の安全圏を超えて、したいと感じていることを、ちょっと勇気をもってやってみると、新しい出会いがたくさんありそうだ。

1時間かけて我が家の通りに戻って、ぎょっとした。いつもは何とも思わない、我が家の外観が、恐ろしくさびれて見える。窓枠のペンキが剥げているのが、本当に見苦しい。1時間前には、気づきもしなかった事だ。

いつもと違う道を歩くことは、いつもは気づかない、自分を発見することでもあるらしい。

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