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手紙小品「気持ちが冷めないうちに」

拝啓 立春を迎えて、山の裾野へは相も変わらずしんと霜の覆い被さり、まるで冬を押し留めようとするようです


 寒さ募る日々ですが、恙なく、お過ごしでございましょうか。
 今日の便箋は、消費目安があるのです。便箋を止める帯に、こうありました。
「気持ちが冷めないうちにお使いください。」と。
 どうか笑わないで下さい。正直が身上です。冷める熱なら困りませぬ。冷めないから、持て余すのですね。けれど、折角せっかくの御忠告ですから、素直に従う事に致しまして、今日も筆をとります。ああ、今お笑いになりましたね。笑わないで下さいと申しましたのに。いえでも、やっぱり笑って下さい。
 あなたには、いつでも笑っていて欲しいです。

 さて、こうしてわたくしが、古い、折り畳み式の机を持ち出して、文箱を広げ、広辞苑を隣へ置き、畳の上で、静かに座してペンを持ちして、縦線の無い、無垢な紙の上へ言葉を紡ぐ日々に安息として過ごすうち、どうやら月が替わりました。
 枝ばかりであった木々に、蕾が結ばれています。ビオラは毎朝霜を被るのに、花はひたむきな様子で首持ち上げて健気です。朝から晴れた日は、長閑な冬の日だまりが、それはもう、野点の赤い毛氈のように、極上の景色を生み出してくれます。そんな日々を瞳に映すひと時を、わたしはとても幸せに思います。
 あなたにもお見せすることができたら、屹度きっともっと心が温かくなるだろうと思います。ですが、もしもこのお手紙で、あなたにも冬の日だまりをお届けできているとしたら、それで十分とも思います。

 北風を浴びては、まだ二月等と春を待ち遠しく思いますけれど、過ぎた日を数えると、もう二月だなんてと驚かされます。全く身勝手なものです。
 春と云えば、和菓子屋に桜餅が並ぶようになりました。苺や山菜の名をよく耳にします。山を歩けば、大地の下で静かに目覚めの時を待つ生き物たちの声が、今にも土を割って聞こえて来るような気が致します。あの固い霜付きの土の下で、今頃どんな会話が繰り広げられている事でしょう。想像するに、わくわくしてしまいます。

 二月は逃げると申しますが、春を待ち侘びる、厳かな短い月にございます。わたくしは節分に、今年もこの手に一掴み分だけ豆を撒きました。美味しい鰯を焼きました。世間を悲しませる厄を払い、少しずつでもいい、優しい日々を取り戻せるように、静かに祈りを込めてみました。
 願わくば、世界の隅々にまで手を、花を。
 あの子に温かいスープは届いたろうか。あの子には靴が、学びの机が、安息とした眠りがあるだろうか。そんな事を考えながら、自分の掌を見詰めています。慎ましくても良い、けれどもっと力があれば―そうしたらもっと遠くまで光が届けられるのにと、ちぐはぐな事を思います。けれども、そうですね、一人ではない。同じように誰かを想う沢山の人の心が、今日も誰かを救っている。

 あなたに手紙を書いて良かった。

 想いを言葉にする事で、自分自身もまた安心致します。
 それでは、やがて来たる春に夢見心地ではありますが、足元はまだまだ冷えます。お風邪など召されませんように、どうか暖かくしてお過ごし下さいませ。

                             敬具

    令和四年 二月
                               いち

親切なあなた様


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